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明神滝(東吉野村)
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倶留尊山
日本三百名山の一つです 撮影日;2015.10.25
三重県津市と奈良県宇陀郡曽爾村にまたがる高見山地の標高1,037mの山です
高い山ではありませんが、二本ボソから、美しい山容を見せてくれます
曽爾高原の国立曽爾少年自然の家(690m)、お亀池を経て亀山峠(800m)に登り、稜線を北上し二本ボソ(996m)を経て山頂に至る
二本ボソから先の頂上部は私有地で、入山料が必要です
二本ボソの名前の由来は『昔、山頂にホソの巨木が二本立っていた』からだそうです
「イワシの口」と呼ばれる突き出した部分が有り、絶景だそうです
(行きも帰りも先客がいたので、この日は行けませんでした)
山名はこの山に見られる柱状節理の大障壁、すなわち賢却千仏の「拘留孫」に由来するとの事
倶留尊山は第三紀に活動した火山のなごりで、三重県側斜面には火山岩による柱状節理が見られます
倶留尊山、曽爾高原一帯は室生赤目青山国定公園に指定されています
山頂には三等三角点「具留尊山」が有ります
★所在地;宇陀郡曽爾村伊賀見(北緯34度31分50秒, 東経136度10分12秒)
★交通;近鉄名張駅より バスで太良路へ 乗り換え 曽爾高原下車 徒歩60分
★駐車場;曽爾高原の駐車場
★入山料;500円 (環境整備のための協力金)
★問合せ;0745-94-2101 (曽爾村役場)
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金山古墳
とても珍しい双円墳です 撮影日;2015.10.04
墳丘長85.8m
南丘径55.4m・高さ9.4m、北丘径38.6m・高さ6.8m
南丘のほうが一回り大きい
北丘は2段に、南丘は3段に築かれています
周囲には周濠がめぐらされ、周濠を含んだ総長約104m
6世紀末から7世紀初頭の築造
史跡公園として整備されています
北丘には横穴式石室があり、中には凝灰岩をくりぬいてつくった家形石棺が2個置かれています
石室の全長は16m
玄室は長さ3.8m・幅2.48m・高さ2.84m、羨道は長さ6.26m・幅1.72m・高さは1.94mル
ガラス玉、耳輪、馬具、鉄刀、土器の破片が出土しています
南丘の埋葬施設は未調査です
★所在地;南河内郡河南町芹生谷
★交通;近鉄富田林駅より バスで「芹生谷」下車 徒歩3分
★駐車場;有ります(無料)
★見学 入場料;自由
★問合せ;
参考;河南町ホームページ
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弘川寺の西行墳
西行法師の墓と伝えられます 撮影日;2015.10.04
径6~7m・高さ2mほどの円墳
墳丘上に「円位上人墓」石碑が立っています
西行墳の説明板に、「西行・円位上人は 晩年 空寂座主を慕ってここに到り 文治六年二月十六日七十三歳でこの寺において入寂した」と書かれています
西行の墓を見つけたのが、似雲です
その似雲の墓も有ります
似雲墳の前の立て看によると、似雲は江戸中期の広島出身の歌僧
西行を慕って足跡をたどり、終焉の地をここ弘川寺にて古墳を発見
この古墳の周辺に千本桜を植えて花の庵を建てて住み、西行堂を建立
生涯を西行追慕にささげたそうです
(真言宗醍醐派の準別格本山) 龍池山「弘川寺」は桜の名所でも有ります
665年、役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという
平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している
翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している
寛正4年(1463年)兵火により焼失したが、江戸時代に入り寛延年間(1747年~1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している
本尊は薬師如来
有形文化財(大阪府指定);木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額
史跡(大阪府指定);弘川寺境内
天然記念物(大阪府指定):弘川寺の海棠(ハナカイドウ:4〜5月に開花する)
★所在地;南河内郡河南町弘川43 (弘川寺の裏山)
★交通;近鉄富田林駅より バスで「河内」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ;
龍池山「弘川寺」の境内から桜山のある裏山に登って行くと
比較的広い広場が有ります
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一須賀古墳群
B-9号墳
100基以上からなる古墳群です 撮影日;2015.10.04
ほとんどが横穴式石室を有する小円墳です
6世紀前半かた7世紀中頃にかけて築かれた古墳群です
現在見学できるのは、40基ほど(32基が整備されています)
