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Channel: 奈良の名所・古跡
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浄教寺のソテツの巨樹

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浄教寺ソテツ根元
 江戸時代初期、当寺が現在地に開寺した時植えられたと伝えられます 撮影日;2013.04.14

 推定樹齢250年以上とされているので、2代目でしょうか?
 本堂の庇に届くほどに高く、樹木の高さ約5.5m、根株の周囲6.5m

 根元から大小合わせて25本の幹が出ています
 1本の株から多くの幹が出るのは大変珍しいそうです
 中央の最も大きな幹は目通り(目の高さでの木の直径)が1.5mもあります
 雄株と推定されています

浄教寺ソテツ巨樹 浄教寺枝垂桜

 昭和47年に市の保護樹(文化財)に指定されています 

★所在地;奈良市上三条町18(浄教寺境内)
★交通;JR奈良駅下車 徒歩5分
★駐車場;付近に有料駐車場多数有り
★入場料;見学自由
★問合せ;


寺口忍海D-30号墳

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D-30号墳の開口部
 葛城山麓公園内の気軽に見学できる横穴式石室墳です 撮影日;2013.04.20

 尾根を利用して築かれた径12m・高さ4mの円墳「13D-110」です

 両袖式の横穴式石室が南(崖側)に開口しています
 全長7m、玄室の長さ4m・幅2m・高さ2.6m
 羨道部は長さ3m・幅1.5m・高さ1.6m

 盗掘のため遺物は少なく、須恵器・土師器・鉄釘が出土
 木棺が埋葬されていたようです
 比較的大きな石を使い、奥壁は3段、側壁は2段でいずれも1段目から内に傾斜して組まれています
 天井石も巨大です

D-30号墳奥壁 袖部

 築造は古墳時代の後期と推定されています  

★所在地;葛城市寺口字忍海(葛城山麓公園内)
★交通;近鉄{/cars_train/忍海駅下車 徒歩40分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★入園時間;9:00〜17:00
★問合せ;0745-69-7501(葛城市山麓公園管理事務所)

 墓地の駐車場南の子供たちが遊ぶ公園の南側・尾根の端に有ります


D-30号墳丘

寺口忍海D-11号墳

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D-11号墳開口部
 D-30号墳の東側の尾根に円墳が並んでいます 撮影日;2013.04.20

 D-11号墳は寺口忍海古墳群の説明板近くにある円墳「13D-88」です
 墳丘は径14.5m・高さ3.5mとされています

 横穴式石室が在ったようです
 南側に開口部が有りますが、土砂で埋まっています
 墳頂は円形に大きく陥没していて、石材が2個露出しています

D-11号墳丘 D-11号墳頂に陥没穴

 すぐ西側のD-24号墳「13D-86」は径14m ・高さ2.5m の円墳です
 横穴式石室があったようで、南側斜面に石材が露出しています
 墳丘上は柵が廻らされ、円形のベンチが置かれています

D-24号墳丘 D-24号墳石材

★所在地;葛城市寺口字忍海
★交通;近鉄忍海駅下車 徒歩40分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★入園時間;9:00〜17:00
★問合せ;

寺口忍海E-?号墳

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E-16号墳丘
 葛城山麓公園の墓地には多くの横穴式石室が有りました 撮影日;2013.04.20

 保存されている寺口忍海E-2号墳の西側に、径10m・高さ北側で1.5m程の円墳が有ります
 (E-7号墳が在った付近)
 (E-7号墳は横穴式石室が在りましたが消滅しています)
 南側の斜面に石材が露出しています
 E-16号墳「13D-496」だと思います
 墳丘は無くなっています(斜面に築かれた古墳かも)

E-16号墳石室 E-16号墳開口部

 覗いて見るとかなり状態の良い横穴式石室です
 開口部は崩れていますが、入室可能です
 (下へ降りる感じなので、中から一人では上がれないと思います)
 羨道部は埋まっている(無くなっている?)ようです
 目測で、玄室長3mほど・幅1.5mほど・高さ1.8mほど
 石棺の破片と思われる石がいくつか見えています

