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Channel: 奈良の名所・古跡
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杉山瓦窯跡

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杉山瓦窯復元2号窯
 杉山古墳の前方部斜面を利用して窯が6基作られています 撮影日;2013.12.14

 大安寺の瓦を焼くための瓦窯跡です
 奈良時代末から平安時代にかけて用いられていました

杉山2号瓦窯説明版 杉山瓦窯跡説明版 杉山瓦窯跡復元施設

 古墳の南西には、そのうちの2号瓦窯が復原されています
 窯では一度に500枚前後の瓦が焼かれたようです 

★所在地;奈良市大安寺4
★交通;奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩5分
★駐車場;大安寺の駐車場を利用(無料)
★入場料;無料
★開園時間9:00〜17:00 (休日;月・水・金)
★問合せ;0742-33-1821(市埋蔵文化財調査センター)


杉山古墳

坂尻塚古墳

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坂尻塚開口部
 小型の石室が一基開口しています 撮影日;2013.12.15

 小さな山間の集落・崖面下に築かれています
 3基の塚とされていますが、単独墳のようです

 石室は花崗岩の石材を積上げたもので、長さ3.6m・幅約0.8m・高さ1.2m
 入口部は高さ1m・幅66cm
 無袖式の小型の横穴式石室です
 4枚の天井石が用いられています

 築造は7世紀中頃の終末期と思われます

坂尻塚奥壁 坂尻塚天井石

坂尻塚露出石材 墳丘は平にならされ、一部は畑として利用されています
 開口石室のやや左後方に石材が露出しています
 ここが奥山1号墳「坂尻塚」とされる古墳「17C-134」です
 

★所在地;高市郡高取町坂尻806
★交通;近鉄葛駅下車 徒歩1.5kmほど
★駐車場;近くにスペース有り
★見学;民家脇から見学できます(墳丘に上がる場合は声をかけた方が良いでしょう)
★問合せ;

 ここから北東へ山道を行くと船倉弁天神社
 南の山道を行くと大和清九郎の墓が有ります


坂尻塚
 参考;丹生谷の古墳について

久里垣内古墳

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久里垣内古墳?
 昭和8年に見つかった飛鳥時代の古墳です 撮影日;2013.12.15

 径10m程の円墳「17C-115」です
 竹薮開墾の際に横穴式石室が見つかり、末永雅雄博士が調査されています

 発見のときすでに石室は破壊されていました
 側壁石の右壁四枚と左壁2枚が残っていたようです
 石室の大きさは玄室幅約2.5m・長さ約4.3m、羨道は失なっていました

 玄室内の中央部に長さ約2m・幅約1mの板石があり、四方には組合せ式箱形石棺の側石の一部が残っていたようです
 石棺内には礫石が敷かれていました

 木棺の釘と思われる木質の錆着いた鉄釘数本と土器が見つかっています
 土器は須恵器で坩・蓋付高杯・高杯破片・台付長頸壺各l個及び壺形土器2個

久里垣内古墳墳丘? 久里垣内古墳前 

 供養碑が建っているとのことですが、有りませんでした
 場所が違うのでしょうか??

★所在地;高市郡高取町丹生谷
★交通;近鉄葛駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由 (墳丘らしき高まりのみです)
★問合せ;

 急潤う北東下に春日神社が鎮座しています

音浄ヶ谷遺跡公園

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音浄ヶ谷遺跡公園
  音如ヶ谷遺跡公園として公園整備されています 撮影日;2013.11.24

 昭和54年の発掘調査によって4基の瓦窯跡と数棟の堀立柱建物が発見されました
 瓦の文様から「法華寺」の創建瓦を焼いた窯であることが判りました

 2基の瓦窯跡レプリカ(原寸大)が設置されています

音如ヶ谷瓦窯跡 音如ヶ谷瓦窯跡2

 木津川市では音如ヶ谷瓦窯跡・鹿背山瓦窯跡・市坂瓦窯跡・梅谷瓦窯跡の4ヶ所の瓦窯跡が、歌姫瓦窯跡を含め、総面積約3万8千平方メートルの「奈良山瓦窯跡」として国の史跡に指定されています

