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Channel: 奈良の名所・古跡
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久渡古墳群

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 7基の多彩な内容を持つ古墳からなる古墳群です 撮影日;2012.10.15

 久渡古墳群は、標高約70m前後の丘陵上に位置します

 久渡1号墳「10D-03」は前方後円墳の可能性が高く、最も大きな古墳です
 後円部径40m、周濠幅2.2m
 遺物:土師器、須恵器、サヌカイト剥片

 久渡2号墳は、径約16mの円墳で、丘陵の南斜面を大規模にカットして造られています
 天武天皇の長男、高市皇子(654〜696年)が葬られた可能性が浮上しています

 久渡3号墳は丘陵北側に所在する古墳時代前期初頭の古墳で、画文帯環状乳神獣鏡・鉄槍・鉄鏃等が出土しました
 画文帯環状乳神獣鏡は後漢ごかん時代に中国で製作された鏡です
 近年の発掘調査で鏡片を除くと中国製の画文帯神獣鏡としては、奈良県内でホケノ山古墳以来12年ぶりの出土となります
 また、この鏡は、橿原考古学研究所の分析により、大阪府和泉黄金こがね塚づか古墳の東側埋葬施設から出土した鏡と「同型鏡」であることが判明しました

参考;説明会資料

★所在地;北葛城郡上牧町上牧
★交通;JR香芝駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;現在、立ち入り禁止です (公園化計画があるようです?)
★問合せ;

 久渡古墳群のある北側丘陵には弥生時代中期前半の上牧銅鐸出土伝承地があります(上牧銅鐸出土地


上笠間阿弥陀磨崖仏

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中央阿弥陀如来
 阿弥陀三尊の磨崖仏です 撮影日;2012.10.20

 県道781号線の旧道から笠間川へ降りていった岩壁に彫られています

 中尊は阿弥陀如来立像で、舟形光背を彫りくぼめ、半肉彫りされています
 下部に蓮華座を設け、来迎印を結んでいます
 像高は159cm

 脇侍は梵字(種子)で、向かって右側に「観音菩薩(サ)」、左側は「勢至菩薩(サク)」が刻まれています
 滝之尾長者一夜の作と伝えられ、天文3年(1534)の作です

上笠間阿弥陀磨崖仏 上笠間阿弥陀磨崖仏説明版

 魔崖仏の手前に、大きな柿の木が川にせり出すように生えています

★所在地;宇陀市室生上笠間
★交通;名阪国道針インターチェンジより 車で8.6km
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


笠間川

大久保池ノ上古墳

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大久保池ノ上古墳
 眺めもとてもよい場所です 撮影日;2012.10.20 

 径18mの円墳「9D-24」です
 はっきりとした墳丘が有りますが、盗掘坑の大きな窪みが有ります
 南に開口する横穴式石室と思われます
 石室は破壊され僅かに石材が残っているだけです
 遺物の報告はありません

大久保池ノ上古墳くぼみ 大久保池ノ上古墳石材

 東側にあるJAの穀類乾燥設備の南には、友田東山古墳が有ります
 一辺19mの方墳「9D-23」
 かつて横穴式石室が有ったそうです
 琥珀棗玉・水晶切子玉・瑪瑙勾玉・硬玉勾玉・鉄刀・鉄鏃・馬具轡・須恵器・土師器が出土しています
 周辺は縄文晩期と弥生前期の遺跡で、石包丁などが見つかっている友田東山遺跡です

 さらに南側の丘陵地には、小円墳が群集する川向古墳群が有ります
 (全長19mの前方後円墳1基と10〜15mの円墳15基)

★所在地;奈良市都祁白石町字ヤクシ山
★交通;名阪国道針インターチェンジより 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学可
★問合せ;

 都祁交流センター南の丘陵上にある古墳です
 都祁友田町との境に有り、傍らに水道施設の囲いが有ります


大久保池ノ上古墳からの眺望

森下塚

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森下塚
 広大寺池の南側に有ります 撮影日;2012.10.20

