米川(よねがわ)の東側の竹薮の中に有る古墳です 撮影日;2012.01.08
高家古墳群(以前は長瀬薮古墳群と呼ばれていました)の盟主的な古墳です
一辺14m・高さ約4mの方墳です
石室は西側に開口しています
全長10.9m、玄室長約6m・幅約2.45m・現状高2.4m
羨道部長4.9m・幅約1.37m・高さ約1m
石室内には、かなり土砂が流入していて開口部の高さは50cmほどしかありません
築造年代は6世紀の後半
★所在地;桜井市高家
★交通;近鉄橿原神宮前駅より バスで「八釣」下車 徒歩30分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市教育委員会)
近くに平野古墳も有ります
『高家古墳群』は、100基ほどの横穴式石室墳の群集墳です
1993・94年に土地区画整備事業に伴う発掘調査(長瀬薮古墳群の東側)が行われました
水田下に埋没した27基の古墳が見つかっています
築造は6世紀末〜7世紀中葉のものがもっとも多く見つかっていますが、一部7世紀後半の古墳も含まれています
水田の造成で天井石が失われていましたが、殆ど径10m前後の円墳です
出土品は土器の他、木棺に使われていた鉄釘が一番多く、他には耳環・鉄刀・棺座金具などが見つかっています
調査後、殆ど埋め戻されました
高家は、飛鳥・藤原京から近く、都の官人層や安部寺との関連が指摘され、阿部氏の奥津城とも言われています
高家古墳群(以前は長瀬薮古墳群と呼ばれていました)の盟主的な古墳です
一辺14m・高さ約4mの方墳です
石室は西側に開口しています
全長10.9m、玄室長約6m・幅約2.45m・現状高2.4m
羨道部長4.9m・幅約1.37m・高さ約1m
石室内には、かなり土砂が流入していて開口部の高さは50cmほどしかありません
築造年代は6世紀の後半
★所在地;桜井市高家
★交通;近鉄橿原神宮前駅より バスで「八釣」下車 徒歩30分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市教育委員会)
近くに平野古墳も有ります
『高家古墳群』は、100基ほどの横穴式石室墳の群集墳です
1993・94年に土地区画整備事業に伴う発掘調査(長瀬薮古墳群の東側)が行われました
水田下に埋没した27基の古墳が見つかっています
築造は6世紀末〜7世紀中葉のものがもっとも多く見つかっていますが、一部7世紀後半の古墳も含まれています
水田の造成で天井石が失われていましたが、殆ど径10m前後の円墳です
出土品は土器の他、木棺に使われていた鉄釘が一番多く、他には耳環・鉄刀・棺座金具などが見つかっています
調査後、殆ど埋め戻されました
高家は、飛鳥・藤原京から近く、都の官人層や安部寺との関連が指摘され、阿部氏の奥津城とも言われています