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Channel: 奈良の名所・古跡
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東・西の平田家

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東の平田家
 「八木札ノ辻」を挟んで東側と西側の平田家があります 撮影日;2012.04.08

 江戸時代に旅籠を営んでいました
 「八木札ノ辻」は、古代大和の主要道路「下ツ道」と「横大路」との交差点です
 江戸時代中期以降、伊勢参りや大峰山への巡礼などで、特に賑わったようです

建築年代:18世紀後半〜19世紀前半

西の平田家
 嘉永6年(1853)に描かれた『西国三十三所名所図会』に六角形枠の井戸を中心とした町の賑わいが描かれています
 絵図には東の平田家と西の平田家も描かれ、どちらも南側が入母屋造で、2階街道筋に手摺りが回されている様相は、今もその面影をよく残しています
 また、西側の平田家の2階の客間に露出した梁があり、その梁に天保4年(1833)の宿泊者の悪戯書きが残っているそうです

 明治時代の当主・平田嘉十郎(嘉重郎)は、2軒の旅籠と料理店・魚問屋も経営していたそうです 

八木札ノ辻 六角形枠の井戸

★所在地;橿原市八木町2丁目1-1
★交通;近鉄大和八木駅下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0744-29-5902(橿原市文化財局文化財課)


北八木町の河合家住宅

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河合鋭冶家住宅
 江戸時代の町屋で、平成21年に有形文化財に登録されました 撮影日;2012.04.08 

 河合鋭冶家住宅は「八木札の辻」の北側に位置し、広大な敷地に建ちます
 軒が低く、段違いの棟と大屋根を持っている大規模な古民家です
 天保13年(1842)八代目の河合庄九郎の頃には「絞り油屋」を営んでおり、建物自体があったと推測されます
 安政6年(1859)の九代庄九郎の頃には庄屋となり、「両替商」も営んでおり、「隠居所」「内蔵」ができていたことがわかっています

 南隣りに河合源七郎家が有ります
 初代河合源七郎によって、明治20年代後半に町屋として主屋を建築
 さらに大正時代に、離れ座敷や茶室が増築されました
 旧街道「下ツ道」に面して、蔵の妻面「貴賓口」を挟んで重厚な「出桁造」・漆喰塗込の主屋、高い境界塀と変化あるファザードを持つ民家です 

河合源七郎家 河合源七郎家の南にある芭蕉句碑

★所在地;橿原市北八木町2-155
★交通;近鉄大和八木駅下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0744-29-5902(橿原市文化財局文化財課)

東タニノガイト古墳

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東タニノガイト古墳
 山腹斜面に築かれた古墳です 撮影日;2012.04.08

 「威徳王神社」の背後100mほど登った所に有ります 
 遺跡地図の「15A-202」です
 径8m・高さ2mほどの円墳です
 
 横穴式石室が開口しています
 石室天井石・羨道天井石のほとんどが無くなっています(一枚ずつ残っています) 
 石室長さ約2.7m・高さ約1.8m
 羨道長さ現存部分約2m・幅約1m・高さ約0.7m

 築造は古墳時代後期頃でしょう

東タニノガイト古墳羨道部 東タニノガイト古墳羨道内
東タニノガイト古墳奥壁 東タニノガイト古墳天井石

 すぐ西横に「15A-40」も有り、横穴式石室と有りますが? 

★所在地;宇陀市大宇陀麻生田 MAP
★交通;近鉄「桜井」駅より 大宇陀行きバスで「麻生田」下車 徒歩8分
★駐車場;威徳王神社前にスペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

 威徳王神社の横にコンクリートの道が続いています
 5分ほど登って行くと、北へと続く細い脇道が有るので、そこを10m行くと左手に墳丘が有ります
 草で覆われていて、開口部が少し見つけづらいです

榛原愛宕山古墳

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愛宕山古墳墳頂
 明治32年に三角縁神獣鏡などが見つかった古墳です 撮影日;2012.04.08

 全長37mの前方後円墳です(遺跡地図の「15B-65」)
 後円部径27m・高さ4〜6.7m、前方部最大幅11m・高さ1〜1.3m
 「米山古墳」とも呼ばれます(山内に小規模な円墳がいくつか有ります)
 山頂(愛宕山古墳の後円部)には「三社大神」が祀られています

 埋葬施設は竪穴式石室か竪穴系横口式石室とみられています
 (括れ部に窪みがあり、石材らしき石が残っています、埋葬施設跡でしょうか?)