★所在地;木津川市相楽台7丁目
★交通;近鉄高の原駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入園料;タダです
★休館日;無休
★問合せ;

上人ヶ平遺跡

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上人ヶ平遺跡
 弥生時代から室町時代にかけての複合遺跡です 撮影日;2013.11.24

 上人ヶ平古墳群と奈良時代の市坂瓦窯跡・瓦工房跡を中心に遺跡公園として整備されています
 平成22年に公開されました

 台地上に造られた奈良時代の瓦工房跡が有りました
 台地上で13棟の掘立柱建物跡や井戸、土坑などが検出されています

 上人ヶ平古墳群は1・5号墳のみ墳丘が残っていました
 7・8・20号墳の墳丘が復元されています
 6号墳は、その上に奈良時代の瓦工房跡の建物が復元されています
 1号墳は、公園外に保存されています

上人ヶ平5号墳 上人ヶ平7号墳

 5号墳は方形の造り出がある径22mの円墳です
 作り出しを含めると全長26m
 2段築成で周溝あり、上段斜面と作り出し部に葺石がありました
 1段目と2段目の間のテラス部と周溝の外側に埴輪列がめぐっていました 
 埋葬部は不明
 5世紀後半の築造と推定されています

 7号墳は一辺10mの方墳
 8号墳は一辺13mの方墳
 埋葬部は7・8号墳ともに木棺直葬

 6号墳は一辺11mの方墳、14号墳は一辺7.6mの方墳、15号墳は一辺10.4mの方墳
 埋葬部は完全に失われていましたが、形象埴輪を含む多くの埴輪が出土しています

 20号墳は、復元後「展望の丘」となっています

市坂瓦窯跡 市坂2号瓦窯跡 

 隣接する谷部には市坂瓦窯跡があります
 2号窯と8号窯が調査されて石組で表わされています

 関西学研都市整備に伴って1984年に調査が開始されました

 市坂瓦窯跡は幅10mの狭い谷の両岸斜面に8基の窯が築かれていました
 奈良時代後期のものと考えられている

 この工房では、都城の造営という瓦の大量需要を賄うため、大量の製品を効率よく生産するためのシステムが整えられていました
 長大な東西棟建物(9間×4間)が生前と南北に4棟並ぶ堀立柱建物群は、それぞれほぼ軒を接しており、建物の内部空間は、さながら大工場の内部を想起させます
 
 半地下式のロストル式平窯だったと考えられています
 ほぼ同時期に8基の窯が効率よく創業していたようです
 また、古墳の周濠を利用して、粘土を捏ねたりしたことも分かっています

★所在地;木津川市州見台8丁目-1(上人ヶ平遺跡公園)
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「洲見台八丁目」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★入場料;タダです
★問合せ;0774-75-1233

高麗寺跡

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高麗寺跡史跡碑
 日本最古といわれる飛鳥寺と同じ瓦が出土しています 撮影日;2013.11.24

 昭和15年に国の史跡に指定されています
 金堂・塔等の土壇・礎石が残っています
 また字名に「高麗寺」という古代寺院名を残す珍しいケースです

高麗寺金堂跡 高麗寺跡塔心礎

 伽藍配置は西に金堂・東に塔・周りを回廊に囲まれた法起寺式で、白鳳期から平安期まで存続したようです
 高句麗から渡来した狛氏の氏寺だったと推測されています

 創建時には飛鳥寺と同じ軒瓦が使われたとされ、その後の造営で川原寺と同じ軒瓦が使われました
 寺名は奈良時代の『日本書紀』や平安時代初期の説話集『日本霊異記』、平安時代後期の説話集『今昔物語』などにも登場します
 高麗寺の渡来僧・栄常にまつわる記述があるそうです

