旧大和街道にシンボル的存在として建てられています 撮影日;2015.03.21
堂藩の西の玄関口として幕末に設置された検問所です
「国境検弁書」には周到な防備配置が図に示されています
幕末の文久年間(1861~1864)に設けられていた関所の跡地です
当時は土の山で造られていたそうです
500m西に二本杭と称されるところが有ります
旧大和街道の藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境として元禄12年(1699) 幕府検使の指示により、それぞれの杭を合わせ設置された箇所として伝えられています
もともとは木製で標識が背中合わせに建てられていたが、のちに石杭に替えられました
その後明治19年(1886)三重県と京都府が協議し、京都府『従是西山城の国』は旧道へ 、三重県『従是東伊賀国』は新道へ移されることになりました
現在県境にある道標は二本杭の場所から移設されたものとなっています
また、現二本杭の伊賀国側『従是東伊賀国』は、平成15年に旧大和街道向きに新しく建立されました
★所在地;伊賀市島ヶ原
★交通;JR島ヶ原駅下車 西へ徒歩30分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;