遊歩道が整備されているので、容易に見学できます
(全部見学すると、3~4時間かかります)
D-4号墳とJ-8号墳
多くの古墳から、ミニチュア炊飯具型土器や韓式系土器が副葬されています
また、朝鮮半島の影響を受けたと見られる玄室の床面が羨道部の床面より低い構造をもつ横穴式古墳があることから、渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族との関連が指摘されています
平成6年(1994)10月7日に、国の史跡に指定されました
★所在地;南河内郡河南町大字東山299 (近つ飛鳥風土記の丘)
★交通;近鉄富田林駅より バスで「阪南ネオポリス」下車 徒歩8分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★休館日;月曜日、年末年始
★開館時間;10:00~17:00
★問合せ;0721-93-8321 (近つ飛鳥博物館)
参考;邪馬台国大研究ホームページ ・ 一須賀古墳群 - 古墳とかアレ(仮) 2号墳
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信貴山城址
奈良県で最大規模の中世城郭です 撮影日;2015.11.01
信貴山(標高433m)山上に築かれた山城
平成5年4月12日、平群町の史跡に指定されています
信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地
信貴山城は、朝護孫子寺の境内地として破壊を免れました
南都北方に築城された多聞城の記録からみて、最高所の雄嶽山頂には小規模な天守(高櫓)が建てられていたと考えられています
近世に描かれた古城図に「松永屋敷」の記載があり、北側に延びる主尾根には土塁を配した門の取り付く広い郭が並び、松永久秀の居館施設が建てられていたと推測されています
石垣は1箇所のみで土留めに用いられるのみで、基本的に土で造られた城郭です
信貴山雄嶽山頂にある護法堂が信貴山城の主郭部です
松永久秀は山上に南北700m・東西550mに及ぶ城郭を築いて、大和経略の拠点としました
長禄4年(1460)12月、応仁の乱で畠山義就軍が龍田城を攻めて筒井順永の後詰軍に敗れ、信貴山に陣を退いたというのがこの城の文献上の初見と思われているそうです
城郭史としては、楠木正成の築城伝説があります
天文5年(1536)6月までに木沢長政が入城して大規模に築城しました
同11年3月の河内太平寺の戦いで敗死、信貴山城も落城(炎上)しています
その後、永禄2年(1559)以降に三好長慶麾下で力をつけた松永久秀が大和の支配を目指して入城整備し、当城と南都北方に築城した多聞城を拠点に大和の支配に乗り出す
同11年(1568)6月に三好康長に攻められて信貴山城が落城するが、まもなく足利義昭を奉じて上洛した織田信長に帰属し、その加勢を受けて回復している
天正5年(1577)、上杉謙信の上洛軍に合わせて石山本願寺攻めの陣を退いて籠城し、織田信忠軍の大軍に包囲されて10月10日に落城
久秀は信長の望んだ平蜘蛛(ひらぐも)茶釜と共に爆死したとされます
★所在地;平群町信貴山頂周辺
★交通;朝護孫子寺門前より 徒歩25分
★駐車場;有ります(有料)
★見学;自由
★問合せ;
信貴山城へは、朝護孫子寺の境内にある行者堂から山上の空鉢護法堂に通じる参道が登り道です
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高安城倉庫跡
天智天皇が築かせた高安城の倉庫跡です 撮影日;2015.11.01
古代高安城は、667年天智天皇が唐と新羅連合軍の侵攻に備えるために高安山に築いたとされます
現在は、6棟確認された倉庫跡のうち、2棟の礎石を見学できます
倉庫は672年の壬申の乱で炎上したことが日本書紀に記されているそうです
その後、天武・持統天皇の時代に修築され、文武天皇の701年に廃城となったようです
この礎石群は、昭和53年に市民グループの「高安城を探る会」が高安山頂から奈良側へ200mほど下ったところで発見しました
倉庫は3間×4間(柱間約210㎝)で20個の礎石が有ります
昭和57年3月に橿原考古学研究所が2号棟跡を発掘
礎石の下から平城京跡で発見されているものと同じ暗文入りの盤(大皿)や杯が多数出土しました
この土器の年代から、これらの礎石は奈良時代前期、720~730年代のものと判明
3号棟跡も昭和58年3月に発掘され、同時期と判明しました
★所在地;平群町久安寺字金ヤ塚
★交通;近鉄西信貴ケーブル「高安山」駅より 徒歩約25分
★駐車場;朝護孫子寺の駐車場(有料)利用
駐車場より徒歩 約50分
★見学;自由
★問合せ;
戦国時代の山城遺構は信貴山城主となった松永久秀が出城として築いたと伝えられます
中世高安城は高安城の山頂に築かれています
県境の尾根を林道が通っている為、城の遺構は東西に分断されていますが、残存状態は良好です
主郭は西側で北西から南西方向に長い曲輪となり、南東下に虎口が付き、北東下に腰曲輪が残る
林道を挟んだ東側に二郭、三郭がある
二郭は土塁が巡る小郭であるが、西側に向かって通路状に伸び、その周囲を横堀が巡る