E-19号墳 

 斜面を降りた人工池の畔にも石材が散乱しています
 E-19号墳だと思います
 円墳だったようですが、墳丘は無くなっています
 遺物として鑷子・刀子・鉄鏃・須恵・土師などが有ったようです 

★所在地;葛城市寺口字忍海
★交通;近鉄忍海駅下車 徒歩45分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;


 右奥に見えるのはE-2号墳です
E-16とE-2号墳

弁財天石楠花の丘

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弁財天石楠花の丘山内
 山に約1万本の石楠花が咲きます 撮影日;2013.04.22

 平成10年の台風で山の樹が倒れ、その跡に地元自治会が村おこしとして石楠花を植栽しました
 平成19年度花の観光地づくり大賞奨励賞を受賞しています

弁財天石楠花の丘碑 弁財天石楠花の丘石段

 種類は高見山の種がほとんどですが、少しでも長く楽しめるよう南は鹿児島県の屋久島から、北は新潟県まで早生・晩生の種をそろえ約20日間にわたり花が楽しめるそうです

 ゴールデンウイークには「石楠花まつり」が実施されます
 (開花は4月下旬〜5月中旬) 

弁財天石楠花の丘花 弁財天石楠花の丘展望所

★所在地;宇陀市室生田口元上田口1391-1
★交通;近鉄榛原駅より 曽爾村役場前行きバスで「上田口弁天」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料30台)
★入山料;500円
★開山時間;8:00〜17:00
★問合せ;0745-93-2035(弁才天石楠花の丘管理室)

長走りの滝

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長走りの滝
 この滝には、大蛇退治の伝説が有ります 撮影日;2013.04.22

 16世紀、長野の井上喜曽が大蛇退治にやってきたが、その凶暴さにたまらず逃げ出した
 大蛇が追いかけて来た跡が長走りの滝と伝えられます

 県道784号赤目掛線沿い、青蓮寺川の支流にある岩盤を滑り落ちる滝です
 長さ100mとも言われます(目視で50mほど)
 木立が邪魔をして見えにくいですが、すぐ上流に10m弱の段瀑も有ります 

長走りの滝上流 上流の段瀑

★所在地;宇陀郡曽爾村今井
★交通;近鉄名張駅より バスで曽爾横輪下車 徒歩25分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-94-2106(曽爾村観光協会)

済浄坊の滝

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済浄坊上の滝
 「奈良県やまとの水100選」に選定されています 撮影日;2013.04.22 

 昔、この滝に済浄坊という仏寺が在り、修験者がこの滝で行水して身を清め、水煙大不動明王の霊を仰いだと伝えられています

 上の滝
済浄坊渓谷 滝壺
 落差10mの豪快な斜瀑です
 滝壺の豊かに溜まるコバルトブルーの水がとてもきれいです

 下の滝
済浄坊下の滝
 落差10m
 岩肌を滑るように落下する、静かな斜瀑です

★所在地;宇陀郡曽爾村小長尾
★交通;近鉄名張駅より バスで曽爾横輪下車 徒歩50分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-94-2106(曽爾村観光協会)

巾着山公園

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巾着山公園
 鎧岳を仰ぎ見ることができる眺望スポットです 撮影日;2013.04.22

 この公園は(社)奈良県緑化推進協会の助成により「みんなの森造成事業」として、8578?の土地にヤマザクラ、コブシ、クヌギ等の植栽を実施しています。
 曽爾村・(社)奈良県緑化推進協会

鎧岳
★所在地;宇陀郡曽爾村葛
★交通;近鉄名張駅より バスで「葛」下車 徒歩3分
★駐車場;有ります
★入場料;青蓮寺川沿いを走る県道81号線の休憩所です
★問合せ;


龍頭塚

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龍頭塚
 かつて「竜頭寺」と云う寺院が有りました 撮影日;2013.04.28

 竜頭寺跡は草谷寺の旧寺地だそうです
 龍頭塚は、竜頭寺跡のすぐ北の尾根上に有る小さな塚です
 宝永7年(1710)銘の石碑と昭和の自然石碑が立っています
 (訪問時は、昭和の自然石碑は横倒しになっていました)