高麗寺講堂跡 高麗寺跡講堂楚石 高麗寺跡講堂楚石2

 木津川を見下ろす台地上に建てられており、周辺には高麗寺瓦窯や高井手瓦窯が存在し、諸堂塔に葺かれた瓦を生産していたようです
 北方には高麗寺造営氏族の居館跡と考えられる大規模な「上狛東遺跡」が発見されています 
 
高麗寺南門跡 高麗寺跡

★所在地;木津川市山城町上狛高麗寺
★交通;JR上狛駅下車 徒歩7分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;0774-72-0501(木津川市役所)

山城郷土資料館

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山城郷土資料館
 南山城の歴史資料・考古資料・民俗資料等の保存及び展示をしている資料館です 撮影日;2013.11.24

 企画展や特別展、セミナー・各種講座などのイベントも開催されます
 南山城地域の歴史ある文化に焦点を絞って、研究と広報を進めている京都府立の施設です 

山城郷土資料館石棺レプリカ 山城郷土資料館前の碑

★所在地;木津川市山城町上狛千両岩
★交通;JR上狛駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料; 大人 200円〜
★休館日; 月曜日
★開館時間; 9:00〜16:30
★問合せ;0774-86-5199 ふるさとミュージアム山城(京都府立山城郷土資料館)


 参考;邪馬台国大研究のページ
大阪城の残石
 進入路の途中に「大阪城の残石」が有ります
 この石材は、徳川幕府が1620(元和6)年から行った大坂城の改築のときに、津藩の藩主藤堂高虎が、現在の加茂町から切り出した大坂城修築用のもので、貴重な歴史資料として、多くの方々に見学いただけるよう、平成元年11月からこの場所に設置しています
 多くの石材が木津川を下って大阪へ運ばれましたが、そのなかには、のちの修理に使うために現地で備蓄されたものもありました
 その石材は今でも木津川の中に残されています 案内板より 

上狛天竺堂1号墳

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上狛天竺堂1号墳 移築石室
 石室の基底部が移築保存されています 撮影日;2013.11.24

 1999年に高齢者福祉施設「ぬくもりの里」建設現場で見つかった古墳です

 上狛天竺堂1号墳は、全長27mの帆立貝式の前方後円墳です
 墳丘はほとんど消滅していました
 後円部の径24mで、二段構築されていたようです

 主体部は、古い形態の右片袖式の横穴式石室です
 舟形木棺と組合式小石棺が収められていたようです

 豪華な装飾品や形象埴輪が出土しています
 遺物として、五獣形鏡・玉類・銀飾鋲付鉄地金貼剣菱形杏葉・鉄剣・鉄刀子など
 被葬者は女性だったと考えられているようです
 築造は5世紀末頃と推定されています

上狛天竺堂1号墳 上狛天竺堂遺跡

 2・3号墳も検出され、古墳群を構成しています 

★所在地;木津川市山城町上狛天竺堂1-1
★交通;JR上狛駅下車 徒歩10分
★駐車場;
★見学;見学自由
★問合せ;

 施設手前の階段を登った所に保存されています


大智寺の地蔵石仏

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大智寺地蔵堂
 大永年代(1521〜26)の記銘がある地蔵石仏です 撮影日;2013.11.24

 舟形光背を持つほぼ等身大の定型地蔵立像です
 境内の覆堂にまつられ、足元に小石仏を従えています 

大智寺地蔵石仏 大智寺十三重石塔

 地蔵堂の傍ら、小さな木立の脇には十三重の石塔が有ります
 基壇には枠取りをした中に格狭間を造り出す
 初層軸部の北面と西面には舟形光背の中、四方仏のを半肉彫り、東面と南面には金剛界四仏の種子を刻み込んでいます
 この石塔は南北朝時代の造立だそうです
 以前は、今有る場所より東南の場所に倒壊していたそうです

