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Channel: 奈良の名所・古跡
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太鼓山古墳「伝安積親王墓」

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太鼓山古墳
 周りは見事な茶畑です 撮影日;2015.07.02

 太鼓山と呼ばれる小山の頂部に築かれています
 径8m・高さ1.5mほどの円墳

 円墳の周囲を瑞垣で囲っていますが、北側が不自然です
 岩が露出していて、造り出しあるいは短い前方部が有るように見えます
 古墳だとすると、5~6世紀頃の築造でしょうか?

太鼓山古墳石塊 伝安積親王墓背後

 安積親王の和束墓として宮内庁が管理しています
 この陵墓は、墓域面積が988平方m
 参道は92m有ります

 戦前までは、この陵墓の周辺は松林で、参道の両側には大きな老松がうっそうと茂っていたそうです
 戦後、茶業の振興のため老松は伐採され、太鼓山は美しい茶畑に変わりました

太鼓山古墳「伝安積親王墓」参道 伝安積親王墓

 安積親王は聖武天皇の第五皇子で、744年17歳で死去
 平城京・恭仁京と紫香楽宮とを結ぶ街道を愛した皇子のために、この地を陵墓として葬られたと伝わる

★所在地;相楽郡和束町白栖
★交通;JR加茂駅より バスで「和束山の家」下車 徒歩2分
★駐車場;近くの和束運動公園に有り
★見学;参拝自由 (お茶の収穫期注意)
★問合せ;


北王塚古墳「伝橘諸兄公墓」

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伝橘諸兄公墓
 墳丘上に橘諸兄公旧蹟の大きな石碑がと供養塔が立てられています 撮影日;2015.07.02

 周囲は竹林に開墾されていて、古墳は原形を留めていません
 規模や墳形も不明です

 昭和49年に調査され、発見された埴輪から6世紀初期の築造と推定されています
 埋葬施設も不明です

 字名から南開古墳とも呼ばれる?ようです
 墳頂は平になっていて、井堤保勝会の「井手左大臣橘諸兄公墳の碑」が立てられています

伝橘諸兄公墓碑 北王塚 北王塚古墳 

 この付近には、6世紀から7世紀初期(飛鳥時代から奈良時代にかけて)の古墳群が多く在ったようです
 近代以降、孟宗竹の栽培が盛んになり、墳墓は破壊され、遺構の確認はできなくなっています


 橘諸兄公由緒 =現地の石碑より=
 公は天武13年(684)生。父・美努王、母・県犬養三千代、敏達天皇五世の孫、光明皇后の異父兄である。 本の名は葛城王、のち母の氏を賜って橘諸兄、井手に住して井手左大臣と号す。
 天平10年(738)より右大臣、同15年(743)左大臣となり、天平勝宝8年(756)致仕するまで奈良時代の全盛期を首班として生きた大官である。
 この間に聖武天皇の相楽別業(諸兄の井手にあった別荘)・玉井頓宮への行幸・恭仁京遷都・大仏建立・開眼供養などがあった。
 また、この地には別業のほか、井堤寺を建立。
 清涼な玉川を愛し山吹を植え続けたので、多くの文学に見える「名所井手の里」を生み出した。
 聖武上皇崩御翌年の天平勝宝9年(757)正月6日薨す。齢74。

井手火山灰層 井手火山灰層前 

 井墳墓の近くに井手火山灰層という地層が崖地に露呈しています
 150万年前(新生代、第四紀、更新世)、長野で起きた大規模な火山噴火により降灰があり、それが堆積したものだそうです

★所在地;綴喜郡井手町井手南開
★交通;JR玉水駅より 徒歩20分
★駐車場;スペースあり
★見学;自由
★問合せ;

村上義光公の墓

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村上義光公の墓

 村上義光公は、南朝の大塔宮護良親王の身代りとなって割腹した人です 撮影日;2015.07.25
 時は、元弘3年(1333)吉野城が落ちる時

 その義光の首を検分した北条方が大塔宮でないことを知り
 ここに捨てられたのを里人が弔って墓としたと伝えられます

不動坂 義光公墓前の鎧兜 義光公宝篋印塔

 不動坂を登りつめた丘の上に立つ宝篋印塔が義光公の墓です
 墓の右脇に、天明3年(1783)に大和高取藩士・内藤景文によって建立された「村上義光忠烈碑」が有ります

★所在地;吉野郡吉野町
★交通;近鉄吉野神宮駅より 徒歩40分
★駐車場;吉野山下千本駐車場がすぐ近くです
★見学 入場料;自由
★問合せ;