 築造は5世紀後半とされています

愛宕山古墳説明版 愛宕山古墳墳丘
 明治32年11月26日、石材採取のために地主の松浦富三郎氏が裏山の頂上を発掘した際に古鏡その他数種類の古器類を発見しています
 後漢後期に鋳造されたと推定される神人画象鏡・鉾・槍等が出土
 鏡には「王氏作竟佳旦好、明而日月世之保、服此竟者不知老、寿而東王父西王母山人高赤松保二親、宣□□」の銘文が記されています

★所在地;宇陀市榛原上井足・下井足 MAP
★交通;近鉄榛原駅下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学可
★問合せ;


米山:中央の茶色い屋根の裏手に古墳への参道が有ります

白もくれんの里

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白もくれんの里1

 白もくれんが群集する山村です 撮影日;2012.04.15

 桜が満開になる頃と同じ頃に満開になります 

白もくれんと蛍の里看板 白もくれんの里2
白もくれんの里3 白もくれんの里4
白もくれんの里5 白もくれんの里6
白もくれんの里7 白もくれんの里8

★所在地;吉野郡下市町立石・才谷
★交通;近鉄下市口駅より バスで「才谷」下車
★駐車場;スペース有り

才谷の一本杉

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才谷の一本杉根元
 蓮如上人の御手植との伝承が有ります 撮影日;2012.04.15

 文明7年(1475)植樹と伝わる古杉です
 「蓮如上人御手植之杉」の石碑が置かれてあります
 平成9年に、奈良県の保護樹木の指定を受けました

才谷の一本杉 才谷の一本杉石碑
 蓮如上人が下市巡教の時、和田衛門次郎正頓という者が、各所で上人の聴聞を重ねたそうです
 和田夫妻は念仏信者として、法名「釈慶空、釈尼妙祐」と賜り、蓮如上人染筆の名号を本尊として念仏の道場を開きました
 それが、現在の「西照寺」です 

★所在地;吉野郡下市町才谷峠
★交通;近鉄下市口駅より 岩森行きバスで才谷下車 徒歩25分
★駐車場;スペース有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;

 才谷のバス停付近から吉野山(大日寺勝手神社附近)へ抜ける道の途中の峠に有ります

才谷の稲荷桜

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才谷の稲荷桜
 才谷の集落を守るヤマザクラの巨木です 撮影日;2012.04.15

 樹齢およそ350年
 幹廻り4.16m
 4月中頃に咲くそうです
 根元付近には、名前の通りお稲荷さんが祀られています

 過去にNHKで紹介されたことがあるそうです
 旧才谷小学校跡集会所前の桜も綺麗です 

才谷の稲荷桜遠景 渦巻くような稲荷桜の太い幹
★所在地;吉野郡下市町才谷480
★交通;近鉄下市口駅より 黒岩行きバスで才谷下車 徒歩10分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;

塞の神石碑

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塞の神石碑
 この碑は道祖神だそうです 撮影日;2012.04.15

 高さ103cmの緑泥片岩に『塞神守護』と彫られています
 民間信仰を伝える貴重な民俗資料として、下市町の文化財に指定されています
 (昭和50年の指定)

 塞の神は道祖神であり、境を護る神でもあり、また悪疫悪霊の入り込むのを遮る神として、古くから信仰されていたそうです

塞の神石碑と堂 塞の神石碑の説明版

★所在地;吉野郡下市町新住
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-52-1711(下市町教育委員会)

 碑の建っている分岐を登っていくと桜の森が広がっています


苣原の勧請縄と地蔵魔崖仏

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苣原の勧請縄
 苣原は布留川の上流に有る集落です 撮影日;2012.04.29

 川と国道25号線を跨るように掛けられています
 苣原の「カンジョの綱掛け」は1月16日に行われます
 吊り下げられる小綱には松の枝を三本づつ付けるようです

地蔵魔崖石仏
 集落の入り口辺りの勧請場へ登る旧道脇に2体の磨崖石仏が有ります

 2体の石仏は表面に船形光背を彫り窪め、中に地蔵立像を半肉彫りにしています
 ともに高さ1.5m程の岩で、右の地蔵立像は高さ70cm程、左の地蔵立像は高さ90cm程です

 右側の石仏の左下にもう一体彫られています
 小さな合掌姿のお地蔵さんだそうですが、良く分かりませんでした 

 道路工事の際にこの場所に移動されたようです

右の魔崖地蔵 左の魔崖石仏

★所在地;天理市苣原
★交通;JR・近鉄天理駅より 都祁行きバスで苣原下車 徒歩2分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;

下入田の阿弥陀石仏

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下入田の阿弥陀石仏
 鎌倉時代後期の石仏です 撮影日;2012.04.29