初層軸部金剛界四仏の種子 初層軸部四方仏

 境内には見事な桜の古木もあります

★所在地;木津川市木津雲村42-1 (大智寺
★交通;JR木津*駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由 (本堂拝観は、事前予約必要)
★入山時間;9:00〜16:30

木津総墓五輪塔

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木津総墓五輪塔
 とても大きな五輪塔です 撮影日;2013.11.24 

 鎌倉時代後期の正応5年(1292)の造立です
 昭和32年2月19日に重要文化財に指定されました

 伝承では、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために建立されたとされます
 この五輪塔は、古い惣墓全体の総供養塔として造立されたそうです
 (惣墓とは、庶民個人の墓が普及する以前の共同墓地のこと)
 
 現在は五輪塔と観音石仏や小石仏・板碑などが残されるだけですが、かつて約千坪(3000基)の広大な墓地が広がっていたそうです
 墓地は、昭和7年東方斜面(東山墓地)に移転しています

木津総墓跡
 五輪塔背後に並ぶ石像中央に十一面観音石仏が有ります
 右手錫杖・左手宝瓶蓮華の所謂長谷寺型で像高約1m足らず
 紀年銘はありませんが、室町後期の作のようです

★所在地;木津川市木津清水
★交通;JR木津駅下車 徒歩6分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;

伊丹宮古墳(仮)

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14B-184開口部
 無名墳ですが、巨石を使った石室が有ります 撮影日;2013.12.22

 近接して3基の古墳が築かれています
 こうぜ古墳の東約150m・小さな谷を2つ挟んだ尾根の先端部付近に在ります
 
 遺跡地図の「14B-184」は、径11mの円墳です
 墳丘は残っていますが、封土はかなり崩れています

14B-184墳丘 14B-184奥壁 

 南に開口する横穴式石室が有ります
 巨石を使った見ごたえある石室です
 玄室は長さ4m・幅2m・高さ3mほど
 羨道部は幅1.2m・高さ50cmほど、長さ不明
 天井石は1枚で、とにかくでかい石です

14B-184袖部 14B-184天井石 

 すぐ東側に、径1.5mほどの円形の穴が有ります
 これも古墳でしょうか?

 尾根の先端部にも石室が開口する古墳「14B-247」が有ります
 開口部は非常に狭く、内部の様子は分かりませんでしたが、立派な石室が残っているようです

14B-247墳丘 14B-247開口部 14B-247石室内

 いずれも調査はされていないようです
 遺物の報告もありませんが、7世紀初め頃の築造でしょう

★所在地;桜井市浅古字伊丹宮
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで浅古下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★見学; 自己責任で
★問合せ;

 ものすごい薮で、たどり着くのはたいへんでした


 秋殿古墳群(秋殿南古墳こうぜ古墳)東側、舞谷古墳群の西側に有ります
伊丹宮古墳 伊丹宮古墳遠景
     ↑南から↑                   ↑西から↑
 ≪行き方≫
 桜井中学校の北側の尾根先端に小さな小屋が見えます
 伊丹宮古墳(仮)は尾根の西側に有りますが、現状ものすごい笹薮で侵入は難しいです
 小屋の裏を通って、尾根の東側に回ると、何とか尾根に登っていける場所が有ります
 登るとすぐ「14B-247」です
 墳丘を乗り越えて、左手の斜面を下っていくと小さな墳丘が見えます
 (狩猟対象地区なので、見学はじゅうぶんに注意が必要です)

高田袋谷古墳群

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高田袋谷古墳群の開口している石室
 メスリ山古墳南方の丘陵に30基以上が群集しています 撮影日;2013.12.22

 通称、墓山と呼ばれる丘陵と谷を挟んだ南側の丘陵に有ります
 墓山の尾根上に前方後円墳一基と円墳が数基並んでいます
 その南斜面に石材が露出した所がいくつか有ります

