西行法師の墓と伝えられます 撮影日;2015.10.04
径6~7m・高さ2mほどの円墳
墳丘上に「円位上人墓」石碑が立っています
西行墳の説明板に、「西行・円位上人は 晩年 空寂座主を慕ってここに到り 文治六年二月十六日七十三歳でこの寺において入寂した」と書かれています
西行の墓を見つけたのが、似雲です
その似雲の墓も有ります
似雲墳の前の立て看によると、似雲は江戸中期の広島出身の歌僧
西行を慕って足跡をたどり、終焉の地をここ弘川寺にて古墳を発見
この古墳の周辺に千本桜を植えて花の庵を建てて住み、西行堂を建立
生涯を西行追慕にささげたそうです
(真言宗醍醐派の準別格本山) 龍池山「弘川寺」は桜の名所でも有ります
665年、役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという
平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している
翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している
寛正4年(1463年)兵火により焼失したが、江戸時代に入り寛延年間(1747年~1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している
本尊は薬師如来
有形文化財(大阪府指定);木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額
史跡(大阪府指定);弘川寺境内
天然記念物(大阪府指定):弘川寺の海棠(ハナカイドウ:4〜5月に開花する)
★所在地;南河内郡河南町弘川43 (弘川寺の裏山)
★交通;近鉄富田林駅より バスで「河内」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ;
龍池山「弘川寺」の境内から桜山のある裏山に登って行くと
比較的広い広場が有ります