 吉野神宮から1kmほど登っていくと有ります



 村上義光公は信濃源氏の末裔で、息子の義隆公も護良親王に殉じました
 村上義隆公の墓所は勝手神社から南西約1.5kmの路傍に有ります
 
村上義隆墓

 太平記によりと、吉野城が落ちようとする時、護良親王を落ち延びさせるべく義光公は親王の鎧兜を半ば奪うがごとく我が身につけ、高櫓に仁王立ちにて「吾こそ親王なり。天照太神御子孫、神武天王より九十五代の帝、後醍醐天皇第二の皇子一品兵部卿親王尊仁、逆臣の為に亡され、恨を泉下に報ぜん為に、只今自害する有様見置て、汝等が武運忽に尽て、腹をきらんずる時の手本にせよ」と言われ親王の身代わりになって壮烈な自刃を遂げたとの事です
 今生の別れに際して、護良親王は「私がもし生き延びられたら、お前の後生を弔はう。共に斃れた其の時は、冥途の旅路にも伴ふぞ」と仰せになったそうです

 この時、息子の義隆は護良親王とともに行きますが、吉野から高野山に向かう街道を防ぐためとどまって奮闘しますが、力つきて割腹したと伝えられています
 時は元弘3年閏2月1日(1333年4月15日)で、わずか18歳だったそうです

鶴姫公園

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鶴姫公園展望パノラマ
 展望棟からは東西南北360度見渡せます 撮影日;2015.08.23

 公園入り口に野迫川村総合案内所が有り、展望棟がある山頂まで約1km
 山の斜面には桜の木やアジサイが植えられています
 風力発電機が三機有りますが、動いていないようです

 標高は1180mで、天体観測地としても有名だそうです

鶴姫公園ゲート 鶴姫公園

 展望棟の1階は鶴姫館
 鶴姫伝説がパネル表示されています
 展望棟からは東西南北360度見渡せます 

展望紀伊水道 展望熊野灘
展望高野山 展望大阪

 展望棟背後の檜股山山頂(二等三角点が有ります)には、鶴姫の墓と観音像が有ります

 鶴姫の悲歌
 哀愁をそそるひえつき節に「庭のさんしゅの木に、鳴る鈴かけて鈴の鳴るときゃでておじゃれ、鈴の鳴るときゃなんというてでよか、駒に水呉よと、ゆうて出ましょ、那須の大八鶴姫捨てて椎葉立ときゃ目に涙」とあります
 壇ノ浦の戦いに敗れ椎葉村に落ち延びた平家一門を滅ぼそうと、那須与一の弟大八朗が椎葉村につく。
 ところが、そこには木の実、草の根を食べひっそりと暮らす一門の姿があり、幕府の命に従わずついには、平家の出である鶴姫(富姫)と恋仲におちいる
 時を経て、為頼に助けられた二人は鎌倉に戻るが、大八朗は熊野に左遷される
 鶴姫はやるかたなき慕情を胸に秘め、鎌倉より熊野へ何度も「水が峯」の尾根を越え大八朗に会いに行く
 「たずねきし身に浮き雲のめぐりきて、月のさわりになるぞ悲しき」鶴姫は裳裾絞り歌を読む
 しかしそれもむなしくこの地に露と消える

鶴姫の墓

★所在地;吉野郡野迫川村檜股64-22 野迫川村総合案内所(兼鶴姫レストラン)
★交通;奥高野の高野龍神スカイライン沿いに有ります
★駐車場;有ります
★見学 入場料;無料
★問合せ;0747-37-2100


鶴姫公園鐘 鶴姫公園展望所

弓手原の春日杉

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弓手原春日杉
 神社境内に巨杉が林立しています 撮影日;2015.08.23

 本殿の前に有る巨樹は、春日杉と名付けられています
 野迫川村指定文化財です (昭和53年3月31日指定)

 樹高30m・目通り周囲4mほど有ります

弓手原春日杉幹 弓手原春日杉姿 

 春日神社から弓手原川本流の上流域は、天然イワナの生息地として天然記念物の指定を受けています

★所在地;吉野郡野迫川村弓手原180付近 MAP
★交通;地図参照
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

檜股天分神社桧の巨樹

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檜股天分神社桧の巨樹
 檜股天分神社本殿背後に有ります 撮影日;2015.08.23

 地名の由来と云われるヒノキの巨樹です(村指定天然記念物)
 高さ3mのところで、二股に分かれています
 幹周5.7m・樹高23m

檜股天分神社の本殿 檜股天分神社桧の巨樹姿 檜股天分神社桧の巨樹二股

 斜面に生えており、根が浮き上がっています
 地面の下は岩盤でしょうか?他にも根が浮き上がっている木が数本有りました 

★所在地;吉野郡野迫川村檜股 MAP
★交通;地図参照
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