横堀を挟んで南側に三郭があり、一番広い曲輪であるが、土塁は北東側のみ付いている
気象レーダー観測所が近くに建っています
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とっくりダム湖
ダム湖の中央に吊り橋がかかっています 撮影日;2015.11.01
とっくり湖は「とっくり」のような形をししていることから名前が付けられたようです
朝護孫子寺の南側に位置し、周囲を緑で囲まれた静かな湖です
周囲約1km、東側のとっくりダムの堤も道路となっており、ぐるりと1周できます
春には湖を桜並木が囲み、秋は紅葉と、四季折々の美しさを楽しむことができます
とっくり湖のほぼ真ん中に架かるのは、長さ約100mのとっくり吊り橋です
橋の幅は1mほど(完成は1973年)
ダムは大和川水系実盛川に作られています
堤長98m・堤高30m
直線重力式コンクリートダムです
★所在地;生駒郡三郷町大字南畑
★交通;近鉄信貴山下駅より バスで信貴山門下車 徒歩5分
★駐車場;ダム湖周辺はなし 朝護孫子寺駐車場
★見学;自由
★問合せ;
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弁財天の滝(信貴山)
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ひもろぎ遺跡
山野辺の道に「ひもろぎ遺跡 すぐそこ」の矢印看板が有ります 撮影日;2015.12.20
桜井市と天理市のちょうど境あたりです
ミカン畑の中に小さな石碑と纏向小学校同窓会建立の説明板が立っています
北側には渋谷向山古墳(「景行天皇陵」)が見えています
この地域の小地名が「神籬」というのだそうです
★所在地;桜井市穴師
★交通;JR巻向駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;
「神籬」とは、神祭りの施設で神霊が降臨する依代(よりしろ)のことです
八脚台の上に榊を立てて神垂と木綿を取り付けたもの
よく地鎮祭などで見かけるあの祭壇のようなものです
語源は、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意とされ、神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味
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三室山
大阪と奈良の府県境にある標高137.3mの山 撮影日;2015.12.13
山頂には展望台が有ります
展望台から獣道同然になった古道を7・8分登ると右手の高台に「龍田神社本宮跡」伝と刻された立派な石碑が建っています
生駒山脈の最南端部を占める竜田山(立田山)の一部をさして、三室山と称します
龍田大社の神域で、古より崇められてきました
三室山は歌枕で『古今集』『後拾遺集』に
「たつた川 もみぢばながる 神なびの みむろの山に 時雨ふるらし よみ人知らず」
「嵐ふく みむろの山 のもみぢ葉は たつ田の川の 錦なりけり 能因法師」など詠まれています
JR三郷町駅から高山集落を抜けて三室山への道が有ります
古代の人が「龍田越え」と称して神社に参詣を兼ねて登った「古道」です
道の途中には休憩所・公衆便所まで整備して有ります
少し横道に入って行くと古墳(三室山古墳)も見学できます
★所在地;生駒郡三郷町
★交通;近鉄三郷町駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;無料
★問合せ;
斑鳩町の竜田川西岸にも三室山(標高28m)が有ります
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豊田狐塚古墳
布留遺跡を見下ろす北側の高台に築かれた古墳です 撮影日;2016.04.09
豊田トンド山古墳の南東100m程の所
径20m程の円墳と思われます
(遺跡地図の08D-0305には径10.5mとなっています)
南に開口する横穴式石室には三基の木棺が納められていました
玄室長さ約4.4m、幅約2.2m、高さ約2.2m
天井石は無くなっています
羨道部は発掘されていないので詳細不明
明治8年の文書で江戸時代末期に盗掘されたことが知られています
勾玉や刀が出土
国内製の小型鏡1面(直径9cm)なども出土しています
★所在地;天理市豊田町狐塚
★交通;JR・近鉄天理駅より 徒歩約30分
バスで石上神宮前下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;発掘後、埋め戻しされます
★問合せ;
参照;現地説明会資料表・現地説明会資料裏
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石ケ谷古墳
小学校の片隅に保存されている古墳です 撮影日;2016.05.08
東西18m・南北約13m程の方墳と考えられています
遺跡地図の「10D-83」です
片袖式横穴式石室が有るそうです
全長現状4.7m、玄室長2.7m・幅1.4m・高さ?