 その内の一基「14D-169」、南に開口していて奥壁部分が残っています
 朽ちた木や竹や落ち葉などが入り込んでいて、どこからが石室なのかはっきりせず、規模は定かではありません

 何とか入室は可能です
 現存する玄室部分は、長さ1.5m・幅1.5m・高さ1m程です
 墳丘ははっきりしていません

高田袋谷古墳の盗掘穴 14D-169の開口部

 すぐ西横は産廃処分場の道です
 産廃処分場が南東側(サッカー場も有ります)に広がっているため一部消滅  

★所在地;桜井市高田字墓山・袋谷
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで浅古下車 徒歩12分
★駐車場;墓山の北東にスペース有り
★見学; 見学自由
★問合せ;


 南側丘陵部の31号墳からは銀環・鉄釘・棗玉・須恵・黒色土器・瓦器などが出土したようです
高田袋谷墓山 高田袋谷古墳金環
  北東側から見た墓山↑         11号墳から出土した金環↑

神明神社裏山古墳

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神明神社裏山古墳後円部
 文字通り神明神社の裏山にある古墳です 撮影日;2013.12.29

 全長45m、後円部径28mの中型の前方後円墳です
 前方部をほぼ西に向けています
 前方部はやや崩れていますが、後円部は比較的保たれているようです

 後円部南側に横穴式石室が在ったようです
 石材抜痕穴があるとのことですが、どこか分からず
 築造は7世紀後半

神明神社裏山古墳遠景 神明神社

 南東側に墳丘を接して径10m程の円墳「13C-4」が有ります
 南に開口する横穴式石室が在ったようで、大きな盗掘坑が有ります

★所在地;葛城市太田83(神明神社
★交通;近鉄「磐城」駅より バスで「如意」下車 徒歩3分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;

 400mほど北に芝塚古墳が有ります
 西には平林古墳、南には弥宮池古墳群や太田古墳群が有ります

弥宮池公園

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弥宮池
 弥宮池は防災用の溜池 撮影日;2013.12.29

 古くから灌漑用の溜池として使われていましたが、老巧化が激しく決壊の危険があった為昭和61年に改修工事が始まりました
 平成元年に改修工事が終わり、周囲は弥宮の丘公園として整備されました

 提長は132m、提高13.5m、提幅5.5m
 池提からは大和三山も見渡せます

 池中には噴水も有り、周遊道も有ります

弥宮池堤 弥宮池より

★所在地;葛城市太田
★交通;近鉄磐城駅より バスで「太田」下車 徒歩10分
★駐車場;有ります
★入場料;タダです
★開園時間;all time
★問合せ;

弥宮池西1号墳

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弥宮池西1号墳
 以前から墳丘の半分が崩れ落ちて、斜面から石棺が露出していました

 石棺は凝灰岩をくり抜いた構造で、長さ約1m・幅約50cm・高さ約40cmの小型の棺です
 横穴式石室の一部も確認され、石棺を横穴式石室に納めた構造が明らかになりました
 石棺は内側に朱が塗られていました
 町教委は「地域の豪族に仕えた官僚の墓ではないか」と話しています
 過去の調査で、石棺内部には人骨の一部があることが確認されています

弥宮池西1号墳南面 弥宮池西1号墳石棺1

弥宮池西1号墳露出石棺 弥宮池西1号石棺2 弥宮池西1号骨
 画像は葛城市歴史博物館のパネルより(2013.06.23撮影)

 弥宮池西1号墳は径約18m・高さ約3mの円墳です
 6世紀後半〜7世紀初めの築造と考えられています

 調査後に転落防止の為埋め戻されています

弥宮池西1号墳現状
 行ってみました(2013.12.29) ↑↑ 現在の状況です

 弥宮池から、急な山道を西南西に昇っていくこと約15分
 弥宮池西1号墳↓墳丘に到着
弥宮池西1号墳丘 弥宮池西2号墳石材
 1号分の崩れた斜面の反対(南)側に2号墳の石材↑ 

