吐山城址
室町時代後期の吐山氏の山城です 撮影日;2014.01.25 早山城とも云われます 標高573m・比高140~100mの山頂が主郭ですが 山頂と東北尾根上の二ヶ所に遺構が在ります 主郭の一段下には帯郭があり、その先には段々になっている郭群、そして堀切となっていて西北の郭に続いています 吐山城主郭には、龍王社の小さな祠と役行者石像が並んでいます...
View Articleジョイン1号墳(仮)
封土は失われ、天井石のない横穴式石室が露出しています 撮影日;2014.02.07 吐山城址の北東、森の中に有ります 遺跡地図の「12B-64」です 墳丘の規模不明 ほぼ南に開口する横穴式石室です(たぶん両袖式) 羨道部は破壊されていて、全長不明(8mほどあった?) 玄室長3.5m・幅1.8m・高さ1.8m 羨道幅1.2m・高さ60cm 土砂で1mほど埋まっていると思います...
View Articleジョイン2号墳(仮)
周りは薮で覆われ、石室内はカビだらけです 撮影日;2014.02.07 ジョイン1号墳(仮)の南東、尾根の先端斜面に石室が開口しています この古墳も正式な名前は有りません 遺跡地図の「12B-65」です 墳丘規模不明(10mほどの円墳?) 無袖式?横穴式石室です 石室全長5m 羨道部がはっきりしないので、石室はもっと長かったと思われます...
View Articleウシガシバ2号墳(仮)
新所原山(標高611m)の南中腹に有ります 撮影日;2014.02.07 ウシガシバ古墳「12B-55」の東側の尾根上にある1基です 「12B-57」でしょうか?(2基有るようなんですが?) 熊笹に覆われていて、どこに有るのかとても見つけにくいです 墳丘もはっきりせず、規模も定かでは有りません ⇒画像 (径10m?の円墳?) 石室もほとんど破壊されています...
View Articleタコセ古墳
名阪国道・道の駅「針テラス」の東の山中に有ります 撮影日;2014.02.15 遺跡地図の「9D-46」ですが・・・場所が違います 標高550mの最高所に有ることになっていますが、南東へ100mほど降りていった所に有りました タコセは高背が訛ったと考えられます 径8mほどの小さな円墳です 南側に横穴式石室が開口しています...
View Article字タコ瀬の古墳
二基の古墳が仲良く並んでいます 撮影日;2014.02.15 タコセ古墳から南へ延びる尾根の先端に有ります (南東へ200mほどの所です) 遺跡地図の「9D-47」「9D-48」です 東西に並んでいる様に記載されていますが、ほぼ南北に並んでいます 南側の円墳は、径15mほどで高さ4mほど有り、墳頂は大きく盗掘を受けて石室が見えています 天井石は無く、羨道部も埋まっています...
View Article都祁馬場・塚穴古墳
名前から、かつて石室が有ったのでしょう 撮影日;2014.02.15 神明神社の西、田圃の中・農道脇に残された小丘に石材が散乱しています 遺跡地図の「9B-2」です 詳細不明です 古墳が有りそうな場所だな~、と思って寄ってみました 家に帰って遺跡地図を確認すると、塚穴古墳と云う名前の有る古墳でした ★所在地;奈良市都祁馬場町字芝田 ★交通;名阪国道「針インターチェンジ」より...
View Article宮奥ダム
宇陀川にある小規模ダムです 撮影日;2014.02.21 県が管理する洪水調整・潅漑用水・簡易上水道用水を目的とする重力式コンクリートダム 堰堤直下に簡易上水道の浄水場と配水池が有ります 河川維持水放流設備はミニ発電所のような形態ですが発電は行われていません ダム湖「宮奥湖」は最大貯水量は580キロ平方メートル・有効貯水量は475キロ平方メートル...
View Article宝来横穴墓群
7基の横穴墓が確認されています 撮影日;2014.03.08 1号墓は全長6.9m、2号墓は全長約5.3m、3号墓は全長約3.9m、4号墓は全長約4.3m 6号墓から異形陶棺が出土しています 小型(砲弾型?)の陶棺が納められていたようです 奈良盆地の北西部に面する丘陵では、6世紀の後半から7世紀の中頃にかけて、丘陵の斜面に横穴を掘削して遺体を埋葬する「横穴墓」がさかんに造くられます...
View Article大門坊の十三仏板碑
風化摩耗がほとんど無い、比較的大型の十三仏板碑です 撮影日;2014.03.08 平成9年(1997)、寺墓改修の折に掘り出されました 高さ約150cm・幅55cm程 三列四段、上部に虚空蔵の定型十三仏板碑 表面にはノミの刃跡が切り立って残り、裏面は荒タタキの仕上げです 大和郡山市指定文化財です 永らく土中にあったようで、風化摩耗は見られません...
