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Channel: 奈良の名所・古跡
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信貴山のどか村

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 広大な農業公園です 撮影日;2011.11.08

 平成4年に、農業集落の危機を打開すべく開設されました
 果実や野菜狩りなど30種類以上もの味覚狩りが体験できる農業公園です

 サツマイモ掘りや、リンゴ、スイートコーンなどの四季の味覚狩りが楽しめ、農産物も直売しています
 鑑賞大温室では、ベゴニア・洋ランなどの亜熱帯植物が咲き乱れています
 バーベキューハウス(屋根付き、要予約)やキャンプ場(要予約)も有ります
 そば打ち体験、陶芸教室、リース・ポプリ教室などを開催しているハウスやまびこ等もあります
 他に、フラワーパーク・花しょうぶ園・ハーブ園・フィールドアスレチック・釣り池等があります
芝生広場
 株式会社農業公園信貴山のどか村が運営しています 

★所在地;生駒郡三郷町信貴南畑1
★交通;近鉄信貴山下駅より バスで「信貴山」下車(送迎バス有り)
★駐車場;有ります(無料600台)
★入園料;大人 500円・小人 300円(12〜2月は200円引き)
★休館日;毎週木曜日(5月・10月は無休・12月〜2月は水・木)
★開園時間;9:30〜17:00(12〜2月は4:00まで)
★問合せ;0745-73-8203


 参照;信貴山のどか村のホームページ

鶴澤三枝の碑

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 鶴澤三枝は南畑歌舞伎の座長さん 撮影日;2011.11.08

 明治22年(1889)頃、南畑に「日出座」という歌舞伎一座がありました
 地元の人たちから南畑歌舞伎と呼ばれ親しまれていた座長の鶴沢三枝の碑です

 鶴澤三枝は本名を森惣三郎と言い、慶応の頃南畑で生まれました

 地元の青年に歌舞伎を教え一座を結成し、南畑を中心に法隆寺や田原本、大阪の道頓堀でも公演したそうです 
 この碑は、明治24年に63歳になった三枝を祝って門弟たちが建立しました

★所在地;生駒郡三郷町信貴南畑
★交通;近鉄信貴山下駅より バスで「信貴山」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-73-2101(三郷町教育委員会)

四ツ辻古墳(木ノ庄塚)

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 道脇に墳丘があります 撮影日;2011.11.08

 径13m・高さ約3mの円墳です
 無袖式の横穴式石室が南東側に開口しています
 玄室長さ約3m、幅約2m、高さ約2m

四ツ辻古墳石室 四ツ辻古墳天井石
 開口部は狭いですが何とか入れます
 天井石の隙間から日が入り込んでました

 四ツ辻古墳群は十数基の小円墳からなります
 西側に、径8mほどの円墳(木庄山古墳)が有ります  
木庄山古墳
★所在地;生駒郡平群町越木塚
★交通;近鉄平群駅より バスで「総合スポーツセンター」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★問合せ;

生駒市中央公民館別館

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 昭和初期の木造和風建築です 撮影日;2011.11.07

 昭和8年(1933)、中川吉治郎氏の設計
 生駒市の登録有形文化財(建造物)です 

 昭和8年から33年まで生駒町役場として利用されていました
 正面中央及び左右に入母屋破風を見せる堂々とした構えです
 背面に土蔵等が付属し、中庭を囲んで正面玄関と北の議会棟、南の町政執務棟から構成されます
 戦前・戦後の生駒町政の舞台となった和風官庁建築です

 現在は、生駒市の中央公民館別館として利用されています

★所在地;生駒市山崎町11-7
★交通;近鉄生駒駅下車 徒歩10分
★駐車場;7台
★利用料;生駒市のホームページ「中央公民館 別館」  参照
★休館日;月曜日・火曜日・祝日・12月27日から翌年の1月5日
★開館時間;9:00〜
★問合せ;0743-73-4641


上庄大谷古墳

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 きれいに整備されています 撮影日;2011.11.08

 説明板などありませんが、直径15m程の円墳と思われます
 両袖式の横穴式石室が開口しています(楽に中へ入れます)

 玄室長2.7m・玄室幅1.6m、玄室高さ2.25m、羨道長3.16m・羨道幅1.3m
 袖部はわずか15cmほどしかありません
 奥壁側の石を一段高く架構しているのがこの古墳の特徴です

 築造は7世紀前半とみられます

大谷古墳石室
★所在地;生駒郡平群町上庄
★交通;近鉄東山駅下車 徒歩18分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 10分ほど南に行くと長屋王墓吉備内親王墓三里古墳が見学できます