 田圃の中に一辺10m程の方形土壇が残されています
 遺跡地図の「8B-232」です

 周囲と比べて、ほとんど高さはありません

 古墳であるかは不明ですが、天武天皇皇孫・池田王の伝承があるそうです
 大和國古墳墓取調書には「地名ノ池田ト云フヲ以テ見レバ或ハ王ノ邸宅ノ舊址ナラン(中略)御父舎人親王ノ御墓ト傳説スル地所モ斯近傍二在レバ其御子ナル此王ノ御墓ヲ設ケシモノカ」と記されています

 舎人親王の墓ともされる黄金塚古墳は、西1.3kmほどの所に有ります
 その300mほど北西には鈴鹿王の墓の伝承が有るシズカ塚古墳が有ります 

★所在地;奈良市池田町字森ノ下406
★交通;JR帯解駅下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

黒渕の黒木御所跡

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黒渕の黒木御所跡
 黒渕春日神社の境内に碑が建てられています 撮影日;2012.10.21

 南北朝時代、西吉野・天川・十津川に黒木御所が有りました
 (十津川村の黒木御所跡天川村の南朝黒木御所跡
 黒木御所とは、黒木(皮を削っていない木材)を用いて建てられた天皇の御所のことで戦時や政変時などのの行宮のことをいいます
 ここには後村上天皇・長慶天皇の二帝が住まわれたと伝えられています

 その後「祟福寺」という寺院が建てられ、現在は春日神社が鎮座しています 

★所在地;五條市西吉野町黒渕852 (黒渕春日神社
★交通;JR五条駅より 十津川方面行きバスで「黒渕」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 近くに常覚寺が有ります

乾家住宅

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乾家住宅
 17〜18世紀の建築物と推定されています 撮影日;2012.10.21

 入母屋造り、草葺きの農家です(現在屋根はトタンで覆われています)
 四面庇付・桟瓦葺き
 桁行12.9m・梁間10.0m
 西吉野地方の農家の変遷を知るうえで重要な民家です

 昭和45年3月に県の文化財に指定されています

東側から見える乾家住宅 屋根の上にあるのは?

 屋根の上には、不思議な飾り(魔よけ?)が乗っています 

★所在地;五條市西吉野町滝163
★交通;JR五条駅より バスで「老野南口」下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★問合せ;現在も住居として使われています
   運が良ければ見学させていただけます

奥谷のヤマモモの巨樹

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奥谷のヤマモモの巨樹
 直木三十五氏ゆかりの木です 撮影日;2012.10.21

 これほど大きく、また海岸線から遠い大和地方に存在するヤマモモの木は大変珍しい
 貴重な学術研究資料として昭和33年に県の天然記念物に指定されています

 このヤマモモの巨樹は雌株で、地上80cmのところで三分岐し、さらに50〜80cmのところでそれぞれ分岐して9枝幹が立って半円形の樹形となっています
 幹周は地上50cmのところで4.3m・樹高は15mも有ります

 明治7年、この地に白銀第2小学校が創立されました
 明治43年11月から数ヶ月間、植村宗一(のちの直木三十五)氏が代用教員として赴任していた小学校跡地の校庭に立っています
 よくこの木に登り子供たちと声高らかに「デンガショ節」を歌ったといいます
 すぐ横に、宗円寺というお寺があり、そこで下宿していたそうです

奥谷ヤマモモ巨樹説明版 奥谷ヤマモモ巨樹下の石碑

★所在地;五條市西吉野町奥谷
★交通;JR五条駅より 車で138号線を一の木ダムを通って約8km
    八幡神社が左に見えたら、その先を右手に登って行きます
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市教育委員会)

恋風トンネル

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恋風トンネル
 洒落た名前のトンネルです 撮影日;2012.10.21

 西吉野温泉近く、丹生川が大きく蛇行する所に有ります
 1999年3月に開通した延長62mの短いトンネルです

むすばれ橋 丹生川の流れ
 トンネルの出入口の両側に橋が架かっています
 ちぎり橋とむすばれ橋です

 当時の村長さんが命名したそうです
 いわれとなる昔話でもあるのかと思われますが?
 定かではありませんが、村おこしになればと名づけたようです 

★所在地;五條市西吉野町城戸
★交通;JR五条駅より 車で168号線を南下して県道20号線に入ってすぐ
★駐車場;なし
★問合せ;


