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Channel: 奈良の名所・古跡
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コヨシ古墳(仮)

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コヨシ古墳
 胴張り形式の石室で、奈良では珍しい形式です 撮影日;2014.01.25

 競馬道4号墳と同一丘陵上にある古墳です
 径16mの円墳 (大きな墳丘で20m以上あるように見えます)
 南側に石室が開口しています
 開口部南側にも石材がいくつか転がっています
 (羨道部の石材でしょうか?)

コヨシ古墳奥壁 コヨシ古墳天井石

 玄室の南側上部の石が抜かれて開口しています
 玄室内は楕円形(胴張り形式)になっています
 長さ約2m・幅約1.5m・高さ約1.6m(目測)
 天井石は1枚です 

コヨシ古墳開口部 コヨシ古墳石室内より

 斜面をよじ登らなければなりませんが、大きな墳丘なので見つけやすいと思います
 柳生カントリークラブの侵入路を挟んで南東の丘陵上に有ります

 以前から探していた古墳ですが、遺跡地図「6B-1」とは場所が違っていました
 競馬道4号墳に訪れて、偶然に見つけることが出来ました
 無名墳ですが、一見の価値有りな古墳だと思います 

★所在地;奈良市大柳生町コヨシ
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「興東中学校」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★見学;見学自由

 この丘陵の谷を挟んだ南東の丘陵にはゴヨシ古墳が在ります
 道を挟んだ南の丘陵(競馬道沿い北側の斜面)には競馬道1号墳競馬道2号墳も在ります


大柳生西山古墳群

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大柳生西山5号墳?
 11基ほどの小円墳からなる古墳群です 撮影日;2014.01.25

 最大の古墳は6号墳(径15mほど)で、片墓と呼ばれています
 この古墳群の盟主墳でしょう
 墳頂部は窪んで、平らになっています 

大柳生西山6号墳墳丘 大柳生西山6号墳頂

 まともな形で残っている古墳はほとんどありません
 2〜3基で、露出石材が見られる程度でほぼ破壊されています

大柳生西山古墳群へ 大柳生西山古墳群

★所在地;奈良市大柳生町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;見学自由

 大柳生のバス停前から坂を上り、茅葺屋根の家横を通って集落の裏山へ
 三角点山へ通じる林道で、道の南側に並んでいます

競馬道無名墳

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6B-2墳丘
 競馬道と呼ばれる道の南側に、2基並んで石室が開口しています 撮影日;2014.02.17

 径17mの円墳「6B-2」と径14mの円墳「6B-3」です
 畑山古墳群に含まれるのかもしれません
 「6B-3」は墳丘が明確ではなく「6B-2」の東側斜面に築かれています
 双円墳でしょうか?(前方後円墳のようにも見えます)

6B-2羨道
 「6B-2」は南に開口する両袖式の横穴式石室が有ります
 石室全長は5mほどでしょうか(いずれも目測)
 玄室長約3m・幅約1.8m
 高さは土砂が流入しているので不明ですが、楽に立っていられます
 羨道長約2m・幅1m・高さ約80cm
 玄門部はさらに低くなっていて、高さ50cmほどです

6B-2天井 6B-2墳頂 
 墳頂は大きく盗掘され、径2m程の穴が開いています
 奥壁部分の天井石1個が抜かれて、土砂が流入しています

6B-2玄室
 墳丘を接して、東側に「6B-3」が在ります

 6B-3墳丘
 「6B-3」は東に開口する横穴式石室です
 羨道部は破壊され、埋まっています
 玄門部の天井付近に穴が開いていて、玄室を見ることができます
 (50cm×50cmほどの穴なので、細身の方なら入室可能)
 「6B-2」より状態の良い玄室です

6B-3開口穴 6B-3玄室

★所在地;奈良市大柳生町バクケ
 競馬道1号墳から西200mほどの所です
★交通;近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★見学;見学自由(場所が分かりづらいかも)
★問合せ;


 2013.05.05に訪れた時の画像
 
 「6B-2」と「6B-3」の石材だと思って撮ったものです
 すぐ近くに有るのに気づかなかったのです・・・
 
 今回は、奈良市史に石室開口とある「畑山10号墳」を探しに行って見つけられず
 諦めて、丘陵を下って来た時に偶然見つけました
 


筒井城跡

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筒井城跡フェンス
 筒井氏の居城が在った所です 撮影日;2014.02.16