線刻宝篋印塔

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 天落神六社権現境内に置かれています 撮影日;2011.11.13

 元は、県道をはさんだ山側の露出した岩盤に刻まれていました
 初瀬ダム建設事業により湖底に水没することになり、清浄な石材を選び摸刻したものです

 昭和63年に設置され、高さ1mほどの宝篋印塔が線刻されています 
 線刻宝篋印塔
★所在地;桜井市和田字落神萱森口
★交通;近鉄長谷寺駅より バスで「落神権現前萱森口」下車 徒歩すぐ
★駐車場;有ります(無料5〜6台)
★入場料;見学自由
★問合せ;

長谷寺前の石観音

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 桜門への石段手前に石観音が思案気に立っています

 大きな自然石に舟形光背を彫りくぼめ、十一面観音を浮彫りしたもの
 細部は風化しているものの錫杖・水瓶をもち、本尊と同様式

 地元の人に親しまれ供花が絶えません 撮影日;2011.11.13 

★所在地;桜井市初瀬(長谷寺
★交通;近鉄長谷寺駅下車 徒歩18分
★駐車場;有ります(有料・500円)
★問合せ;


與喜天満宮の磐座

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 三つの磐座で『古事記』神話の「天の岩戸」の段を再現していると考えられています 撮影日;2011.11.13

  裏参道側の神域左方下に三つの磐座が有ります
 右上段は「掌石」(斎神:太玉命)、手のひらのような形をしている
 左下段は「沓形石」(斎神:天児屋根命)、神官が履く沓(くつ)のような形をしている
 手前にある「鵝形石」(斎神:天照大神)、鵝鳥(がちょう)のような形をしている

鵝形石 掌石と沓形石

 與喜山は、古くは大泊瀬山と呼ばれ、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられました
 『万葉集』では初瀬にかかる枕詞「隠り国」(山に囲まれ隠っているような地)は、この自然の姿から生まれたそうです
 万物の生命のみなもとである太陽と、母なる慈愛を神としてあがめたのがアマテラスという女性神で、天上からこの御山に初めて降臨されたと伝えられています
 本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています
 673年4月、天武天皇は伊勢に出発する斎王・大来皇女の潔斎のために、與喜山に施設「泊瀬斎宮」を設けたと伝わります

 後方の鍋倉山には、延喜式式内社の「鍋倉神社」が磐座に祭られているそうです
 磐座の左方には「鍋倉神社」へ奉納された灯篭2基が有り、その後方広場は連歌会所の「菅明院」跡だそうです  

★所在地;桜井市初瀬14
★交通;近鉄長谷寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(有料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-55-2300(與喜天満神社


初瀬のイチョウの巨樹

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 県内最大のイチョウの巨樹です 撮影日;2011.11.13

 素盞雄神社の境内にあります
 雄株で、樹高およそ40m、枝張りは南北におよそ22m・東西におよそ21m、目通り周囲7.15m(平成2年時)
 昭和49年3月26日、県の天然記念物に指定されています
 樹齢は1000年以上とも言われますが、800年くらいのようです 

初瀬の大イチョウ幹
★所在地;桜井市初瀬字与喜下79
★交通;近鉄長谷寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(有料・500円)
★入場料;タダです
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)


 

カタハラ1号墳「カタハラ古墳群」

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 桜井市域では現存する唯一の窮窿式石室を持つ古墳です 撮影日;2011.11.13

 1号墳は径約15mの円墳で、北側に掘割りがあります
 石室は、西側に袖を持つ片袖式
 現存長は約6m、羨道部の幅約1m、長さ2.5m、玄室の幅約2m、長さ3.5m
 羨道部の高さ1.5m、玄室の高さ3m
 天井をドーム型に仕上げた窮窿式(きゅうりゅうしき)よばれる石室の形態です

 窮窿式石室は、県内でも僅かに5基が確認されているだけの極めて珍しいものです
 窮窿式横穴式石室は、百済系渡来氏族により伝えられたものといわれます

 出土遺物は、須恵器杯蓋と土師器長頸壷のほか、本古墳出土とされる須恵器高杯などが伝えられています
 築造は、6世紀中頃とみられます

 2号墳は区画周溝をもった一辺5m程の方墳でした(消滅)
 中央に穿たれた墓坑内に、小口部に板石を配した長さ約1.9mの組合式の木棺を納めていました
 出土品は木棺にともなう鉄釘5本と、周溝からの須恵器杯と土師器杯
 築造は、7世紀初頃
カタハラ1号墳墳丘 カタハラ1号墳開口部
 フェンス越しに開口部が見えますが、ほぼ埋まっているように見えました