長慶天皇陵(弓手原)

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長慶天皇陵
 長慶天皇陵は全国にたくさん有るようです 撮影日;2015.08.23

 長慶天皇は後村上天皇の第一皇子で南朝の第三代天皇です
 長らくその即位が疑問視されてきた幻の天皇でした
 大正15年に詔書によって長慶天皇は第九十八代天皇として正式に皇統に加えられました

長慶天皇陵説明版 慶天皇陵墓

 野迫川村の弓手原に伝わる伝承
 長慶天皇が険しい山々を歩いて下向を続ける途中、この地に辿り着きました
 長慶天皇は長旅により疲れ果て口もきけないほど空腹となり、杖にしていた弓で腹を叩いて空腹を告げたほどだったという
 (この事に由来してこの地が「弓手原(いではら)」と名付けられたとの伝説が語り継がれています)
 その後、長慶天皇はこの弓手原の山の中で崩御されたと言い伝えられていて、墓所跡も残っていたという
 近年、この古くから地元住民に語り継がれていた長慶天皇の墓所跡の整備が行われました

★所在地;吉野郡野迫川村弓手原
★交通;弓手原春日神社から北東へ800mほど
★駐車場;スペース有り
★見学; 自由
★問合せ;

大江滝

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大江滝
 滝幅も広く水煙をあげて落ちてきます 撮影日;2015.08.23

 落差約25mの直爆です
 周りの緑もきれいです

 さらに上流に二の滝・三の滝があるそうです

大江滝正面 大江滝全景 

 県道R734沿いに有ります
 途中とても落石が多いので、走行注意です
 大江橋からのアプローチは容易です 

★所在地;吉野郡野迫川村中津川
★交通;国道168号線から県道734号線に入り 約6.5km
★駐車場;スペース1台程度
★見学;自由
★問合せ;


南都の石橋

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南都の石橋
 奈良奉行所によって南都で唯一架けられた橋です 撮影日;2015.08.29

 旧奈良街道の奈良坂の手前、佐保川に架かる石橋です
 今の所、文化財の指定は受けていません

 長さ15m
 石橋としては、かなりの大きさです

南都の石橋橋桁 佐保川

 大正時代に上面をコンクリートで舗装されたため、地元の方でも知らない人が多いです
 全国でも20番目に古い石橋だそうです
 慶安3年(1650)以前に架けられたようです

 自販機の脇から、古い橋脚が見学できます 

★所在地;奈良市今在家町
★交通;近鉄奈良駅より バスで今在家下車 徒歩すぐ
★駐車場;有りません
★見学; 自由
★問合せ;

高札場のムクノキ

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高札場のムクノキ全景
 橋本町御高札場の背後にあるムクノキです 撮影日;2015.08.29

 幹周 6.5m ・樹高 25m
 樹齢は推定1000年と云われています

高札場のムクノキ 高札場のムクノキ根元

 手力雄神社が石段上に鎮座しています

 橋本町御高札場は、昭和59年に地元橋本町自治会と南都まほろば会によって復元されました
 江戸時代に三条通りともちいどの通りの交差した「札の辻」に在ったそうです

 三条通り橋本商店街は、春日参道でもある三条通りで猿沢池に最も近く、ならまちや奈良公園への玄関口です
 かつて、町の南側を流れている菩提川に小さな橋が架かっていたことから「橋本町」という名前がつけられました
 橋本町は昔から奈良の中心地と考えられており、古くは明日香の藤原京から平城京への奈良盆地を南北に縦断する三本の幹線道路のうち、「上ツ道」と「中ツ道」が、今の橋本町の東と西で三条大路(現在の三条通り)と交わる交通の要地でした 

★所在地;奈良市橋本町
★交通;近鉄奈良駅より 徒歩5分
★駐車場;なし 
★見学;自由
★問合せ;

白藤の滝(下市)

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白藤の滝
 大きくはありませんが水勢すさまじく壮観です 

 秋野川本流に懸かる落差10mの分岐瀑です
 (橋の上からの見学になるので、落差は感じられません)
 蜻蛉≪せいれい≫の滝とも言ったようです

 滝の直ぐ上には堰堤が有ります
 
橋の上から見た白藤の滝 白藤の滝の堰堤 

 吉野の伝説≪大壷と小壷≫
 白藤の滝の滝壷を大壷といい、阿知賀の原野と岡の中間、馬草橋から50m下流の淵を小壷と呼んでいる
 この大壷と小壷の底が続いていて、ガタロ(河童)が住んでいるといい伝え、子供らが泳ぎにゆくと吸いつかれるといって、昔は近寄らなかった
 (大和下市史より)
 ・・・今も近寄れそうにないですね・・・

