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Channel: 奈良の名所・古跡
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粟原森貝2号墳

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粟原森貝2号墳開口部
 深い山の中に築かれている古墳です 撮影日;2013.11.30

 直径10m・高さ2mの円墳
 石室全長4m・幅1mほどの無袖式の横穴式石室が開口しています
 土砂がかなり流入しており高さ不明(現状は高さ70cmほど)

粟原森貝2号墳 粟原森貝2号墳石室内

 遺跡地図では「15A-161」が2号墳になっていますが「15A-160」の場所に有ります
 3号墳「15A-162」の東およそ100mほどの所です
 思っていたより離れていました 
 
2号墳背後の古墳 2号墳背後の小山も古墳のようです
 尾根上に築かれている径22mほどの円墳です

 石室石材と思われる四角い石が露出しています
 
★所在地;桜井市粟原
★交通;岩坂十二神社より 徒歩20分
★見学;自己責任で
★問合せ;


 3号墳(数少ない双石室墳です)にも再訪しました 
 周りに下草や小木が多くあり、前回訪れているにもかかわらず見つけにくかったです
粟原森貝3号墳東開口部 粟原森貝3号墳東石室
 前回訪れた時は、東側の石室は未開口でしたが、今回思いもよらずほんの少しだけ(高さ2cmほど)開口していました
 カメラを突っ込んで何枚か撮りましたが、まともに写っているのは残念ながら1枚もなし〜
 西石室とほぼ同規模の石室です

和の鐘

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やわらぎのかね
 王寺町のシンボルです 撮影日;2013.11.16

 平成元年にふるさと創生事業として、現在の「和の鐘(やわらぎのかね)」が建設された
 昭和40年には『わたくしたちは「和の鐘」がなる王寺の町民です。』と町民憲章に
 昭和49年には『やわらぎの鐘われらの王寺』と町歌にも謳われるようになりました

 王寺町は聖徳太子とゆかりの深い土地です
 和合の道を守ることが最も大切として、我が国最初の十七条憲法第1条の「以和為貴(わをもってとうとしとなす)の精神を尊重し
 また「和」は「柔」に通じ、「心が穏やかになる」「心が静まる」「親しくなる」等の意味を持つことから、この精神を未来に向かって伝えていこうと名付けられたそうです

★所在地;北葛城郡王寺町本町1丁目
★交通;JR・近鉄王寺駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 達磨寺が400mほど南に有ります

上牧庚申塚

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上牧庚申塚
 昔は各集落に立てられていたそうです 撮影日;2013.11.16

 五軒屋を少し離れた一本道沿い、こんもりとした大木に守られるように青面金剛を祀った庚申塚が立っています
 かつては、延命長寿を願い夜を徹して語り明かす、庚申講が行われていました
 現在、村内では唯一この塚が残るだけです

一本道の先にある庚申塚 上牧庚申塚石碑

 300mほど北東の五軒屋集落から川沿いへ下りて来たところに
 『雨乞い地蔵』が祀られています

 この石地蔵を荒縄で縛り、神田池へ連れて行き「雨が降ったらお地蔵さんに出ていただきます、どうか雨の降るようにしてください」と池の水につけると雨が降ったという話が残されています
 集落には、地域独特の風習やご利益がある地蔵が6カ所に祀られていて、地蔵盆などを通して、人々に親しまれているそうです 

雨乞い地蔵堂 雨乞い地蔵

★所在地;北葛城郡上牧町上牧
★交通;近鉄五位堂駅より バスで「馬見北九丁目」下車 徒歩8分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;

朝日寺跡の石造群

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朝日寺跡石造物群
 室町後期から江戸時代にかけての石造群です 撮影日;2013.11.30 

 かつて、朝日山円通寺と言う有名な寺が在りました
 上街道の曲がり角にあり、通称「朝日寺」と呼ばれ、旅人の憩いの場となっていたそうです

 「ここは権現藤の棚、朝日にかがやくどじょう汁」と歌われ、どじょう汁を売る店も有ったそうです
 明治8年に廃寺となりましたが、本尊の木造観音菩薩立像は、後に平屋の堂を建てて安置されています

朝日寺観音堂

 堂裏の大イチョウの根元に、天文23年(1554)銘のある石造聖観音菩薩立像が有ります
 他に元和8年(1622)の石塔、元和9年・承応3年(1654)の船形板碑、五輪板碑、宝篋印塔等が有ります