柿博物館

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柿博物館
 大きな柿の形をしたドーム型の建物です 撮影日;2012.10.21

 柿のことについてもっと知ってもらうために建てられた施設です
 高さ8.7m・直径18.2m

 100インチスクリーンを利用した柿についての映像やクイズがあるほか、パソコンで栽培法から料理法まで検索することができます
 渋染め作品や柿材木工品が展示され、柿ワイン、柿センベイなど柿加工食品もあります

 秋には約130種の生柿、冬には干し柿の展示も行っています

柿博物館内 果樹振興センター

 果樹振興センターは、果樹栽培および地域特産品開発について研究している施設です

★所在地;五條市西吉野町湯塩1345果樹振興センター内
★交通;JR五条駅より 車で15分ほど
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;タダです
★休館日;月曜日、年末年始(12月28日〜1月4日)
★開館時間;9:00〜16:30
★問合せ;07472-4-0061 (奈良県農業総合センター果樹振興センター)


 参考;柿の専門 吉野いしい【本店】のページ

名柄銅鐸出土地

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名柄銅鐸出土地
 鏡と銅鐸が一緒に埋められていた所です 撮影日;2012.11.03

 大正7年5月5日、溜池造成工事中に発見されました
 その溜池跡に石碑が建てられています

 表土下70cmのところに鏡が水平に置かれ、鏡から南へ約30cmのところに銅鐸が横たえられていました
 鏡と銅鐸が一緒に埋められていた例は全国でもこの遺跡だけだそうです

 銅鐸は外縁付鈕式で、鐸身の一つには流水門が、他面には斜格子文の横帯で三段に区画されています

 銅鏡は多鈕細文鏡と呼ばれるもので、鏡としては古い時期の渡来品です
 全国でも6面程しか見つかっていないそうです

名柄銅鐸出土地の碑 銅鐸は高さ約23cm、直径約12cm
 銅鏡は約15.5cm
 現在、国立東京博物館に所蔵されています(重要文化財です)
 参照;国立東京博物館のページ 

★所在地;御所市増・名柄(旧南葛城郡吐田郷小字田中60)
★交通;近鉄御所駅より バスで名柄下車 徒歩1分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市役所)

高天滝

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高天滝
 金剛山への登山道「郵便道」に有ります 撮影日;2012.11.03

 落差6〜7mほどの2段の段瀑です
 水量もそこそこ有ります
 滝の左に「不動明王」が祀られているので、別名「不動の滝」とも言われます

 休憩所の下に湧き水も有ります 

高天滝の不動明王像 高天滝上段 高天滝下段
★所在地;御所市高天
★交通;高天彦神社より 徒歩10分程
★駐車場;高天彦神社に10台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;

金剛山の仁王杉と夫婦杉

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仁王杉幹
 金剛山山頂近くにある巨杉です 撮影日;2012.10.03

 樹齢は500年ほどと思われます

 仁王杉は葛木神社の表参道と裏参道の分かれ道に聳え立っています
 根元付近の幹周りは5m以上有りそうです
 樹高も20m以上
 枝打ちされていないので、枝ぶりがまるで不動明王の背炎みたいです

仁王杉 仁王杉根元

 夫婦杉は葛木神社と転法輪寺の中間あたりに有ります 
 根元で2本の杉が融合しています
 地上3mの所から、まっすぐ2本の巨杉が天に伸びています
 かなりでかいです
 樹高は30mほど有りそうです

夫婦杉
 夫婦杉の近くに福石と宝剣塔が有ります
 福石は大国石とも言われ、福徳招来の守り神です
 宝剣塔は、後醍醐天皇及び大塔宮の宝剣を埋め、供養の為建立された足利時代の石塔だそうです

宝剣塔 福石 福石横石仏

★所在地;御所市高天
★交通;高天彦神社より「郵便道」で徒歩2時間ほど
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

金剛山頂の国見城址

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金剛山国見城址
 大阪平野の南部(河内平野)が見渡せる絶景の地です 撮影日;2012.11.03