龍頭寺跡 龍尾塚
       龍頭寺跡↑                   草谷寺の龍尾塚↑

 草谷寺の裏山には経文塚「龍尾塚」が有ります
 「龍胴塚」はさらに登った、標高830mほどの所にあるようです

 ≪龍のお寺の伝説≫
 『金剛山の南麓、北山村には、昔、大龍がすんでいて、村を荒らしまわった。
或日、一人の修験者が、龍を退治しようとして、祈りをはじめた。一天にわかにかき曇って、あらわれ出た大龍は、今にも修験者に飛びつこうとすると、修験者は、手に持った数珠を振り上げて、ハッシと投げつけた。龍は忽ち天へ逃げ上がろうとしたが、身が三つに切れて、ぱたりと地上におちた。
 村人はよろこんだが、龍の祟りをおそれて、龍の頭の落ちた所に龍頭寺、胸の落ちたところに龍胸寺、尾の落ちた所に龍尾寺と、三つのお寺を建立して、龍を厚くとむらったと云う。
今は寺のあとかたもないが、修験者の祈祷した場所を法願田と云い、龍の胸の落ちた所を胸が段と云っている。
又、三つの寺の佛像は、今でも国宝として、北山村の草谷寺に残っている。』 
★所在地;五條市北山町 (金剛山の南麓・標高600mの所)
★交通;草谷寺より 徒歩80分
★駐車場;草谷寺のP利用
★入場料;見学自由 (かなり難コースです)
★問合せ;

三碓の地名由来の石

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三碓地名由来の石
 三碓は「みつがらす」と読みます 撮影日;2013.05.04 

 碓は『いしうす』のことです
 この石には三つの穴が開いています(一つは欠けています)
 朝鮮半島から伝えられた搗碓(つきうす)です

三碓
 奈良時代、聖武天皇がこの地に鳥狩りに来られ、この石うすを見て『三碓』の地名を与えたとの伝承が有ります
 「古事記」には、播磨の国でもこのような石碓が使用されていたことが記されているそうです

★所在地;奈良市三碓3-5-13(根聖院境内)
★交通;近鉄富雄駅下車 徒歩10分
★駐車場;有ります(5台程度)
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-45-0649(根聖院

真弓塚

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真弓塚
 長弓寺を創建した小野真弓長弓の墓と伝承される塚です 撮影日;2013.05.04

 径10m弱・高さ2mほどの円墳状の塚です
 墳頂に石標が立てられています
 
 一説に、長弓寺の本尊:十一面観音の頂上仏を彫った聖武天皇下賜の御弓の残余を埋めたとする説も有ります
 神話に出てくるニギハヤヒの尊の墓とする説も有るとか・・・

真弓塚碑 真弓塚墳丘

 ここは、長弓寺の飛び地境内です 
 新興住宅の中、真弓住宅街を眼下に臨む高台に築かれています
 
 小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)は神亀年間(724〜729)頃に亡くなったようです 

真弓丘 真弓塚より眺望

★所在地;生駒市上町
★交通;近鉄学研北生駒駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-74-1111(生駒市生涯学習課)

長髄彦の本拠地

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「長髄彦本拠」の碑
 池の畔に石碑が立てられています 撮影日;2013.05.04

 長髄彦(ナガスネヒコ)は、神武伝説中の最大の仇役として後世にその名を残しました
 『日本書紀』に神武天皇は河内国の草香の津に上陸し、生駒山を越えようとして長髄彦に撃退されたと記されています

 この地は、矢田丘陵の北の外れです
 西側を天野川が国道168号線に沿って北流し、逆に西側のニュータウンの東側を富雄川が南流しています 

「鳥見白庭山」の碑
 すぐ近く、白谷垣内集会所の敷地内に「鳥見白庭山」の碑も立っています

 白庭山は、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が宮を築くところを決めるために3本の矢を放ち、その三本目の矢が落ちた所らしい?
 ニギハヤヒは天磐船(あめのいわふね)で河内の国の哮峰(いかるがのみね)に天降った後、大和の国の鳥見の白庭山に移ったとされています
 鳥見(とみ)は鵄(とび)が訛ったものだそうです
 『古事記』ではナガスネヒコを登美能那賀須根毘古(とみのながすねひこ)または登美毘古(とみひこ)と表記しています
 『日本書紀』では長髄(ながすね)というのは、もともと邑(むら)の名前だったが、イワレヒコの弓に止まった金鵄(きんし)に幻惑されて、ナガスネヒコの軍勢が力戦できなかった
 そこで、時の人が邑の名前を鵄(とび)の邑に変えたという