★所在地;葛城市太田
★交通;近鉄「磐城駅」駅より バスで「葛城消防署」下車 徒歩40分
★駐車場;なし
★問合せ;

弥宮池西古墳群位置図
 1号墳の50m程先に3号墳が有ります
 石材が数個転がっているだけです
弥宮池西3号墳 弥宮池西3号墳石材

 弥宮池の南東の小さな公園前に↓登山口が有ります
弥宮池西古墳登山道入口 弥宮池西古墳手前の木
 ほとんど道なりに昇っていくと、根元が曲がった木↑が有ります
 この木が見えたら直ぐです

芦田池

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芦田池地蔵堂
 聖徳太子の4つの溜池の一つと言われます 撮影日;2013.12.29 

 「日本書紀」に、聖徳太子の進言によって、推古天皇15年(607)の冬に大和の国に新しく4つのため池が造られたと有ります
 「肩岡池、高市池、藤原池、菅原池」の一つで、肩岡池の伝承地せす
 日本最古の官立の「ため池」です

 本町の辺りは昔から葦田と呼ばれ、葦が茂っていたことから放光寺古今縁起には葦田池と書かれていました

芦田池 芦田池畔

 この地は歌の名所として、数々の名歌が残されています
 あすからは 若菜つまむと 片岡の あしたの原は けふぞやくめる「柿本人麻呂」
 あしたの原とは、葛城山から馬見丘陵にはさまれた葛下川流域一帯をさしたようです

 少し北の民家の一角に大日堂が有ります
大日さん 大日堂
 大日さんと呼ばれています
 鎌倉時代の阿弥陀如来坐像が高さ150cm程の石に線刻されています

★所在地;北葛城郡王寺町本町4丁目
★交通;JR・近鉄王寺駅より バスで「王寺本町四丁目」下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;

乳たれ地蔵

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乳たれ地蔵尊
 母乳の出が良くなるとして信仰を集めているそうです 撮影日;2013.12.29

 「ままかけ地蔵」「ままだれ地蔵」と呼ばれています
 推古天皇の乳母の乳の出が悪いのが、祈願により出が良くなったと伝承されています

 小さな祠の背後に石龕が置かれ、その中に三角形の自然石が祀られています
 本来は大峰山上講のような修験道や山岳信仰の遺品であったと考えられます
 宝歴14年(1764)の石灯篭も有ります 

 別の説では、片岡新之助という殿様の乳母の乳が出なくなったので、城内の庭石を一心に拝んだらまた乳が出るようになった
 その石を地蔵さんとして祀ったとも伝わります

乳たれ地蔵説明版 

 右横に役行者石像が祀られています
 総高60cm程の自然石製で役行者坐像を肉彫りしています
 (もとは別の地に有ったそうです)

 左側には六斉念仏碑が立っています
 左側に慶長14年(1609)銘、右側に天正4年(1576)銘が有ります

 境内隅には、担げ石が置かれています 
 昔、若い衆が担いで力競べをした石だそうです

役行者石像 名号碑と石仏
 8月23日に回向及子供地蔵会式が行われます

★所在地;北葛城郡王寺町本町4丁目
★交通;JR畠田駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学; 見学自由
★問合せ;

片岡氏の石碑

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片岡氏の石碑
 片岡城を築いた片岡国春の墓と伝承されます 撮影日;2013.12.29

 花崗岩製の高さ1mの石標は、舟形の石材に五輪の塔を浮き彫りにしています
 墓域には磨耗した板碑や五輪塔の残欠も有ります

片岡氏の五輪板碑 香滝墓地石仏

 片岡城は、戦国時代の永禄年間に築かれています
 (片岡城跡、参照;武家家伝-大和片岡氏

 この場所には、片岡氏の菩提寺が前身とされる「雲分寺」が有りました
 以前は「香滝山雲蒸寺」、明治維新までは「光隆山雲蒸寺」と号していました
 古くは片岡氏香花寺
 「雲分寺」は共同墓地の墓寺でした