朝日寺跡聖観音 朝日寺跡板碑

 集落の中ほどの辻には、優しい顔立ちが印象的な「関の地蔵」と呼ばれる地蔵石仏が有ります
 六字名号板碑や上部を欠損した阿弥陀石仏が覆い堂のなかに安置されています
 石標に関地蔵と刻まれていますが、関は咳の事のようです

 500mほど南西に有る天理教教祖誕生殿の北・春日神社の前に「咳乃地蔵尊」が有ります
 関係有りそうです 

★所在地;天理市佐保庄町朝日
★交通;JR長柄駅下車 徒歩8分
★駐車場;有りません
★入場料;タダです
★問合せ;


石上神宮の柿本人麿の歌碑

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柿本人麿の歌碑
 石上神宮鳥居の左手に立っています 撮影日;2013.11.30

 未通女等(おとめら)が 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久(ひさ)しき時(とき)ゆ思(おも)ひき吾(われ)は (万葉集 巻4-501)
 ≪碑文の意味≫
 少女が袖振るという布留の山野、神垣がずいぶん年を経ているように、あなたを長い間、恋慕っておりましたよ、わたしは

 石碑に使われているこの石は、内山永久寺の北門の石だったそうです
 高さ2.3m、幅1.4m (内山永久寺跡

★所在地;天理市布留町384
★交通;石上神宮参照

旧都跡村役場

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旧都跡村役場
 最小規模の庁舎と議事堂が、ほぼ当初のままセットで残っている点で、貴重な存在」 撮影日;2013.11.17

 生駒郡都跡村の役場として、昭和8年に建てられています
 築、約80年です(文化財の登録は受けていません)
 建物は2棟有ります
 現在、庁舎が都跡公民館尼辻分館、議事堂が市都跡連絡所として使われています

 庁舎・議事堂ともに木造平屋建てですが、意匠は少し異なります
 庁舎は、入り母屋造りの桟瓦ぶきで広さ約216平方メートル
 議事堂は、寄せ棟造りの桟瓦ぶきで広さ約130平方メートル
 庁舎のみ、柱の上に舟肘木の飾りがあるそうです
 窓はいずれも縦長のものが並び、壁には下見板を張っています

 現在、窓や玄関引き戸はアルミサッシに変わり、室内の間取りも変わっているようです
 議事堂には当初の天井も残っています
 老巧化が進んでおり、保存と地域ふれあい会館への建て替えが検討されているようです

旧都跡村合併記念碑 旧都跡村役場庁舎

 生駒郡都跡村は明治22年の市町村制施行で誕生しました
 昭和15年、奈良市に編入されました

★所在地;奈良市四条大路5丁目2-44
★交通;近鉄尼ヶ辻駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★問合せ;0742-34-5471(奈良市役所 教育総務部 生涯学習課)

 南へ600mほどの所に(都跡公民館)旧田中家住宅が有ります(Pあり)

二条辻地蔵堂

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二条辻地蔵堂
 鎌倉時代後期のすぐれた地蔵石仏が安置されています 撮影日;2013.11.17

 交差点の中に、島のように取り残された地蔵堂と弘法井戸が在ります
 歓喜寺地蔵尊の名で呼ばれています 

二条辻地蔵 二条辻道標

 高さ190cmの舟形光背を背負う像高140cmの地蔵石仏
 鎌倉期の特徴を良くあらわした蓮華座の上に立っています

 西側の堂には弘法井戸が有り、三つ板碑が並んでいます
 左手の五尊板碑は、中央に不動明王立像・上に薬師と釈迦の坐像・下に阿弥陀と地蔵の立像を半肉彫りし、最上部に金剛界大日如来の種子「バン」が刻まれています
 天文16年(1547)の刻銘が有ります
 中央には姿の良い阿弥陀立像とその上部にキリークを刻んだ頭部山形板碑が有ります
 五尊板碑と同じ頃の造立のようです
 
 西隅に隠れて、道標も有ります

弘法井戸 板碑

★所在地;奈良市二条町2丁目
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★見学;交通量が多いので注意
★問合せ;

のど地蔵

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のど地蔵
 茶畑の脇に立つ弥勒菩薩石像です 撮影日;2013.11.23

 この地方の小字「野堂」から「のど地蔵」と呼ばれています

 像高107cmの如来像を高肉彫りして有ります
 約160cmの二重光背の側面に「當来導師弥勒仏建長七年(1255)」の銘が有ります
 優れた衣文の表現などから、伊派の石工の手に依るものだとされています