長髄彦本拠石碑 鳥見白庭山石碑

★所在地;生駒市上町
★交通;近鉄白庭台駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


 参考;奈良歴史漫歩 No.039  長髄彦の故地

「金鵄発祥之処」の碑

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「金鵄発祥之処」の碑
 鵄山(とびやま)と呼ばれる丘の頂上近くに石碑が有ります 撮影日;2013.05.04

 大正3年に立てられた石標です 

 日本書記によると
 天鈴55年(紀元前663年)12月4日、磐余彦尊(いわれひこ)の軍はついに長髄彦(ながすねひこ)を討つことになった
 しかし戦いを重ねたが、なかなか勝利をものに出来なかった
 そのとき急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り出した
 そこへ金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、磐余彦尊の弓先に止まった
 その鵄(とび)は光り輝いて、その姿はまるで雷光のようであった
 このため長髄彦の軍の兵達は皆幻惑されて力を出すことが出来なかった

鵄山 鵄山の碑
 高山郵便局の角に『鵄山』の碑が立っています
 2分ほど東へ行くと右手に小山(鵄山)が見えます

★所在地;生駒市上町字大町3562
★交通;近鉄学研北生駒駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;私有地のようですが見学可
★問合せ;


 参考;邪馬台国大研究のページ

天井山9号墳

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6B-40墳丘
 尾根の最先端には天井山8号墳(金鶏塚古墳)が在りました 撮影日;2013.05.05

 9号墳「6B-40」は径17m・高さ5mほどの円墳です
 墳頂に陥没穴が有ります
 横穴式石室が在ったのでしょうか?
 陥没穴は西側にも有り、福室が有ったのでしょうか? 

6B-40穴 6B-40石材

 8号墳「6B-38」は横穴式石室が在ったようです
 墳丘など確認できませんでした

天井山8号墳付近
★所在地;奈良市阪原町25 (奈良市青少年野外活動センター内)
★交通;近鉄奈良駅より バスで「大柳生小学校前」下車 徒歩1分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;

 道を挟んで北側に天井山2号墳が有ります

競馬道無名墳

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6B-2
 競馬道と呼ばれる道沿いに石材が露出しています 撮影日;2013.05.05

 競馬道1号墳から西200mほどの所です
 2基並んでいますが、どちらも石室は破壊されています
 径17mの円墳「6B-2」と径14mの円墳「6B-3」です

6B-3

 東側の「6B-3」は南東に開口とすれば、石材は天井石と側壁右側でしょうか

 

★所在地;奈良市大柳生町バクケ
★交通;近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


畑山古墳群

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畑山2号墳?
 山内のあちこちに石材が散乱しています 撮影日;2013.05.05

 ほとんどの古墳墳丘は流失しています
 石室が開口している古墳は無さそうです

 2号墳「6B-100」と思われる円墳
 横穴式石室が在ったようですが、石室は破壊されていました 

畑山9号?墳群 畑山古墳群 畑山古墳群
 競馬道をさらに進んでいった南側の山中に有ります

★所在地;奈良市大柳生町
★交通;近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩30分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

万福寺の石仏群

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万福寺石仏群
 室町時代から江戸時代の石仏です 撮影日;2013.05.05

地蔵菩薩 如意輪観音
青面金剛像 
 
阿弥陀如来と地蔵石仏 誓多林町の万福寺

 地蔵石仏と並んで立つ阿弥陀石仏は永禄5年(1562)のもの
 地蔵石仏・名号板碑 正保2年(1645)
 如意輪観音石仏 文化7年(1810) など

★所在地;奈良市誓多林町895 (万福寺境内)
★交通;近鉄奈良駅より 水間行きバスで「日笠」下車 徒歩30分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