 高さ160cmの花崗岩の自然石に彫られています
 壺形光背の彫りくぼみを作り、像高94cmの阿弥陀来迎立像を半肉彫りしています

 反りのある自然石の屋根石を置き、頂上に宝珠のように丸石を載せるちょっと変わった形です

 応長元年(1311)の像立です

 以前は、もう少し川沿いに有り、3分の1ほど埋まっていました

★所在地;天理市福住町下入田
★交通;近鉄天理駅より バスで国道福住下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

狐塚古墳「南阿太6号墳」

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南阿太狐塚古墳
 蛇行する吉野川を見下ろすように築かれています 撮影日;2012.05.11

 径5m程の小さな円墳ですが、封土はかなり流失しています
 横穴式石室の一部が露出しています(石室内は埋まっています)

★所在地;五條市滝町
  吉野川が大きく蛇行する滝町の河川公園近くの田圃の畦に有ります
★交通;県道39号線の湯谷口バス停近く
★駐車場;近くに河川公園のP有り
★入場料;見学可
★問合せ;

 大淀方向に2kmほど行くと南阿田大塚山古墳が有ります

大阿太9号墳「コンピラ古墳」

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大阿太コンピラ古墳
 西阿田町の御霊神社のすぐ東側にはっきりとした墳丘があります 撮影日;2012.05.11

 遺跡地図の「19B-92」です
 径10m程の円墳となっていますが、墳丘上に木が生茂っており、もう少し大きく見えます
 遺物の報告はなく、築造年代も不明です

 大阿太古墳群は東阿田町から山田町にかけて、二十数基が点在しています
 山田町御霊神社の本殿背後には、まとまって円墳が有ります
 被葬者は、南九州から移住してきた隼人と呼ばれる人達との説もあります 

★所在地;五條市西阿田町字久保
★交通;JR五条駅又は近鉄下市口駅より バスで西阿田下車 徒歩2分
★駐車場;御霊神社前に数台可能
★入場料;見学可
★問合せ;

ヒナコノ塚「姫塚」

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ヒナコノ塚
 何か云われが有りそうな名前の古墳です 撮影日;2012.05.13

 円墳状に大きな石で囲ってありますが、墳形は不明です
 遺跡地図の「7B-49」
 横穴式石室、半壊となっていますが、墳丘は草や熊笹で覆われていて石材は分からず

 被葬者は、この地の古代の豪族・平群氏の姫様でしょうか??

★所在地;生駒郡平群町三里北
★交通;近鉄平群駅下車 徒歩12分
★駐車場;スペース有り
★問合せ;

 300m程南に三里古墳、300m程北に上庄大谷古墳が有ります

まるこ山古墳

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まるこ山古墳
 田んぼの中に残っている古墳です 撮影日;2012.05.13

 遺跡地図の「11C-8」です
 元は、全長32mの前方後円墳だったようです
 現状は、後円部が径15mほどの円墳状をなして残っています

 周濠が有ったことが確認され、埴輪(円筒・朝顔・家・靫・人物・武人・鶏・蓋) が出土しています
 また、弥生時代の土師器・須恵器の他、瓦器や瓦質土器なども出土しています

 曽我川と葛城川に挟まれた地で、二上山・葛城山・金剛山がよく見える所です  

★所在地;北葛城郡広陵町広瀬杉ノ木
★交通;近鉄田原本駅下車 徒歩50分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

クノギ古墳

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クノギ古墳:後方に見えるのは畝傍山
 現状は径15m程の円墳状です 撮影日;2012.05.13

 元は全長30m以上の前方後円墳だったようです
 遺跡地図の「14C-5」です

 2010年に発掘調査されています
 墳丘の東と西で堀の跡から動物をかたどった埴輪の後ろ足部分や円筒埴輪、家型埴輪などが出土
 遺物;石器、弥生土器、、埴輪(円筒、朝顔、形象)、須恵器、瓦器、瓦
 築造は6世紀前半

 墳丘上には幹周が4m近く有る大きなケヤキ(クヌギの木では有りませんでした)が立っています
 墳丘東側に、小さな祠の入った覆い堂と両脇に珍しい瓦製の燈籠が有ります

クノギ古墳の祠と瓦製の燈籠

★所在地;橿原市古川町字クノギ
★交通;近鉄坊城駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


御所国見山

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御所国見山山頂
 神武天皇が国見をされた場所とされています 撮影日;2012.05.13

 山頂に立つ石碑には「嗛間丘(ほほま丘)」「神武天皇聖蹟傳説地」と刻まれています
 国見神社から標高229.38mの頂上までは距離500m程で、高低差100mの登山道となっています
 山頂からは南に金剛山や大峰山系、北は杉木立の間から、畝傍山や若草山まで遠望できます
 ここから続く道は行者道と言われ、この山を越えて吉野へと続く行者道の1つだったようです

