大海人皇子(後の天武天皇)ゆかりの碑です 撮影日;2014.07.27
御霊神社の小高い裏山に有ります
廃校・廃園となった国栖小学校・国栖幼稚園の敷地内です
昔、大海人皇子が天智天皇の後継をめぐる問題で、天智天智の子大友皇子と争いになり、大津京を逃れ、吉野に隠棲していました
その後大津から追手がかかり、吉野川に沿って窪垣内集落まで逃れて来たとき、川で渡しをしていた老夫婦が、舟をひっくり返して皇子を中にかくまいました
大津側の追手が連れていた犬カグハナが舟の周りでにおいをかぎ出し、皇子が見つかりそうになったため、翁が赤い石を投げたところ、石に当って犬は死んでしまいました
こうして皇子は難を逃れました
その後壬申の乱で、大友皇子を倒して飛鳥浄御原宮で即位しました
死んだ犬カグハナは、大津の京に置いてきた大海人皇子の愛犬だったことを知った里人は、その亡きがらを岡の上に葬りました
これが現在の犬塚だそうです
翁が投げた石は、麓の御霊神社に安置されているそうです
また、国栖の窪垣内地区では今でも祟があるとして、犬を飼うことはタブーとなっているそうです
(野生の猿がいました)
校門坂の脇に白狐園が有ります
谷崎潤一郎の歌碑が有ります
ゆふされはくぬき林に風たちて国栖の山里秋は来ぬらしと刻まれています
★所在地;吉野郡吉野町窪垣内
★交通;近鉄大和上市駅より バスで「新子」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;