 筒井城は土塁を築き、堀をめぐらせた平城です
 菅田比売神社を中心に、ほぼ筒井の集落を含んだ範囲が城跡と推定されています
 小字に、シロ・ドイ・ヤシキ・堀田などの関係地名が残っています

 町内各所に内濠・外濠跡が見られます

筒井城跡碑 筒井城跡主郭 

 「筒井順慶城趾」の石碑は本郭跡の西南隅に立っています(虎口付近)

 平地部に築かれた中世の城としては大規模な城です
 文献上の初見は『満済准后日記』に、大和永享の乱が始まった永享元年(1429)です
 筒井氏の居館から、しだいに城郭へと発展していったようです

筒井城跡範囲 筒井井戸跡
 説明板転記
 筒井城は、主郭部を取り囲む内堀のほか、周囲の広い範囲を大きく外堀で取り囲む「惣構え」と呼ばれる構造を取っています。
外堀で囲まれた範囲は東西約500m、南北約400mに及ぶ広大なもので、奈良県内の中世平地式城館の中では最大級の規模を誇ります。
また、筒井城のある場所は、東西に走る奈良街道と南北方向の吉野街道が交わる部分にあたり、交通の要衝を押さえています。
城の中心となる主郭部は、この案内板があるフェンスで囲まれた区域から、東側の菅田比売神社を含む東西約120m、南北約100mの範囲と想定されます。
主郭の範囲には内堀が巡らされ、中心部に城主が住む館がありました。
発掘調査では、館に伴う大規模な石組みの井戸が見つかっています。
主郭部の北には大型の宅地割りが並んでおり、ここに筒井家の重臣が住んでいたものと思われます。
また、南には八幡神社を中核とする農村部分(垣内)を、そのまま惣構えの中に取り込んでいます。
このほか、吉野街道と奈良街道が交わる部分には、奈良街道を挟む形で南北にそれぞれ市場(商店街)がありました。
筒井城が文献に初めて現れるのは15世紀初頭のことですが、発掘調査により、14世妃中ごろにはすでに主郭を取り囲む幅約6m、深さ約2mもの大規模な堀(内堀)があったことがわかっています。
一方、筒井氏の祖とされるのは筒井順覚で、至徳3年(1386)の文献にその名が記されています。
しかし、それをさかのぽる康永2年(1343)の文献にも、筒井氏と思われる武士2名(順慎・順円)の署名があることが・近年の研究で明らかになりました。
すなわち、筒井城と筒井氏は、共こ14世紀中ごろに歴史の表舞台こ現れるということになります。
筒井城最後の城主となったのは、筒井順慶(1549-84)です。
順慶は苦戦の末、大和に侵攻した松永久秀に打ち勝ち、天正4年(1576)、織田信長によって大和国支配を任じられました。
天正8年(1580)、筒井城は織田信長の令によって破却され、筒井氏は居城をここから約3.5km北にある群山城に移しました。
                   平成26年1月 大和郡山市 

★所在地;大和郡山市筒井町
★交通;近鉄筒井駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学 入場料; 見学自由
★問合せ;


菅田比売神社

高樋古墳

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高樋古墳付近
 道路脇の斜面に石室が開口していました 撮影日;2014.02.16

 遺跡地図の「8B-143」です
 水害による崖崩れで見つかった古墳で、山麓の急斜面に横穴式石室が在りました
 (埋められているのか?見つけられませんでした)

高樋古墳
 乱石積みの横穴式石室でした
 調査時には羨道部は無くなっていて、
 玄室の残存長約1.5m・幅1.2mでした

 墳丘の規模などは不明 
 (画像は奈良市史より)


 石材が付近の道脇に並んで置かれていますが、古墳の物かどうかは不明

★所在地;奈良市高樋町字横山1300付近
★交通;JR帯解駅下車 徒歩50分
  弘仁寺のPより 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;場所?
★問合せ;

柴屋町丸山古墳

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柴屋町丸山古墳
 墳丘は削られてありませんが、田圃の畦が円く残っています 撮影日;2014.02.16