 3号墳は尾根の背からやや外れた位置にあり、1982年に先行して発掘調査が実施されています(消滅)
 北側に掘割りをもつ直径約12mの円墳でした
 南に開口する全長約4.3mの両袖式横穴式石室が有りました
 石室内から金環・須恵器杯蓋・杯身・黒色土器杯など、掘割りからは頸壷・土師器杯・台付皿などが出土しています
 築造は、6世紀後半頃

 カタハラ古墳群からは墳丘をもたない埋葬施設が16基確認されています
 長さ3〜5m程の土坑内に木棺を納めたものや、土坑内に小型の石室を設けたものなどがあり、墳丘をもつ古墳に従属する埋葬施設とみられます
 墓坑や石室のほか木棺内からの副葬品も少なく、金環、須恵器、土師器などと木棺に使われた鉄釘が出土しているに過ぎないそうです
 土坑墓などは7世紀前半を中心に造営されたとみられています

 南東尾根に沿って「下り尾古墳群」が続きます
 古墳時代後期の古墳が2基、7世紀中頃の飛鳥時代の木棺直葬墓が11基、小石室が3基、方形区画を持つ墳墓が1基と様々な墓が確認されています 
15C-50と51の墳丘 15C-51石材?

★所在地;桜井市下り尾
★交通;近鉄桜井駅より バスで下り尾口下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;

 少し北側に天王山古墳が有ります


 

龍谷古墳群

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 団地造成に伴い発掘調査された古墳群です 撮影日;2011.11.13

 外鎌山の斜面に位置した古墳群で、12基の古墳が調査されています
 竜谷古墳群は、いずれも径10〜15m程度の小円墳で構成されています

 6号墳は比較的早くに作られた横穴式石室と考えられています
 長さ約3.1m、幅1.6mの方袖式
 出土品は、金環・鉄刀片・須恵器・土師器など
龍谷6号墳 龍谷7号墳墳丘
 7号墳は天井石が現存する横穴式石室です(フェンスで囲まれています)
 長さ3.4m、幅1.75mの方袖式
 出土品は金銅製飾金具・鉄釘・刀子・須恵器など

 8号墳はやや大型の石室でした
 長さ4.5m、幅2.37m
 出土品は水晶製三輪玉・耳飾・青金具・留金具などの太刀金具
龍谷8号墳石室 龍谷8号墳墳丘
 9号墳は、木棺直葬の古墳とされ、一番年代の古い古墳とされています
 長さ1.7m、幅約0.55m、深さ約10cm
 出土品は、須恵器の杯身、杯蓋などがありました

 2号・12号墳は木棺を合葬墳です(消滅)
 龍谷古墳群は、6世紀前半から後半にかけての群形成と考えられています
龍谷9号墳? 龍谷古墳群

★所在地;桜井市朝倉台東5丁目(6号公園内)
★交通;近鉄大和朝倉駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市教育委員会)


 参考;大和の古墳探索のページ

浄鏡寺旧境内アスナロの群落

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 標高500mの地、春日大明神周辺の15aほどにわたって見られます 撮影日;2011.11.13

 昭和36年3月、県の天然記念物に指定されています
 紀伊半島には、アスナロが散在的に分布しています
 この地域には珍しく、小規模ながら比較的大きい木が群落をなしています

 地上1.3mでの幹周3.12m・樹高約20mの巨樹をはじめとした約10本が、ヤブツバキ・アラカシ・ツクバネガシ・コジイ等の樹種を交えて群落を作っています 

★所在地;桜井市笠(字千森)877
★交通;笠山荒神社より 北東へ徒歩15分
★駐車場;ありません
★入場料;見学可
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)


 アスナロは、ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹
 ヒバと呼ばれることもあります
 参考;アスナロ

春日奥山遊歩道

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春日山遊歩道入口(北側)

 春日山原始林はもみじの木が数多くあり、紅葉シーズンには美しい景色を見せてくれます

 撮影日;2011.11.27 今年の紅葉はちょっと遅めです

 遊歩道が整備されており若草山山頂へと続いています

水谷茶屋 紅葉も進んでいます 月日亭前

 水谷茶屋→春日奥山遊歩道入口(北側)
 少し行くと料理旅館「月日亭」が有ります(けっこう高級です)