羨道長(現状)約2m・幅1.05m
調査時には既に封土を失い、かろうじて墳丘を丘陵から画するための溝が東・西・北で確認されました
周溝の隅はカーブを描いていて墳丘は隅丸方形だったようです
玄室内から須恵器台付長頸壺・高杯・杯身・土師器の椀が出土しています
鉄鏃・釘が検出されることから組合せ式木棺が埋葬されていたようです
築造年代は6世紀末~7世紀初頭
北方400mには牧野古墳が有ります
★所在地;北葛城郡広陵町馬見北7丁目
★交通;近鉄五位堂駅より 北へ4km
バスで馬見北九丁目下車 徒歩すぐ
★駐車場;有りません
★見学; 普段は施錠されていて見学できません
★問合せ;
真美ヶ丘第二小学校の南西隅に小さな古墳公園として保存されています
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男渕女渕「女滝」
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男渕女渕「男滝」
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一ノ木ダム
柿博物館へ行く途中に有ります 撮影日;2016.10.09
紀の川水系古田川 に造られています
五條吉野国営農地開発事業の一環として建設されました
1081ヘクタールの既成畑を含めて、合計1674ヘクタールもの畑にかんがい用水や防除用水を供給しています
完成にあわせてダム周辺地域を憩いの場やふれあいの場にするために整備
地元住民の手によって桜の木も記念植樹されています
1974年に着手され、1995年に竣工(平成6年末に完成)
貯水量は157万立方m
高さは38.44m
★所在地;五條市野原町1212-3(一ノ木ダム管理事務所)
★交通;JR五条駅より 地図参照
★駐車場;有ります(無料)
★見学; 自由
★問合せ;五條市観光協会
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くらがり又谷の滝
くらがり又谷の滝
狭い渓谷の間を幾重にもなって流れ落ちてきます 撮影日;2016.10.30
最上部は遠くて見えにくいですが15m級の滝です
総落差50m
古くから知られている滝です
くらがり又谷の滝上段 くらがり又谷の滝中段 くらがり又谷の滝下段
奈良名水31選に指定されています
近くに秘境の名湯として人気のある小処温泉が有ります
★所在地;吉野郡上北山村小橡
★交通;地図参照 MAP
★駐車場;有ります(無料)
★見学 入場料;自由
★問合せ;07468-2-0001(上北山村役場)
小処温泉の1kmほど先は車道は行き止まりですが
「ふれあいパーク小処」として整備されています
遊歩道やトイレも有ります
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とっくりダム湖
ダム湖の中央に吊り橋がかかっています 撮影日;2015.11.01
とっくり湖は「とっくり」のような形をししていることから名前が付けられたようです
朝護孫子寺の南側に位置し、周囲を緑で囲まれた静かな湖です
周囲約1km、東側のとっくりダムの堤も道路となっており、ぐるりと1周できます
春には湖を桜並木が囲み、秋は紅葉と、四季折々の美しさを楽しむことができます
とっくり湖のほぼ真ん中に架かるのは、長さ約100mのとっくり吊り橋です
橋の幅は1mほど(完成は1973年)
ダムは大和川水系実盛川に作られています
堤長98m・堤高30m
直線重力式コンクリートダムです
★所在地;生駒郡三郷町大字南畑
★交通;近鉄信貴山下駅より バスで信貴山門下車 徒歩5分
★駐車場;ダム湖周辺はなし 朝護孫子寺駐車場
★見学;自由
★問合せ;
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弁財天の滝(信貴山)
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ひもろぎ遺跡
山野辺の道に「ひもろぎ遺跡 すぐそこ」の矢印看板が有ります 撮影日;2015.12.20
桜井市と天理市のちょうど境あたりです
ミカン畑の中に小さな石碑と纏向小学校同窓会建立の説明板が立っています
北側には渋谷向山古墳(「景行天皇陵」)が見えています
この地域の小地名が「神籬」というのだそうです
★所在地;桜井市穴師
★交通;JR巻向駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;
「神籬」とは、神祭りの施設で神霊が降臨する依代(よりしろ)のことです
八脚台の上に榊を立てて神垂と木綿を取り付けたもの
よく地鎮祭などで見かけるあの祭壇のようなものです
語源は、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意とされ、神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味
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