ヲシヨジ1号墳

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ヲシヨジ1号墳
 2番ホールの右ドッグレッグの右上に保存されています

 平成6年に保存の為の発掘調査されています
 1号墳は、一辺5mの小さな方墳です
 封土は失われていましたが、高さは2mほどあったようです

 埋葬施設は、ほぼ南に開口する無袖式の横穴式石室です
 長さ3.40m、奥壁幅1.05m・入口幅0.90m・高さ1.05m
 天井石は4枚で、奥の2枚は奥壁・側壁の上にかろうじて残っていましたが、入口近くの2枚は石室内に崩れ落ちていました
 また側壁の一部も墳丘の崩落土ととも石室内に落ち込んでおり、石室内には厚さ0.30mほどの土が堆積していました

 築造は古墳時代終末期(7世紀はじめ)
 地域の有力な豪族の墓だといわれています
 出土遺物は、飛鳥時代または奈良時代のものと思われる須恵器細片や鎌倉時代の土師器・瓦器
 後世まで再利用されていたようです

ヲシヨジ1号墳発掘 ヲシヨジ1号墳石室図

 2号墳は、墳丘測量の結果によると、東西5m・南北6.5mの方墳
 南北に長いのは墳丘が流失したためのようで、1号墳と同規模の方墳です

 埋葬施設は1号墳と同様に横穴式石室が想定されています
 高さは現状で約1m、おそらく天丼石は抜き取られているものと思われます
 1号墳と同様に墳丘の内外を区画する石積・列石がみられました

 ヲシヨジ古墳群は、丘陵尾根上に造られた方墳2基からなります
 位置関係からみて、競馬道古墳群の一支群であるようです

柳生CC前
★所在地;奈良市大柳生町4800(柳生カントリークラブ内)
★交通;近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★見学のみは不可
★問合せ;0742-93-0789

残念石

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残念石
 大阪城改修の際に使われなかった石だそうです 撮影日;2013.05.12

 昭和50年、護岸工事の際に木津川の左岸から60〜70個の巨大な切石が発見されました
 
 初めは、豊臣秀吉が大阪城の築城のために切り出した石の余り(残石)と伝えられていました
 その後の調査で、徳川幕府が元和6年(1620)以降に、大阪城を改修した際の残石であることが分かりました
 誰が名づけたのか?「残念石」と呼ばれています

残念石加工 残念石加工穴

 江戸時代、二代将軍秀忠の時代に、大阪城再建のために各地で石材が切り出されたそうです
 加茂町でも良質の花崗岩が採れたようで、木津川の水運を利用して大阪に運ばれました
 加茂の石は大阪城の本丸側と、二の丸側で確認されているそうです

残念石降り口 林の手前に有る石 
 河原への下り口 ↑
★所在地;木津川市加茂町大野
★交通;JR加茂駅下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

 河原への下り口付近に「勝手神社」が有ります

龍門の滝

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龍門の滝
 上中下3段からなる滝です 撮影日;2013.05.18

 この滝では久米、大伴、安曇の仙人がここで仙術の修行をしていたと伝えられています
 滝の少し手前には、『久米仙人窟跡』の石標が立てられています

 竜門岳の南麓を流れる吉野川の支流に有ります
 上中下段とも10m前後の高さが有ります(総高さ23.6m)
 下段は龍門の滝に含めないのかもしれません
 その場合は2段で24mほどです
 
龍門の滝上段 龍門の滝中段 龍門の滝下段

 中段の滝壺脇には、松尾芭蕉の句碑が有ります
 「竜門の 花や上戸の 土産つとにせん 酒飲みに 語らんかかる 滝の花」
 ここでお酒を酌み交わしながら詠まれたようですね
 元禄元年(1688)に、俳聖松尾芭蕉が訪れています 

久米仙人窟跡 松尾芭蕉の句碑

 滝のすぐ上には、史跡となっている竜門寺塔跡が有ります

★所在地;吉野郡吉野町山口
★交通;近鉄大和上市駅より バスで「山口」下車 徒歩35分ほど
★駐車場;登山道途中にスペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

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