★所在地;吉野郡下市町下市(今在家)
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩20分
★駐車場;スペース1台程度
★見学; 自由
★問合せ;

 国道309号線沿いの下市蛭子神社の裏手の朱色の橋から上流に見ることができます

赤滝

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赤滝の岩
 名前の由来となったであろう赤い岩がきれいです

 黒滝川伊谷に架かる落差約5mの信仰の滝です
 滝横には不動尊が祀られています 

赤滝 赤滝と不動明王 赤滝堤上から

 上方は堰堤になっています
 少し上流にも小滝があります 

赤滝の流れ 赤滝の上流

★所在地;吉野郡黒滝村赤滝
★交通;河分神社より 約4.4km
★駐車場;スペースあり
★見学; 自由
★問合せ;


赤滝への降り口 赤滝の手前

久保ノ奥谷の滝

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 久保ノ奥谷は美しい小滝が連続する谷です

 看板によると、「にわとり滝」「もみじ滝」「あまずしの滝」などが有るようです

久保ノ奥谷の滝

 水道施設のすぐ下流に落差5mほどの滝が有ります
 (滝の名前はわかりません)
 二筋に分かれて流れ落ちています

久保ノ奥谷の小滝 久保ノ奥谷の小滝 久保ノ奥谷渓流

 水道施設の先からさらに登っていくと、落差10mほどの滝があり
 さらに登っていくと竜の穴が有るそうです

 県道赤滝五條線で赤滝の集落に入り進んでいくと右手にお堂と看板と車二台程の駐車スペースがあります
 長靴があれば、谷を遡上することもできます 

久保ノ奥谷手前の祠 久保ノ奥谷

★所在地;吉野郡黒滝村赤滝
★交通;赤滝の集落を過ぎてすぐです 下車後徒歩25分
★駐車場;スペースあり
★見学;自由 (足場悪いです)
★問合せ;

瑠璃宮跡石碑

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瑠璃宮跡石碑
 孝謙天皇の離宮が在った場所とされます 撮影日;2015.09.19

 瑠璃宮の名は、薬師瑠璃光如来を本尊とする薬師寺にちなんだもの
 日ごろは平城宮に住まいる天皇ですが
 時折この離宮に来て、文物に親しむ静かな時を過ごしたそうです

 孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘
 一度皇位を退いた後、再び称徳天皇として即位
 生涯2度目の皇位についた女帝として知られます

瑠璃宮跡説明版 瑠璃宮跡

 後、桓武天皇が平城京における仏教勢力の拡大を避け784年に山城の長岡京へ
 794年に平安京へ都を移した後は、すっかり廃墟同然となったそうです 

 今は静かな住宅地の中のわずかな敷地内に石碑のみを残すのみですが
 きれいに手入れされ、隠れ歴史スポットとして地元の人たちに親しまれています

★所在地;奈良市六条1-22(離宮ヶ丘町)
★交通;近鉄西の京駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;0742-22-3900(奈良市観光センター)

鷹塚山地蔵尊

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鷹塚山地蔵尊
 真の修徳天皇陵ではないかと言われています 撮影日;2015.09.19

 西大寺の北西、1.5kmほどの住宅地の中
 15mほどの高さがある小山が有ります
 高塚町にある鷹塚山よ呼ばれる丘です
 登ってみると、とても良い眺めで平城京が一望できます

 称徳天皇の高野陵であっても不思議ではありません(むしろ納得させられる場所です)
 西大寺資材流記帳の寺域には西の端の山陵八丁を除くと有り、後世の絵図には「本願天皇御廟」と有る事などから、この場所が称徳天皇の本当の陵が有った場所ではないかと推理されたそうです

鷹塚山地蔵石仏 鷹塚山大権現

 山頂には「高塚権現」の祠と、簡素な覆屋に大型の地蔵石仏が有ります
 地蔵石仏は、像高145cm
 形の良い舟形光背を負い、二重蓮台の上に立つ像高105cmの定形地蔵立像です
 顔は、風化してのっぺらぼうになってます

鷹塚山からの眺望 鷹塚山登り口

★所在地;奈良市西大寺高塚町1丁目
★交通;近鉄西大寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


旧・大阪電気軌道富雄変電所

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旧・大阪電気軌道富雄変電所
 大正3年頃(1914頃)に建てられた煉瓦造り平屋建ての建物です 撮影日;2015.09.19