のど地蔵弥勒仏 

 月ヶ瀬村指定の文化財です

★所在地;奈良市月ヶ瀬桃香野小字野堂
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「大橋」下車 徒歩25分
★駐車場;スペース有り
★見学;見学自由
★問合せ;

 岩屋枡型から1km程です


 道からは、ちょっと見えにくい場所に立っています
のど地蔵場所 のど地蔵へ道

マル塚古墳(馬取柿)

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マル塚古墳
 特に特徴ある古墳では有りませんが、山の中の古墳としては見つけやすい古墳です 撮影日;2013.12.07

 径5mほどの円墳「15C-115」です
 現状高さ1.5mほど

 墳丘には径2m・深さ1mほどの盗掘坑があります
 落ち葉が積もっていてよく分かりませんが、竪穴式石室だったでしょうか
 昭和の初め頃に土器が出土しているそうです

 築造年代も不明です 

マル塚古墳前 マル塚古墳盗掘坑
           ↑(電柱の手前から入ります)
 道脇から丘陵へ20mほど登っていくと、すぐに墳丘が見えてきます

★所在地;宇陀市大宇陀馬取柿
★交通;近鉄「桜井」駅より 大宇陀行きバスで「麻生田」下車 徒歩20分
★駐車場;近くの麻生田大明神「芦刈大明神」前にスペース有り
★見学;見学自由
★問合せ;

芝生古墳

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芝生古墳開口部
 石室の前後2ヶ所が開口しています 撮影日;2013.12.07

 斜面を利用した典型的な古墳です
 径10mほどの円墳「15C-124」です

芝生古墳墳丘 芝生古墳石材

 石室はほぼ西に開口しています
 横穴式石室は花崗岩の自然石を乱石積にしています
 長さ3.3m・高さ2.13m・幅1.43m

芝生古墳羨道 芝生古墳玄室
 羨道部は一部破壊されていますが、長さ3.9m
 幅1mほどの細長い石室です

 かろうじて片袖式です
 天井石は元は4枚だったようですが、奥の1枚が抜き取られて開口しています 

芝生古墳奥壁側開口部 芝生古墳袖部
 昭和19年の調査で鉄釘と須恵器の破片が見つかっています

★所在地;宇陀市大宇陀嬉河原
★交通;近鉄榛原駅より バスで内原下車 徒歩30分
★駐車場;近くに駐車スペースは有りません
★見学;自己責任で
★問合せ;


芝生古墳前の橋 芝生古墳進入口
 この橋が目印です ↑ 橋の前から10mほど登っていきます 
 丘陵の東側に新しいゲートが有ります(閉まってますが、脇から入れます)
芝生古墳遠景
 同丘陵の東200mの所にもカセ原古墳が有ります
 また、南西500m程の所の丘陵に横穴式石室が開口するツカノモト古墳「15C-125」が有るようです
 探索してみましたが、遺跡地図の場所には墳丘も石材も見つけられませんでした
 ツカノモト古墳の有る丘陵の北西道沿いに、巨石が積み上げられています
ツカノモト古墳近く巨石

栖光寺跡の大五輪塔

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栖光寺跡大五輪塔
 完存していれば、奈良で最も大きな五輪塔だったでしょう 撮影日;2013.12.07

 イチョウ谷と呼ばれる地にある六柱神社近くの栖光寺跡に転がっています
 空輪、水輪、火輪が並んでいます
 風輪と地輪は埋まっているのか?持ち出されているのか?
 組み上げれば4.5m程になるそうです
 南北朝時代の物と思われます

栖光寺跡の大五輪塔 大五輪塔水輪

 六孫王の墓との伝承があるようです
 六孫王とは清和天皇の孫、源姓を賜って清和源氏の祖となった経基王のことです

★所在地;宇陀市大宇陀岩清水
★交通;近鉄「榛原」駅より バスで「大宇陀」下車 徒歩30分
★駐車場;なし
★見学; 見学自由
★問合せ;


栖光寺跡へ 石清水には六柱神社が二つ有ります
 この六柱神社は重要文化財の笹岡家住宅の西・丘陵を挟んで有ります
 六柱神の参道前・南に細い道が有ります
 50〜60mほど緩やかな坂を登って行った所に有ります

有井弘法井戸

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有井弘法井戸
 屋形を設けて保存されています 撮影日;2013.12.08