 径32mの円墳でした
 以前は高さ6mの封土が在ったそうです

 内部主体の埋葬施設が、墳頂から6m下の封土下に、厚さ約1m・径25mの範囲を覆う黒色粘土の下に、径58cmの木棺を安置してあったそうです
 木棺直葬

 遺物;鏡、勾玉、銀釧片、短甲、刀子など

柴屋町丸山古墳2
 円形の畦の内側は沼のようになっています
 ゴミがたくさん捨てられているのが残念です

★所在地;奈良市柴屋町字ナマリ
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで下山下車 北へ200mほど
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;

 350mほど南にベンショ塚古墳が有ります 

ハマリ塚

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ハマリ塚
 八王子塚とも呼ばれるようです 撮影日;2014.02.16

 現状は田圃の中に残された10m×15m程の方形土壇です
 1m程の高まり

 元の墳形は分かりませんが、削られて小さくなっているようです

ハマリ塚祠 ハマリ塚と祠 

 墳丘上と北側の田んぼの中にも小さな石祠が有ります

★所在地;奈良市北之庄町
★交通;JR奈良駅より バスで北の庄下車 徒歩7分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;

倉橋庚申堂・地蔵堂

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倉橋庚申堂・地蔵堂
 向かって右が庚申堂、左が地蔵堂です 撮影日;2014.02.20

 旧多武峰小学校の登り口に有ります
 地蔵石仏は補修されてます

倉橋地蔵堂石仏 倉橋庚申堂石仏 

 庚申堂の向かい側には、古い庚申待碑
 慶長15年(1610)銘の舟形碑と慶長12年銘の板形碑が有ります

 両脇に3体の道標地蔵が有ります
 寛政5年(1793)の石地蔵(高さ81cm)は、左を指差し「はせ/倉橋村/安兵衛」
 寛延3年(1750)の石地蔵(105cm)は、「左たふのミね 右はせみち/施主 長兵衛」
 寛政9年(1797)の石地蔵(70cm)は、「右はせ道」と刻まれています

倉橋庚申堂前石造物 倉橋庚申堂背後石仏群
 石燈籠は元治元年(1864)と宝永7年(1710)の物です
 堂の背後には小石仏が並んでいます

倉橋万葉歌碑
 福祉センター前に万葉歌碑が有ります
 「橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲」 音羽山主良慶九十八歳
 万葉仮名書きで訓は「はしだての倉橋山に立てる白雲 見まくほりわがするなべに立てる白雲」と読む(巻7-1282)

 染筆者の大西良慶和上は、明治8年(1875)妙楽寺塔頭智光院(多武峰)大西家の生れで、法隆寺、興福寺の住職をへて明治44年に第二次法相宗管長、ついで大正3年京都の音羽山清水寺に移り、昭和40年、北法相宗初代管長として宗教界につくされた
 昭和57年108歳で亡くなっています

★所在地;桜井市倉橋1166付近
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで倉橋池口下車 徒歩すぐ
★駐車場;桜井市高齢者総合福祉センターにP有り
★見学;見学自由
★問合せ;


天王山円墳(赤坂天王山古墳群)

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天王山円墳
 僅かに石室が開口しています 撮影日;2014.02.20

 径8m程の小円墳です
 南西に開口する横穴式石室が在ります
 開口部は狭く、入室はできません
 現存長で全長は約4m、開口部の幅約60cm、高さ25cmほど
 (玄室の幅は1m程、土砂が流入していて現高50〜60cm)

天王山円墳石室内 天王山露出石材
 その西側斜面にも石材が露出した所があります
 古墳でしょうか?

天王山15A-94墳丘 天王山15A-94石材
 1号墳の北東側に小さな突出部があり、そこに2基の小円墳が在ります
 1基「15A-94」は径10m程の円墳で、東側に石材が露出しています
 さらに北東にある円墳は径6mほどで、東側が大きく崩れています

★所在地;桜井市倉橋字赤坂(天王山古墳
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで「下尾口」下車 徒歩3分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;

 遺跡地図には載っていない古墳です
 3号墳の前から西へ少し下っていくと有ります
 

 参照;大和の古墳探索・赤坂天王山X号墳

越塚古墳

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 入り口は狭いですが、立って歩けるほどの大きな石室です 撮影日;2010.01.17