 日本書紀によると、大和を平定した神武天皇は掖上の「ホホ間の丘」に登って国見をされ「妍哉、国を獲つること(なんと素晴らしい国を得たことか)。内木綿の真乍き国といえども(狭い国ではあるが)、なお蜻蛉(あきつ=とんぼ)の臀占(となめ=交尾)せる如くあるかな(トンボが交尾して連なっているように山々に囲まれたところだ)」と宣い、これによって日本の国号「秋津洲」の名が誕生したとされていて、国見山はこの丘の実在の地と言われています。 

山頂の手前 山頂からの眺望

★所在地;御所市柏原国見山
★交通;JR掖上駅下車 徒歩25分
★駐車場;スペース有り(国見神社前)
★入場料;タダです
★問合せ;

玉置神社の大杉

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玉置山の大杉
 県内一の太さの杉の巨樹です 撮影日;2012.05.18

 樹齢はおよそ1000年
 樹高は40mで、幹周り8.7m(平成9年の測定)

 玉置神社の境内前を少し谷へ降りていった所に立っています
 上から見た大杉は、それほど大きく見えませんが、間近で見ると迫力十分です

玉置山の大杉根元 玉置神社の神代杉

 玉置神社の本殿裏には、推定3000年を越える神代杉も有ります

 樹高20m・幹周り8.3m

 周りの木を寄せ付けない圧倒的な雰囲気のある巨樹です
 いろいろな木が宿っていて、一見これは杉か?と思われる異様な樹形ですが
 上の方を見ると、杉の葉が茂っていて樹勢は盛んです

玉置神社の神代杉
 玉置神社神域には、他にも常立杉(樹高25m・幹周り8.6m)、磐余杉(樹高30m・幹周り7.0m)、浦杉(樹高28m・幹周り7.0m)、夫婦杉など名前のついた杉も有ります

玉置神社社務所近くの常立杉 玉置神社境内社裏の夫婦杉
 神域の杉の巨樹群は奈良県指定天然記念物となっています 

★所在地;吉野郡十津川村玉置川1
★交通;玉置神社駐車場より 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;

玉置山の枕状熔岩

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玉置山の枕状熔岩
 枕状溶岩は海底火山によって造り出されます 撮影日;2012.05.18

 玉置山には、不規則な楕円状または曲がった丸太状の形状をした溶岩が一帯に露頭しています
 海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が、海水により急速に冷却・固化したことにより生じます
 地質活動により、海底深くから玉置山山頂付近にまで隆起しました
 標高1000m〜1040mにかけてが枕状溶岩堆積地です

 平成9年に「玉置山の枕状溶岩堆積地」として県指定天然記念物となっています
 平成19年には「日本の地質百選」にも選定されています

★所在地;吉野郡十津川村(玉置山)
★交通;JR五条駅より 車で約3時間
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;奈良県教育委員会

玉置山山頂

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玉置山山頂
 大峰山系の最南端の山です 撮影日;2012.05.18

 標高は1076.4m
 主に石英斑岩で形成される山です

 山頂には沖見地蔵が祀られています
 天気が良ければ、遠く熊野灘が望めることも有ります
 「沖見岳」「舟見岳」とも呼ばれ、修験道においては「無漏岳(むろだけ)」とも称されていました

玉置山山頂の三角点 玉置山山頂に鐘が有りました 玉置山山頂からの眺望

 玉置山は昭和61年に『森林浴の森100選』に選定されています
 杉の巨樹群は県の天然記念物に指定されています  

★所在地;吉野郡十津川村玉置川(玉置山)
★交通;JR五条駅より バスで「十津川温泉」下車 タクシーで約30分 駐車場入口手前の登山口より徒歩約15分(玉置神社境内から徒歩20分)
★駐車場;有ります(玉置神社駐車場)
★入場料;タダです
★問合せ;0746-63-0200(十津川村観光協会)

十二滝

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十二滝(この画像はクリックすると滝の全体像が見れます)
 落差は80mほどあるようです 撮影日;2012.05.19

 水量はそれほど多く有りません
 見上げる高さから、糸が垂れ下がるように流れ落ちてきます
 滝つぼは深くありません

 別名「十二くらの滝」だそうです

十二滝の落口 十二滝の滝壷

 国道168号線沿いに駐車スペースが有り、召波句碑が有ります
 『十津川や 耕人の 山刀』
 黒柳召波(しょうは)は与謝蕪村の高弟です
 この地方の風土、歴史を表す句です
 十津川郷士と言われた人で、明和8年(1771)12月7日45歳で歿す 

召波句碑

★所在地;吉野郡十津川村大字七色
★交通;JR五条駅より 車で(85km)およそ3時間
★駐車場;スペース一台分
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-63-0200(十津川村観光協会)

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