 屋形内に石造枡形の井筒が残されています
 木製の蓋がしてあるので、中は見えません

 清水井戸弘法大師御詠歌
 「ありがたや清きわき出しかぢの水こうぼうだいしはあらたなりけり」

 弘法大師の有り難い井戸があるということで、この地(むら)を有井と呼ぶようになったようです

 井戸の西方に「道場」という小字が有るそうです
 弘法大師が建立した仏堂が在った地と伝えられています

 有井は正行寺を中心に発展した環濠集落です(有井環濠集落) 

★所在地;大和高田市有井1
 (磐園小学校の校門横に有ります)
★交通;近鉄大和高田駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学; 見学自由
★問合せ;

佐田1号墳

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佐田1号墳付近
 束明神古墳の南東200mの所にあった古墳です 撮影日;2013.12.08

 1号墳「17A-298」の墳丘は、径12m・高さ2.5mの円墳だと考えられています
 調査時点で基底部以外はほぼ消滅していました

 埋葬施設は、長さ2.8m・幅1.7mの玄室を持ち、幅0.9mの短い羨道がつく右片袖式の横穴式石室だったようです
 平板な幅1m程度の石材が出土していますが、これを天井石と考えると、石室は穹?状だあった可能性が指摘されています

 埋葬時期は2時期あり、1次の埋葬には、緑泥片岩の組合せ石棺が用いられたようです
 2次埋葬は、1次の石棺を取り除いた上に整地土を入れてバラス状の石を敷いていたとのことです

 出土遺物は、須恵器杯の破片・金銅製縁金具などがあったようです
 他に瓦器椀などの中世の土器や人骨片が出土しており、古代から中世へと墓の再利用が行われていたと考えられます

 上の画像の手前畑あたりに1号墳が在ったと思われます
 佐田2号墳「17A-772」は鉄塔の建つ小丘の東あたりに在りました

 2号墳も調査時点で既に削平されており基底部しか残っていませんでした
 東西に伸びる細い尾根の先端部分の南斜面に地山を整形して築かれ、墳丘の一部には版築が確認されたようです
 これらの事から、佐田2号墳は終末期の古墳だと考えられています

 の規模は、一辺7mの隅丸方形を呈した方形墳とされるようですが、八角形であるとする見方があるようです

 墳丘上には柱穴が検出され、中世の城砦ではないかと考えられます
 2号墳はこの時点で削平されたようです
 また、同調査区からは一辺が2.1m〜2.6mの小規模な竪穴住居跡が検出されています
 古墳の堀割りから出土した物と同一固体の土器片が出土したことなどから、2号墳と関係する建物遺構だと考えられました 

★所在地;高市郡高取町佐田
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学; 見学自由(ともに埋め戻しされて、何も有りませんが)
★問合せ;

六反田池公園の浮御堂「鐘楼」

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六反田池公園の浮御堂
 六反田池の中島に鐘楼が建っています 撮影日;2013.12.08

 昭和5年1月に、当時の大日本紡績株式会社福島工場(現ユニチカ)に創建されました
 昭和11年9月にユニチカ高田工場に移築された物です
 昭和52年の工場閉鎖にともない寄贈され、本郷の馬齢池に移されました
 平成6年8月に文化会館さざんかホールの建設にともない、現在の六反田池公園の浮御堂に移ってきました

梵鐘 この鐘は、ユニチカの工場で働き、亡くなった人たちの為に作られた鎮魂の鐘だったそうです 

★所在地;大和高田市日之出東本町3
★交通;近鉄大和高田駅下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;0745-22-1101(大和高田市教育委員会)

 公園の西側に日之出東本町・厳島神社が有ります

椿尾下城古墳(仮)

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椿尾下城古墳
 昔から古墳の石室と言われている穴です 撮影日;2013.12.14

 椿尾下城の本郭南側に長さ3m程の盗掘坑のような穴が有ります
 径5m程の円墳でしょうか
 遺跡地図の「9A-15」です

 穴の北側に奥壁部分と思われる石材が残っています
 幅1.2m・高さ0.8m程の楕円形の石材と天井石一枚
 両側に数個の石が積まれています
 南に開口する横穴式石室でしょうか?かなり小型の石室です

 穴の一段下に2個の石が有ります
 周辺に2・3基有ったようで、すぐ東側にも盗掘坑のような窪みあり

椿尾下城古墳盗掘坑 椿尾下城古墳下石材

 椿尾下城は室町時代に椿尾氏が築いたと考えられています
 尾根に上がって行くと、城址らしい雰囲気が残っています 

★所在地;奈良市北椿尾町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「柳茶屋」下車 徒歩約2km
★駐車場;有りません
★見学;自己責任で
★問合せ;