 栗原川に向かって西北に伸びる丘陵上に営まれた二段築成の円墳
 径約43m・高さ約7mで周濠はなし

 内部構造は南西に開口する両袖式の横穴式石室
 花崗岩の自然石を利用し持ち送り手法で積み上げています
 巨石三段積みの玄室の規模は長さ5.3m、幅2.75m、高さ3.75m  
 羨道は10.7m、幅1.8m、高さ1.8mの規模をもつ

 石室の床面には礫を敷き、玄室中央に凝灰岩の棺底石が二枚残り、組合式石棺を安置していたようです

開口部 説明板
 
 石材が花崗岩の自然石に近く、積み方等から6世紀末頃の築造と推定されています

 県指定史跡(昭和34年2月5日指定) 

★所在地;桜井市粟原字越塚
★交通;近鉄桜井駅より バスで下尾口下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 赤坂天王山古墳から東へ約900m、下り尾集落の最東端に有ります
 途中に下り尾四ツ辻古墳(仮)が在ります


 2014.02.20 再訪しました
越塚古墳石棺
越塚古墳奥壁 越塚古墳玄門部
 墳頂は平坦になっていて、東側に小石室?が有ります
 径1.2m・深さ1mほどの穴です
越塚古墳小石室 越塚古墳墳頂穴

梶山古墳群

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梶山古墳群
 倉橋溜池「倉橋ふれあい公園」に保存されています 撮影日;2014.02.20
 
 (倉橋溜池は昭和21年に粟原川の支流をせき止めて造られました)
 梶山古墳群は43基在ったとされますが、多くが水没や破壊されています
 1946年に末永雅雄博士の指導で3基だけが調査されています

 この古墳群はいずれも径8m前後の円墳で、横穴式石室を主体としています

 二基の横穴式石室が見学できます(1号墳と2号墳)
 池側の一基(手すりの前)と説明版のちょうど中間にもう1基開口しています(これが2号墳か?)

梶山1号墳開口部
 
梶山1号奥壁 梶山1号墳玄門部
【1号墳】
 凝灰岩製の組合わせ石棺が所在していたようですが詳細不明
 副葬品は須恵器の杯、高杯、土師器の蓋、高塚があった程度とされます

梶山2号墳開口部
 
梶山2号墳奥壁 梶山2号墳玄門部
【2号墳】1号墳の北側に有りました
 側壁が崩れかけたので調査は中止されたようです

 2号墳は埋まっていると思っていましたが、1号墳より少し広い玄室です
 玄室内に人頭大の石ガいくつか転がっています
 玄室上部に穴が空いていて、光が入ってくるので懐中電灯無しでも見学可能です
 開口部は狭いですが、玄室内は楽に立っていられます(高さ1.85mほど)

【3号墳】説明版背後の古墳だと思います
 大きく盗掘されています(石材も認められません)

 調査時、石室は天井石も既に無く、奥壁に接して須恵器の甕が2個口を合わせて遺存していました
 二つ合わせて長さが74cmで幼児か子供を葬ったと推測されています
 他、木棺のあった事を示す鉄釘があったようです
 副葬品としては須恵器の壷や銀製品(詳細不明)が出土しています

【4号墳】南端にある一基と思われますが、埋め戻された?
 調査時、3号墳同様規模が小さく、天井石は抜かれていました
 副葬品は子持高杯、土師器の壷、須恵器の高杯 

★所在地;桜井市倉橋宇梶山
★交通;近鉄桜井駅より 談山神社行きバスで倉橋池口下車 徒歩10分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市役所)

 池の北西山内にはエンドウ山古墳が在ります


 2010年1月に訪問した時の画像
 1号墳石室

「12C-48」竜王山古墳群

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竜王山12C-48奥壁
 竜王山古墳群の内、唯一の前方後円墳? 撮影日;2014.02.20

 全長約45m
 後円部径約23m・前方部幅約21m

竜王山12C-48羨道 竜王山12C-48玄門部

 立派な両袖式の横穴式石室です
 玄室長さ約4m・幅1.8m・高さ約2.3m
 羨道長さ約3m・幅約1.1m・高さ約1m
 開口部幅約1m・高さ約50cm(いずれも目測)