View Article斑鳩文化財センター
藤ノ木古墳の代表的な出土品が常設展示されています 撮影日;2014.03.08 正式名は「斑鳩町文化財活用センター」です 平成22年3月にオープンしています 玄関を入ると右側に、石室をモチーフにした通路が有ります その奥が展示室で、映像コーナーも有ります 展示品はすべてレプリカです(びっくりするぐらい本物そっくりに作られています) 館外にも朱塗りの石棺模型が展示されています...
View Article安福寺横穴群(玉手山横穴群)
安福寺参道の両側崖面に掘られています 撮影日;2015.03.15 32基の横穴墓があり、大阪府の史跡に指定されています 短い羨道と玄室からなり、天井はゆるいアーチ状となっています 造り付けの石棺をもつもの、陶質棺がおさめられているもの、騎馬人物像などの線刻壁画が描かれたものなどが有るそうです 近くの玉手地域コミュニティ会館のそばにも5基の横穴が有ります...
View Article安福寺の割竹形彫文石棺蓋
以前は手水鉢として利用されていたそうです 撮影日;2015.03.15 1990年に重要文化財に指定され、覆屋が設けられて保存されています 玉手山3号墳(勝負山古墳)から出土したものと伝えられています 長さ2.56m・幅0.9m 4世紀のものと推定されています 石材は香川県の鷲ノ山産の凝灰岩を使用して造られています...
View Article玉手山7号墳
墳頂に大坂夏の陣の戦没者の供養の宝篋印塔が建っています 撮影日;2015.03.15 安福寺の後ろにあることから後山古墳ともよばれます 全長150mの前方後円墳です(玉手山古墳群中、最大) 西側(安福寺にむかって)に前方部が有ります 昭和55年に、後円部で滑石製の盒子が採集されています 盒子は容器の事で、長さ10cm・幅8cmの小さい楕円形をしているそうです...
View Article石打城址
非常に良好に遺構が残されています 撮影日;2015.03.21 石打城は(別名「稲垣城」)は県史跡となっています 室町時代後期の在地土豪の稲垣氏の城砦であったと伝えられてます 丘陵頂上に四方を切り込み土塁と掻き上げ土塁に囲まれた本郭が有ります 南側に二の郭・三の郭があり、二の郭下に両側を土塁がある大手口の桝形虎口が有ります...
View Article大和街道関所跡
旧大和街道にシンボル的存在として建てられています 撮影日;2015.03.21 堂藩の西の玄関口として幕末に設置された検問所です 「国境検弁書」には周到な防備配置が図に示されています 幕末の文久年間(1861~1864)に設けられていた関所の跡地です 当時は土の山で造られていたそうです 500m西に二本杭と称されるところが有ります...
View Article専称寺のシダレザクラ
樹齢200年とされる江戸彼岸系の枝垂桜です 撮影日;2015.03.28 それほど広くない境内いっぱいに枝を垂らす、見事なしだれ桜が見られます 桜の開花時期にだけ一般公開してくださっています 夜8時半までライトアップもされています 早咲きの枝垂れ桜で、3月下旬に咲きます 『尋源桜』と名付けられています...
View Article岡崎山1号墳
古代朝鮮より移住して来た百済王ゆかりの古墳と伝わります 撮影日;2015.03.28 前方部を南西に向ける、全長27.5mの小型の前方後円墳です 後円部径19.5m、前方部幅16m 東側に神社の建物があり、墳丘は削られています 三野山 岡崎稲荷神社の境内地に有ります 2~3基の円墳(径15mほど)が墳丘を接して築かれています...
View Article岩船横穴墓群
益田岩船のある丘陵の南東斜面に有る横穴墓です 昭和58年5月、白橿南小学校の生徒が見つけたそうです 現状は、場所もわからない状態になっているようです 飛鳥時代に造られたようです 5基確認されている様です (昭和59・60年に3基調査されています) 1号横穴「14C-685」からは土師・須恵器が出土...
View Article都祁シントク1号墳
現地は、太陽光パネルが設置されているようです(太陽光発電) パネルの下に現状保存されている? 1号墳「9D-02」は、径17m の円墳です 東に開口する横穴式石室が有りました 石室長さ約9mで、縦長の特徴を持ちます 玄室奥壁の幅1.4m・高さ2.5mで、花崗岩の自然石を利用して築かれていました...
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