 現在の近鉄電車に電力を供給していたレンガ造りの変電所だったそうです
 今は線路は高架を走っていますが、線路向きに正面扉があることから鉄道施設であると伺えます

 道路に面した側には高圧送電線を引き込む大きな穴が開いています
 裏の駐車場側には変電後の低圧電気を送り出す比較的小さな穴が開いています

旧・大阪電気軌道富雄変電所側面の高圧線引き込み穴 旧・大阪電気軌道富雄変電所の前面 

 手前にはレストランが有りましたが、閉店しています

★所在地;奈良市富雄北 1-1
★交通;近鉄富雄駅下車 徒歩すぐ
★駐車場;有りません
★見学 入場料;外観のみ見学可
★問合せ;

金魚が泳ぐ電話ボックス

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金魚ボックス
 公衆電話を改修して水槽として展示されています 撮影日;2015.09.20

 町おこしのイベントで使用したものがここに常設されるようになったそうです
 イベント中は数台あったそうですが、今はここだけだそうです

 これを見るためだけに来る価値はある?
 多くの方が足を止めて、写真撮影しています

金魚ボックス前の人だかり ボックス内の金魚 レゴの電話

 40匹ほどの金魚が泳いでいます
 中の電話はレゴ

 元ガソリンスタンドだった建物を使用し、電話ボックスの中に金魚が泳ぐ「金魚ボックス」が設置してある喫茶店『K coffee』
 隣は、重厚な建物の銭湯「大門湯」

銭湯の煙突 金魚灯篭

 紺屋町通と柳町通には、他にも灯籠形金魚鉢3基と石製の金魚鉢などが20基設置されています 

★所在地;大和郡山市柳5丁目
★交通;近鉄大和郡山駅下車 徒歩5分
★駐車場;
★見学;自由
★問合せ;

万葉の森「膳夫古池」

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万葉の森公園
 天香具山の北東麓に整備されています 撮影日;2015.09.26

 第32回全国植樹祭記念事業の一環として整備された森です

 万葉集に詠まれる植物(アセビ、イチイガシ、梅等)を植栽した万葉植物展示園が中心です
 桜展示園・紅葉展示園・花木園・水生植物園・竹林園・野鳥誘致園なども有ります
 四季折々の花が楽しめます

 遊歩道には立派な万葉歌碑が立てられています

万葉の森南入口 万葉の森歌碑

 天香具山の北東部の麓にある池は『膳夫古池』と呼ばれます
 
 「万葉の森」に隣接し、「白鷺の舞い降りる池」としてNHKTVで紹介された風光明媚なところです

 ≪かしわでの地名のいわれ≫
 古代に天皇の食事を用意した専属料理人;膳夫(かしわで)氏の一族がこの一帯に住んでいたそうです
 一族の長(おさ)を膳臣(かしわでのおみ)と呼んでいました
 古くは、食器の代わりにカシワの木の葉を使っていたことから、これらの呼び名がついたそうです 

膳夫古池 天蚕生原旧跡

 万葉の森の南側に『天の蠺生原舊蹟』の石碑が有ります

 天蚕生原旧跡・・・蚕の発祥伝説でも有るのでしょうか?
 天八千千姫久波御霊神が、桑の木を植え蚕を飼っていたのは、この辺り?

★所在地;橿原市南浦町
★交通;JR香久山駅下車 南へ徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;タダです
★休園日;なし
★開館時間;
★問合せ;

鏡作神社のイチョウの巨樹

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鏡作神社のイチョウ
 鏡作神社の境内に有ります 撮影日;2015.09.26

 推定樹齢は800年だそうです
 幹周は1mほど
 樹高は15mほどでしょうか

鏡作神社のイチョウの根

 根は荒れていますが、樹勢はいたって旺盛です
 晩秋には、落ち葉が黄色いじゅうたんとなって、見事だそうです 

★所在地;磯城郡三宅町石見650 
★交通;近鉄田原本駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;

二階滝

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上から見た二階滝
 大又川渓谷にかかる滝(直瀑)です 撮影日;2015.10.10

 落差8mの2筋に分かれて落ちるきれいな滝です
 滝下へは、急斜面を木につかまりながら降りることになります

下から見た二階滝

 国見山(明神平)への登山道ゲートから15分程度で、登山道左脇に見ることができます

 駐車場とゲートの間にも小滝をいくつか見ることができます 

大又川の小滝 大又川の小滝と石碑

 登山道をさらに登っていくと、「つわぶき滝」や「明神滝」が有ります

★所在地;吉野郡東吉野村大又
★交通;東吉野村を通る県道220号線を東進し駐車場まで
    さらにその先の林道を終点まで進むとゲートが有ります
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;

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