池の畔に石碑が立てられています 撮影日;2013.05.04
長髄彦(ナガスネヒコ)は、神武伝説中の最大の仇役として後世にその名を残しました
『日本書紀』に神武天皇は河内国の草香の津に上陸し、生駒山を越えようとして長髄彦に撃退されたと記されています
この地は、矢田丘陵の北の外れです
西側を天野川が国道168号線に沿って北流し、逆に西側のニュータウンの東側を富雄川が南流しています
すぐ近く、白谷垣内集会所の敷地内に「鳥見白庭山」の碑も立っています
白庭山は、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が宮を築くところを決めるために3本の矢を放ち、その三本目の矢が落ちた所らしい?
ニギハヤヒは天磐船(あめのいわふね)で河内の国の哮峰(いかるがのみね)に天降った後、大和の国の鳥見の白庭山に移ったとされています
鳥見(とみ)は鵄(とび)が訛ったものだそうです
『古事記』ではナガスネヒコを登美能那賀須根毘古(とみのながすねひこ)または登美毘古(とみひこ)と表記しています
『日本書紀』では長髄(ながすね)というのは、もともと邑(むら)の名前だったが、イワレヒコの弓に止まった金鵄(きんし)に幻惑されて、ナガスネヒコの軍勢が力戦できなかった
そこで、時の人が邑の名前を鵄(とび)の邑に変えたという
★所在地;生駒市上町
★交通;近鉄白庭台駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;
参考;奈良歴史漫歩 No.039 長髄彦の故地