 正慶元年(1332)、楠木正成が築いた城砦
 天正12年(1584)に佐久間安成が根来寺衆徒・雑賀軍を率いてここに篭城し、岸和田城主・中村式部少輔一氏と合戦を行ったという
 正成は、金剛山一帯にいくつもの要塞を築き、その指令所として千早城を用いたと伝えられています
 国見城もその要塞の一つだったようです

 本丸跡とされる広場に、海抜1125mの金剛山頂標識が立てられています
 (最高点は葛木神社の神殿背後です) 

金剛山頂 金剛山頂眺望

★所在地;御所市高天(金剛山頂付近)
★交通;高天彦神社より郵便道を登山 徒歩2時間弱
 大阪側から登るほうが楽です(ロープウェイも有ります)
★駐車場;高天彦神社に10台程度あり
★入場料;タダです

楯岡山古墳群

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楯岡山古墳群
 曽爾村で石室が見られる唯一の古墳です 撮影日;2012.11.04

 小円墳が3基並んでいます

楯岡山1号墳の墳丘
 楯岡山1号墳「104-20」はいちばん北東側で、はっきりとした墳丘が有ります
 南側は小路で削られているようです
 径約15m・高さ4mほどの円墳でしょうか(方墳のようにも見えます)
 石室の開口部は狭く、かなり土砂が流入しています
 墳頂に2ヶ所穴が開いていて、奥壁が少し見えます

楯岡山1号墳開口部 楯岡山1号墳羨道
楯岡山1号墳頂口 楯岡山1号墳奥壁口内 楯岡山1号墳奥壁
 小路を挟んで南東に2号墳と3号墳が並んでいます

 2号墳「104-21」は径約10mの円墳と思われます
楯岡山2号墳
 墳丘ははっきりしません
 かなり削られているようです
 盗掘の為か墳頂が凹んでいます(開口していません)
 天井石の一部?露出しています
楯岡山2号墳奥の天井石? 楯岡山2号墳開口部石

 3号墳「104-22」は径16m・高さ3mの円墳です
楯岡山3号墳石室内
 羨道部長1.94m・幅1.06m、玄室長3.6m・幅1.5mほど 片袖式の石室
 開口部は土砂でかなり埋まっていますが、30cm弱の高さがあり、入室可能です
楯岡山3号墳墳丘 楯岡山3号墳開口部

 【伝承】
 盾岡山の麓に速総別王と女鳥皇女の墓と伝わるふたつの古墳があります。
 古事記によれば、速総別王は仁徳天皇の命により女鳥皇女との仲を取り持つ使者として送られましたが、皇女の速総別王に対する秘めたる愛情を打ち明けられ、その想いに打たれた速総別王は皇女を娶り、天皇の恨みをかってしまいました。
 また速総別王は、彼の和歌の内容から謀反の疑いがかけられ、女鳥皇女ともども仁徳天皇の軍勢に追われる身となります。
 そして曽爾まで逃げたところで、ふたりは追手に捕まり殺されてしまいました。
 一説によるとこれは豪族の墓で、この場所より少し離れた覆矢塚という地がふたりの墓であるといわれています。

★所在地;宇陀郡曽爾村今井
★交通;名阪国道「針IC」より369号線を宇陀・曽爾方面へ 
 曽爾中学校の進入路を上がると右手に有ります
★駐車場;曽爾中学校横の曽爾村B&G海洋センターに広いP有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

高山右近碑

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高山右近碑地
 キリシタン大名として有名な高山右近をたたえる石碑です 撮影日;2012.11.04

 沢地区の集落入口に昭和45年に建てられました
 永禄3年(1560)〜10年までの8年間、高山右近の父・高山友照は、松永久秀の配下として沢城を居城としていました
  
高山右近碑 高山右近顕彰会碑

 右近は永禄7年(1564)、「ジェスト」即ち正義の教名をもって洗礼を受けました
 母や家臣150人とともに洗礼を受け、20歳まで過ごしています
 右近は高槻、次いで明石の領主となり、慶長年間に徳川家康のキリスト教禁止令によってマニラに追放されました

★所在地;宇陀市榛原大貝
★交通;近鉄榛原駅より 菟田野町方面行きバスで「比布」下車 東へ徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


どんがめ石

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西側から見たどんがめ石
 黒岩宮城の田園地帯の中にあります 撮影日;2012.11.04

 僧行悦の道標から西へおよそ400m
 伊勢街道の北を流れる黒岩川沿いを歩いていると大きな黒い岩が有ります
 どんがめ石(別名「亀石」)と言われています

 長さ3m・幅3m・高さ3m(地上部1.5m)、それ以上あるでしょうか?