中水谷休憩舎 十八丁休憩舎 石龕の石地蔵

 もみじやナギが茂るとても歩きやすい遊歩道です
 
 十八丁休憩舎から左手へ進むと若草山の山頂です
 右へ進むと鶯の滝へ行けます

花山・地蔵の背 鶯の滝への道標 大原橋

 花山(標高498m)のほぼ真北にお地蔵様が祀られています
 御蓋山「春日山」の北東の場所にあたり、鬼門よけでしょうか?
 15分ほど歩くと鶯の滝への道標が有ります
 (鶯の滝へ行くのは100mほど先の大原橋を渡って行った方が楽に行けます)

大原橋休憩舎 春日奥山案内図 春日山原始林の標

 大原橋から、さらに行くと春日山石窟仏が有り、滝坂道へと続いていきます

鷲家龍泉寺の岩松群生

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 日本で一・ニを争う位すばらしい岩松群生です 撮影日;2011.11.15

 樹齢1500年とされる岩松もあります

 イワマツ(岩松)は通常イワヒバと呼ばれ、シダ植物の1つで、岩場にはえる多年草です
 枝葉が桧の葉に似ているので、そう呼ばれます
 姿のおもしろさから盆栽のように栽培されることが多いようです
 乾燥すると枝全体が内側に巻き込むように丸まります
 雨などで水分が十分に補給されると、数時間から数日の間にまた枝をのばして輪生状に広がります
 そのためイワヒバ科は「復活草」とも言われるそうです
 一度芽をだしたら、永遠に生き続けるといわれ、「万歳」「長生草」の別名もあります

鷲家龍泉寺の岩松 鷲家龍泉寺の岩松群生

★所在地;吉野郡東吉野村大字鷲家256
★交通;近鉄榛原駅より バスで「菟田野」で大又行に乗り換え「鷲家」下車 徒歩10分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;タダです
★問合せ;07464-2-0555(鷲家龍泉寺


エンドウ山古墳

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 倉橋溜池の西北端の山中に有り、見つけにくい古墳です 撮影日;2011.11.13

 小ぶりですが綺麗な切石の横穴式石室が開口しています
 径8m、高さ約2.5mの円墳
 南に開口しています  

 埋葬施設は、花崗岩切石の両袖式横穴式石室
 全長4.3m、羨道部長さ1.8m、幅1m、高さ1.2m、玄室部長さ2.5m、幅約1.5m、高さ約1.65m
 築造年代は7世紀前半
エンドウ山1号墳開口部 エンドウ山1号墳石室

 北側に2号墳石材が露出しています
エンドウ山2号墳石材(2) エンドウ山2号墳石材

★所在地;桜井市倉橋
★交通;近鉄桜井駅より バスで倉橋池口下車 徒歩15分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由・・・足元ご注意!
★問合せ;

 倉橋溜池の西側・トンボ池広場の北の湿地東側(小さな沢が有ります)から熊笹を分け入ると正面に小山が見えてきます
 左手に回り込んで、よじ登っていくと石室が見えてきます 


円覚寺のぎんもくせいの巨樹

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 江戸時代からその芳香が遠方まで漂ったと伝承されています 撮影日;2011.11.15

 平成7年に県の天然記念物に指定されています

 幹周り2.85m、高さおよそ10mに及びます
 高さ2mくらいの所で五分岐し、更に3mの所で九分岐している珍しく美しい樹形です

 これほどの高さの木犀は珍しく、9月終わりごろから10月初め頃に白い小さな花を無数に咲かせます

 木津川(こつがわ)沿いの円覚寺境内から道に張り出すように枝を伸ばしています

★所在地;吉野郡東吉野村大字木津川304
★交通;近鉄榛原駅より バスで「蟻通」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-42-0441(東吉野村観光協会

 丹生川上神社から1kmほどの所です


笹岡家住宅(大宇陀)

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 茅葺きの典型的な大和風民家です 撮影日;2011.11.15

 古くからこの地の大庄屋を勤めてきました
 昭和43年に国の重要文化財に指定されています

 主屋は桁行16.6m・梁間12.4mの入母屋造り
 寛永年間(1624〜44)の造営です
 内部の構造は豪壮です
 一部撤去されていますが、古い農家を知る貴重な建築です

 表門は文化4年(1807)の建築です

笹岡家住宅遠景

★所在地;宇陀市大宇陀藤井477
★交通;近鉄榛原駅より バスで「宇陀藤井」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★問合せ;0745-83-0252(見学は事前に申し込みが必要です)