竜王山12C-48開口部

 尾根上のかなり高所に単独で築かれています

 県内の古墳の内でも、かなりの難所にある古墳です
 山内で迷子になりかけながら、何とかたどり着けました

竜王山12C-48後円部 竜王山12C-48前方部

★所在地;天理市渋谷町
★交通;行燈山古墳「崇神天皇陵」又は長岳寺の駐車場より 徒歩45分以上
★見学;見学自由(自己責任で・・・)
★問合せ;


 帰りは、この前方後円墳からまっすぐ西へ尾根を降りてきました
 すると、龍王山城跡への龍王山古墳群ルートにあるダムの前に出てきました
 (ヲカタ塚古墳脇を通る農道と合流する場所です)
 かなり急な尾根の稜線を登っていくことになるので、たいへんですがチャレンジしてみてください

「12C-46」竜王山古墳群

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竜王山12C-46墳丘
 「12C-48」の斜面を北へ下っていくと平坦地があります 撮影日;2014.02.20

 6〜7基の円墳が有ります
 いずれも10〜12m程の小円墳で、横穴式石室が在ってようです
 開口しているのは西側の1基のみ「12C-46」です

竜王山12C-46開口部 竜王山12C-46石室内

 開口部はかなり狭いです(高さ30cmほど)
 羨道部は無くなっているのか、あるいは無袖式か?

 まだ雪が残っていて墳丘はカマクラ状態でした 

竜王山12C-39 竜王山12C-42

 他にも石材が露出している古墳が並んでいます
 
★所在地;天理市渋谷町
★交通;JR柳本駅下車 徒歩60分以上
★駐車場;
★見学;見学自由(自己責任で・・・)
★問合せ;

競馬道5・6・7号墳

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競馬道6号墳
 残念ながら、石室が開口している古墳は有りません 撮影日;2014.02.23

 競馬道では無く、旧狭川村に通じる道の北側の丘陵上に有ります
 競馬道4号墳の北側の丘陵上です

 5号墳と6号墳は径10mほどの小円墳です
 石材が露出しており横穴式石室墳と思われます
 石室はいずれも破壊されています

競馬道5号墳 競馬道5〜7号墳丘陵 

 他にも、古墳のような箇所がいくつか有ります 
 7号墳は丘陵東端に在ったようですが、確認できず

★所在地;奈良市大柳生町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「興東中学校」下車 徒歩8分★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;

南明寺の宝篋印塔

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南明寺宝篋印塔
 鎌倉後期の造立だと考えられています 撮影日;2014.02.23

 本堂(国宝)の西に立っています
 九輪の上部を欠損しています
 塔身に金剛界四仏の種子を薬研彫りしてあります
 
 室町時代の十三重石塔も立っています
 こちらも相輪上部が欠損しています

南明寺石塔

★所在地;奈良市阪原町1005
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「阪原」下車 徒歩3分
★駐車場;無し
★入場料;境内無料
★拝観;事前予約必要
★問合せ;南明寺


お藤の井戸

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お藤の井戸
 今も水を湛えています 撮影日;2014.02.23

 柳生但馬守とお藤さんの馴れ初めの井戸とされています

 ある日、近くに住むお藤は、いつものようにせっせと洗濯をしておりました。
 そこへたまたま、柳生の城主であった、但馬守宗矩がこの井戸の付近を通りかかりました。
 但馬様はふと、お藤に「桶の中の波はいくつあるか」という問いを投げかけました。
 するとお藤、「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ?」と訊ね返しました。
 但馬様はその器量の良さと才気を見初めお藤を妻と迎えたそうな。
 今も里歌に「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の娘になる」と残されている。 

お藤の井戸前 お藤の井戸枠

★所在地;奈良市阪原町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「坂原」下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;0742-34-1111(奈良市観光課)

 大柳生と柳生を結ぶ旧道に有ります
 南明寺の80mほど北の角を右へ曲がって70m行った右手です

天井山11号墳

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天井山11号墳
 堂上塚とも呼ばれていたようです 撮影日;2014.02.23

 青少年野外活動センターの南に続く尾根上に5基の古墳が並んでいます
 古墳脇には東海自然歩道が通っています

 5基の古墳「6B-40〜44」は、いずれも径15〜20m程の円墳です
 北側が天井山9号墳で、一番南側が11号墳です
 (何故か、そのうち2基には古墳名が有りません)

天井山11号墳頂 天井山11号墳開口部?