 この石には昔からこんな言い伝えがあります。
昔、七日七夜にわたりこの石の根本から光が放たれ輝き続けており、それを不思議に思った里人がその光り輝くところを掘ってみると、なんとそこから一体の金仏像が現れたそうです。
そこで室生寺の僧が占ったところ、金仏像は熊野三社権現であるから、よろしく宮城に祀るようにということでした。
そこでここに社殿が造られ、金仏像が祀られたそうです。
 今では少し昔とは風景が変わっていますが、それでもこの巨石はいまだ勇姿を今に伝えています 

東側から見たどんがめ石

★所在地;宇陀市室生黒岩
★交通;室生寺より県道28号線南へ 黒岩口より西へ約2.5km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

滝本町の大カヤ

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滝本町の大カヤ
 丘陵地に有るので、とてもよく目立ちます 撮影日;2012.11.04 

 幹周り3.7m 樹高11m
 樹齢は600年?
 県保護指定樹木です

下の道から見上げる 石垣内のカヤの巨樹
 中島氏宅庭に有り、古くから「カヤ木の家」として地域住民に親しまれています
 「八大龍王」を祀って神木化しているそうです

 集落の西と中央に地蔵石仏が祭られています
 集落中ほどの地蔵石仏がある急な坂道を登っていきます
集落の西側にある地蔵石仏 集落の中央にある地蔵石仏

★所在地;天理市滝本町下滝本
★交通;JR/近鉄天理駅より バスで下滝本下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★問合せ;

ノベラ古墳

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ノベラ古墳
 墳丘は、ほぼ果樹園です 撮影日;2012.11.12 

 行燈山古墳「崇神天皇陵」の西700mほどの所に有る前方後円墳「11D-19」です
 南北に主軸を置き、前方部の広がらない墳形(柄鏡式前方後円墳)です
 全長約78m、後円部径約40m・前方部巾約30m

 前方部・後円部共に削平されていて、ミカンの木などが植えられています
 1988年10月3日に発掘調査されていますが、墳丘に葺き石は見られず、埴輪の配列もなされていなかったようです
 築造は古墳時代前期のようです

★所在地;天理市柳本町字ノベラ
★交通;JR柳本駅下車 徒歩6分
★駐車場;なし
★入場料;もちろん私有地ですので、外観のみ見学可
★問合せ;

 150mほど南に石名塚古墳が有ります

柿本人麿公屋敷跡

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柿本人麿公屋敷跡
 JAならけん巻向支店の前庭に石碑が建てられています 撮影日;2012.11.12

 柿本人麻呂が詠った歌に「纏向」を詠ったものが多いことから、顕彰碑的なものでしょうか
 柿本人麻呂が居住していた可能性は否定できませんが、それを裏づける証拠はありません

 石碑のある地は、上ツ道に面しており古代のメインストリート沿いです
 周辺は纏向遺跡で、駅の西側では発掘調査もされています 

★所在地;桜井市巻野内235-8
★交通;JR巻向駅下車 徒歩1分
★駐車場;1台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;

平塚古墳

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西から見た平塚古墳
 平坦な墳丘は柿畑です 撮影日;2012.11.12

 現状は、墳丘規模が東西約45m・南北約55m
 方墳の可能性も有りますが、径約54mの円墳とされています

 墳頂部は後世に受けた削平の影響により、ほぼ平坦になっています
 墳丘の周囲は石で囲われています
 墳丘上が平坦にならされ、周辺の円墳よりも非常に規模が大きい為、農業用地として墳頂部を削平した際にでた土砂をその周辺に落とすことで、墳丘を広げた可能性が大きいようです

 すぐ北側には、大和神社の社叢が見えています 

南から見た平塚古墳

★所在地;天理市成願寺町字平塚
★交通;JR長柄駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;

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