松源院香久山古墳

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 大亀和尚民芸館の裏山に在る古墳です 撮影日;2011.11.15

 径18mの円墳とされますが、前方後円墳の可能性もあるようです

 南に両袖式横穴式石室が開口しています
 推定全長9.6m
 玄室長は西側で約3.9m・東側で3.6m、幅は奥壁部で約2.1m・玄門部で約1.9m、高さ約3m
 羨道部は現長が4.7m長、幅は玄門部で1.3m・羨門部で1.2m、高さ約1.4m

 石室内の石材が一部抜き取られていて、天井石1枚が崩落寸前となっています

 鉄釘が出土している事より、木棺の可能性が高いようです
 出土遺物は、須恵器・土師器・鉄鏃・鉄釘・かすがい・鉄斧・刀子・釜状鉄製品・耳環
 築造年代は、6世紀後半です 

松源院香久山古墳天井 松源院香久山古墳石室

★所在地;宇陀市大宇陀迫間398-1
★交通;近鉄榛原駅より バスで大宇陀高校下車 徒歩8分
★駐車場;有ります(無料2〜3台)
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-83-3867(大亀和尚民芸館

 近くに天益寺阿紀神社が有ります
 徒歩10分ほどの所に又兵衛桜も有ります

葉本家住宅(大和郡山)

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 明治期には両替商などを営んだ商家です 撮影日;2011.11.22

 大和郡山城下から奈良に至る街道沿いに東面して建ち、旧街道の歴史的景観を構成しています
 2002年に国の登録有形文化財(建造物)に指定されています

 明治初期の建築と推定され、虫籠窓(むしこまど)にある分銅の印から分かるように、当時は両替屋、その後肥料屋を営んできました

葉本家住宅主屋 主屋は南側に通り土間をとり、北側に六間の居室をとっています
 正面側の二間は小さくして坪庭を設けています
 屋根は桟瓦葺で、むくりをつけています

 奈良の指物師として有名な川崎幽玄の父・川崎長七が建築に携わり、建具・欄間・茶室を創作しました
 業平格子・坪庭の垂木・入隅にまわる雨戸などにその特徴がみられます

 この観音寺の街道沿いの町屋は当家以外に数件しか残っておらず、一部に改変があるものの保存状態もよく、当時の町屋建築を知るうえで貴重な遺構です 

★所在地;大和郡山市西観音寺町6
★交通;JR郡山駅下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★問合せ;0743-53-1151(大和郡山市)

粉川家住宅(高畑)

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 上海で油脂業を営んだ粉川廣吉が建設した住宅です 撮影日;2011.11.27

 内外とも上質な近代和風住宅の好例です
 2008年に国の登録有形文化財(建造物)に指定されています

 主屋は大正12年(1923)建築
 北に座敷棟、西に玄関棟、南に台所棟をコ字形に配されています
 座敷棟は入母屋造桟瓦葺のつし2階建で、軒先に銅板を葺いた下屋庇をまわし、西北の眺望を配慮し雁行形としています 
粉川家住宅主屋 
 離れは、敷地南辺に位置する表門の東方に東西棟で建つ門長屋です
 桁行6間半梁間2間、寄棟造桟瓦葺の平屋建で、当初は西側3間半を使用人の住居、東側3間を納屋としていました
 真壁造で、腰は下見板張、上部は白漆喰塗とし、通りから望見できる西面には格子の出窓が設けられています

 土蔵は、主屋台所棟の南方、離れの北方に南北棟で建っています
 桁行6.0メートル梁間4.0メートル、切妻造本瓦葺の2階建で、西面から南面に下屋庇をまわし、南面は便所、西面は蔵前としています
 西面中央に戸口、1階北面と2階南・北面に窓を開け、凝った意匠の窓庇が付けられています

 表門は、切妻造本瓦葺、総欅造の薬医門です
 築地塀は、敷地南東隅から敷地東辺に沿って北へ長約30m築かれています

 石垣は、敷地の南辺に築造され、表門の前庭東西にまわり込んでいます
 敷地の造成と一体的に築造されています 
 東方が折曲り長20m、西方が長32m
 花崗岩の切石を前面道路の傾斜に合わせて高さ2〜3m積み、上面に板状笠石を載せてあります 

★所在地;奈良市高畑町1211
★交通;近鉄奈良駅より バスで高畑下車 徒歩3分
★駐車場;向かい側に高畑駐車場が有ります(有料)
★問合せ;0742-34-5369(奈良市 教育総務部 文化財課)

 近くに志賀直哉旧居が有ります


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