 古墳かどうかは不明ですが、以前から気になっていた場所です
 見学した感じでは、7世紀頃の古墳かなと思えます
椿尾下城古墳奥壁
 南側を通る村道からは、進入路もはっきりとしていません
 墳丘もはっきりとせず、藪の中に在るのでとても見つけにくいです

内馬場古墳群

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内馬場古墳開口部
 内山永久寺跡の南東にある尾根上に並んでいます 撮影日;2013.12.14

 60基以上の群集墳「11B-38〜102」で、ほとんどが横穴式石室を有する小円墳(径10m前後)です

 尾根から少し南に降りた所の一基、石室の奥壁部分が残る古墳が有ります「11B-77」かな?
 径10mほどで、比較的墳丘も残っています
 南に開口する横穴式石室で、全長4m程
 残存長1.5m、幅1.2m、高さ1.5mほど
 天井石も2枚残っています 

内馬場古墳玄室 内馬場古墳天井石

 この古墳から東側に、いくつも盗掘坑のある円墳が有ります
 北側の尾根沿いには、石室石材と思われる石が所々に転がっています
 さらに東側の尾根沿いにも盗掘坑のある円墳が並んでいます

 ほとんど調査されていないようです

内馬場古墳墳丘 内馬場古墳群石材

★所在地;天理市内馬場町
★交通;JR・近鉄天理駅より バスで「石上神宮前」下車 徒歩25分
★駐車場;なし
★見学; 自己責任で
★問合せ;

 内山永久寺跡からおよそ15分ほどです

 墳丘がたくさん有り、場所も不確かだったので見つけられるか不安でした
 30分ほど探し回って見つけました
内馬場古墳
 ≪行き方≫内山永久寺跡から南へすぐ、内山永久寺跡高見台を過ぎると二股に道が分かれています
 左手の細い道を進んでいくと柿畑が広がる場所に出ます
 右手に小川が流れ出てくる所があるので、椿の木は倒れ掛かっていて通りにくいですが、くぐり抜けるとすぐ、左手の崖を登って尾根に上がります
 そのまま尾根を進んでいくと、突然開けた場所に出ます
 二股に分かれているので、右手の坂を少し下っていきます
 すぐに墳丘が見えるので、南に回りこむと石室が開口しています
 二股の左の坂を上っていくと、両側に石材が転がっていて、さらに進んでいくと、いくつも盗掘坑のある円墳が在ります
 他には石室が開口する古墳は見つけられませんでしたが、じっくり探せばまだ在るのかもしれません

杉山古墳

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 大安寺旧境内の一角にある古墳です 撮影日;2005.11.20

 5世紀後半の築造とされ、被葬者は不明
 主体部は確認されていません
 円筒埴輪・家型埴輪が出土しています

 現在は公園として整備されています

★所在地;奈良市大安寺4丁目
★交通;奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩5分
★駐車場;大安寺の駐車場を利用(無料)
★入場料;無料
★開園時間9:00〜17:00 (休日;月・水・金)
★問合せ;0742-61-6312(大安寺)、0742-34-1111(奈良市教育委員会)

 全長154m(墳丘部だけなら南北に120m)、後円部径80m、高さ9.8m、前方部幅95mの南面する前方後円墳
 周濠は幅30mの水のない空掘であったことも確認されています

 天平19年(747)の「大安寺伽藍縁起井流記資財帳」に「一坊池井岳」と記されています
 8世紀にはすでに大安寺旧境内地に取り込まれ、庭園として利用されていたようです
 境内地の隅に位置することから、「杉山」の名前は「隅山」が変化したものだとも推察される

 前方部墳丘に、大安寺の窯跡(奈良時代後期)が残されており
 墳丘西南には窯跡が復元されています


 再訪;2013.12.14 編集;2013.12.20
杉山古墳説明版
 久しぶりに訪れてみました
杉山古墳から生駒山 杉山古墳公園入口
 現在は住宅地に囲まれて残されています
 奈良市内の平地では、平城京造営時に削られてしまった古墳が多く有るようです
 この古墳は、庭園に取り込まれる形で残されたようです

内山永久寺跡

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 現在はのどかな農地となっています 撮影日;2007.1.31