 東福寺の裏山に辺ります
 径20mほどの円墳です
 (奈良市史には、『天井石の一部から入室可能ですが、かなり土砂が流れ込んでいる』となっています)
 石材は露出していますが、開口していないようです

★所在地;奈良市大柳生町東福寺
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「大柳生小学校前」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★見学;見学自由
★問合せ;

大柳生畑山無名墳

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6B-64
 競馬道を進んで行った、道のすぐ北側に在る古墳です 撮影日;2014.02.23

 遺跡地図の「6B-64」です
 競馬道1号墳から500mほどです
 径15mほどの円墳でしょうか?(墳形不明)

6B-64開口部 6B-64奥壁

 全く期待せずに墳丘に登ってみたのですが、墳頂近くにわずかに開口していました
 開口口は10×30cmほどしか有りません
 カメラを突っ込んで、撮って見ると石室が残ってました
 石室の規模は不明
 よく分からないのですが、竪穴系の石室でしょうか?
 奥壁左にでっぱりが見えます 

6B-64右壁 6B-64左壁

★所在地;奈良市大柳生町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車 徒歩18分
★駐車場;なし
★見学; 見学自由
★問合せ;


6B-64墳丘

樋崎古墳群

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樋崎古墳群
 中宮寺宮墓地の有る丘陵上に在る古墳群です 撮影日;2014.03.16

 いずれも径10m前後の円墳
 埋葬施設など不明
 7基ほどの群集墳(元はもっと在ったと思われます) 

中宮寺宮墓参道 中宮寺宮墓

 中宮寺宮墓地は、歴代門跡の女王墓群です
 同兆域内に六墓一塔が治定されています

 高栄女王(後西天皇皇女)、栄恕女王(霊元天皇皇孫女)、栄暉女王(霊元天皇皇曾孫女)、尊智女王(後伏見天皇八世皇孫女)、尊覚女王(後伏見天皇十一世皇孫女)、成淳女王(後伏見天皇十八世皇孫女)
 尊智女王が中宮寺の住持に入ったことから、門跡尼寺の歴史が始まっています
 後西天皇(江戸時代の第111代天皇)の塔も建っています

★所在地;生駒郡斑鳩町三井字樋崎
★交通;JR法隆寺駅下車 徒歩30分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;

 300m東に富郷陵墓参考地が有ります
 北へ300mの三井集落内に三井「赤染井」が有ります

瓦塚古墳群

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 前方後円墳2基と円墳1基からなる古墳群です 撮影日;2014.03.16

 瓦塚1号墳は北端にある前方後円墳です
 全長約97m、後円部径約60m・前方部幅約47m

瓦塚1号墳 瓦塚古墳群赤色地図
 昭和50年度に範囲確認の発掘調査が実施されました
 二段の埴輪列、家形埴輪や鳥形埴輪などの形象埴輪が出土しています
 埋葬施設については未調査ですが、竪穴式石室か粘土槨と考えられています
 築造は5世紀前半

 墳丘東半分は比較的良好に残っているようです
 西半分と後円部南側は小路が通り、削られています
 後円部に登ってみましたが、墳丘全体に雑草や樹木が生い茂っていて、単なる雑木林といった状況です

瓦塚2号墳
 瓦塚2号墳は、全長約95mの前方後円墳です
 前方部を東に向ける

 後円部はきれいに草刈されていいます
 西斜面に瓦窯跡があり、削られています

 墳頂からは、なかなかよい眺めです
 法起寺の北西側の標高70〜80mの尾根上に立地します

瓦塚3号墳
 瓦塚3号墳は、直径40m程度の円墳と考えられています
 古墳であるかどうかを含め、詳細は不明です

 形も分からないぐらい削られていて、立派な雑木林と化しています

★所在地;生駒郡斑鳩町三井東山
★交通;近鉄郡山駅より バスで法起寺前下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0745-74-1001(斑鳩町教育委員会)

 2号墳後円部西斜面に国史跡三井瓦窯跡があります


 前回訪問;2007.12.7(トップ画像)
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