 他にも古い墓碑や石像が多く有ります 

★所在地;北葛城郡王寺町畠田1丁目
★交通;JR畠田駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります
★問合せ;

史跡高井田横穴公園

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高井田横穴群
 高井田横穴は6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られました 撮影日;2014.01.05

 調査で約160基が確認されています
 実際は200基以上あるものと推定されています
 横穴は、凝灰岩をくりぬいて造られており、奥にある玄室には、3体ほどの遺体が納められたと考えられています

高井田横穴 高井田横穴石棺

 大正6年に発見され、大正11年に国の史跡に指定されました
 線刻壁画が描かれている横穴も有ることで全国的に有名です
 
高井田横穴石棚 線刻壁画レプリカ

 平成2年に史跡範囲が追加指定され、平成4年、追加指定範囲を含む周辺一帯、約3万6千平方mが史跡高井田横穴公園として整備されました

 公園内には、古代に住居跡をしるした「ふるさと広場」や近くの廃寺の礎石、展望所も有ります

史跡高井田横穴公園ふるさと広場 史跡高井田横穴公園廃寺礎石
★所在地;柏原市高井田1598-1
★交通;JR高井田駅下車 徒歩10分
★駐車場;
★見学 入場料;無料
★休館日;月曜日、年末・年始(12月29日〜1月5日)
★開館時間;9:30〜16:30
★問合せ;072-976-3430 柏原市歴史資料館のホームページ

 柏原市歴史資料館
柏原市歴史資料館
 地域の古墳、古代寺院などの遺跡から発掘された考古資料と、寄贈された民俗資料を中心としてわかりやすく郷土のあゆみをたどることができるように展示されています
 年4〜5回特別展示も開催されます 


史跡高井田横穴公園

高井田山古墳

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高井田山古墳石室
 平尾山古墳群の高井田支群第2支群56号墳です 撮影日;2014.01.05

 盛土の大半が流失しており、前方後円墳の可能性も有りますが、径22mの円墳と推定されています

 発掘された横穴式石室が覆屋を架けて保存展示されています
 扁平な板石を積み上げて築かれた片袖式横穴式石室です
 玄室の規模は、長さ3.73m、幅は奥壁部2.34m・玄門部2.26m
 高さは奥壁の残存部で約1.3m
 羨道部は長さ約2.0m、幅は玄門部1.18m

高井田山古墳 高井田山古墳墳丘

 石室内からは円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋形埴輪が合わせて9個体分出土
 玄室には2つの棺が置かれていたようです
 中央に置かれた棺の位置から純金製耳環1個、鉄刀1口が検出
 東側壁側に置かれた棺からは、神人龍虎画像鏡1面(中国鏡 直径20.6cm)、熨斗1口、純金製耳環2個、鉄刀1口、刀子2口、ガラス玉が5群に分かれて検出
 他に、槍・矛・鉄鏃多数・横矧板鋲留衝角付冑・頸甲・肩甲・小札・馬具である鐙の破片・?具・鎌・釶・刀子・金銅片・須恵器多数・土師器などが出土 

 出土品は2008年に一括して柏原市指定有形文化財に指定されている
 築造は480〜490年頃と推定されました
 平尾山古墳群や高井田横穴墓群より半世紀近くも先行する時期の古墳です

★所在地;柏原市高井田(史跡高井田横穴公園内)
★交通;JR高井田駅下車 徒歩10分
★駐車場;有ります(7台程度)
★見学;見学自由
★問合せ;072-976-3430(柏原市教育委員会 生涯学習部 文化財課)


高井田山古墳石室内遺物
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