 永久2年(1134)に鳥羽天皇の勅願により、興福寺大乗院第2世頼実が創建
 中世には興福寺の末寺となり、南北朝の頃には後醍醐天皇が京都花山から吉野へ落ち延びる際に一時入寺して「萱の御所」とされました
 江戸時代には971石の朱印地を与えられ、大和では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ待遇を受けていたようです
 盛時には50以上の堂塔が並ぶ大寺院でした
 明治の廃仏毀釈の嵐の中で廃寺

 (古義真言宗)内山 金剛乗院「永久寺」と称し、阿弥陀如来を安置していたそうです

内山永久寺跡 萱御所跡

★所在地;天理市杣之内町内山方
★交通;JR・近鉄天理駅より 徒歩40分
★駐車場;有りません (石上神宮の無料駐車場より15分ほど)
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)

 石上神宮の南10分弱の所にあり、神宮寺でもあったようです

 石上神宮摂社「出雲建雄神社」の割拝殿(国宝)は、内山永久寺の鎮守だった住吉神社拝殿です(1914年に移築)


 参考;内山永久寺の廃寺
 再訪;2013.12.14  編集;2013.12.20
内山永久寺跡前芭蕉句碑
 永久寺跡の池の畔に芭蕉句碑が建っています
 「うち山やとざましらずの花ざかり」  宗房
 松尾芭蕉が出生地の伊賀上野に住み「宗房(むねふさ)」と号していた、その頃の作
 芭蕉が23〜24歳ごろに詠んだ句と推定されています
 句の意味は、「内山永久寺の参詣に来たが、外様(よその土地)の人にあまり知られていない桜が今を盛りに満開に咲き乱れていることよ」
 寛文10年(1670)に刊行された『大和巡礼』という本に収録されているそうです
内山永久寺跡高見台 内山永久寺の盛時伽藍図
 説明板や伽藍絵図から少し南に高見台が有ります
 登って往時を思ってみますか

掖上鑵子塚古墳

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 周濠跡がとてもきれいな古墳です 撮影日;2009.9.7 

 全長150mの前方後円墳です
 後円部の径に対して前方部の長さが約1/2と短く帆立貝式古墳と前方後円墳の中間的な要素を持つ古墳です
 後円部径102m・高さ17.5m、前方部推定復元幅101m・高さ12m

 埴輪列、葺石が確認されています
 後円部3段、前方部2段築成で前方部を南西に向けます

 埋葬施設は竪穴式石室のようです
 後円部中央に盗掘跡あり、現在も墳頂部に板石が散乱しています
 江戸時代の絵図(1788年の大和御陵図)に、後円部に石棺の一部が描かれているそうです

 埋葬部は未調査ですが、掖上鑵子塚古墳出土と伝えられるものが多数あります
 金銅製帯金具・鉄地金銅張挂甲小札・小型垂飾金具・琴柱形石製品等があります
 1970年代に前方部周濠部の調査がおこなわれています

掖上鑵子塚古墳後円部 掖上鑵子塚古墳前方部端

 築造年代は5世紀後半

 被葬者は不明です
 古くは武内宿禰墓、考安天皇陵、日本武尊とされたこともあったそうですが?

★所在地;御所市柏原
★交通;JR掖上駅より 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)


 再訪;2013.12.15 編集;2013.12.20
掖上鑵子塚古墳周濠跡
 墳丘内に立ち入ってみました
 後円部頂中央付近に陥没穴(径3mほどの穴・さらにその中央に径1.5m・深さ0.5mほどの穴)があります
掖上鑵子塚古墳墳頂陥没穴 掖上鑵子塚古墳供養碑 掖上鑵子塚古墳葺石
 穴の脇に最近立てられた供養碑が有ります
 前方部には葺き石が残っています

掖上鑵子塚南古墳

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掖上鑵子塚南古墳
 掖上鑵子塚古墳の前方部に隣接した古墳です 撮影日;2013.12.15

 直径30m・高さ5mの比較的大きな円墳「16B-398」です

 発掘調査が行われていないため、詳細は判っていません
 埋葬施設についても不明ですが、測量図を見ると墳頂部に盗掘孔らしき窪みが確認できます
 
 掖上鑵子塚古墳にあまりにも接しすぎているため、掖上鑵子塚南古墳を避けるために掖上鑵子塚古墳の周濠が変形した状態になっています
 倍冢とされていますが、掖上鑵子塚南古墳が先行して築造され、後から掖上鑵子塚古墳が築造された可能性が有ります 

★所在地;御所市柏原字鑵子塚
★交通;JR掖上駅下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★見学; 墳丘への立ち入りはできません
★問合せ;

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