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Channel: 奈良の名所・古跡
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銭司遺跡

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銭司遺跡
 「鋳銭之遺跡」と記された石碑が建てられています 撮影日;2014.09.20

 奈良時代、鋳銭司(すぜんず)と呼ばれる官職が設けられ国家朝廷による鋳造を担っていました
 銭司の地名はこの官名に由来するものです
 
 「恭仁京」の古瓦と同一の瓦も出土しており、「恭仁京の造営」と共に鋳銭司が置かれ鋳銭が行われたと推定されています

銭司遺跡碑 銭司遺跡説明版

 銭司には鋳銭遺跡が有ります
 明治4年、小字「金鋳山」で完形の「坩堝」が発見されています
 その後、明治10年に「和同開珎」50枚が発見され、大正時代初めの伊賀街道改修工事中に、坩堝片・銅滓・古瓦片等の遺物が多数出土しました
 大正12年、京都府史蹟勝地調査委員(梅原末治氏)が試掘調査を実施しています

★所在地;木津川市加茂町銭司神田
★交通;JR加茂駅より バスで「銭司」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;0774-73-8191 (木津川市観光協会)


恭仁宮跡の恭仁小学校

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恭仁小学校裏
 木造校舎で知られます 撮影日;2014.09.20

 明治6年(1873)の創立
 現在の校舎は木造一部2階建てで、昭和9年の室戸台風で校舎倒壊
 昭和36年に地域住民の支援で建て直されました
 住民が木材提供や金銭支援に加え、建築などにも携わりました
 当時の落成記念冊子には、校舎の再建は「村学一致」と表現されています

恭仁小学校 恭仁小学校正門

 恭仁京(くにきょう、くにのみやこ)は、奈良時代の一時期、都が置かれた山背国相楽郡の地
 大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも言われていました
 昭和32年年7月1日「山城国分寺跡」として、国の史跡に指定されました
 その後の学術調査の進展に伴い、2007年2月6日付で史跡指定範囲が拡大され、指定名称も「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」に変更されています
 遷都後、宮城跡地は山城国分寺として再利用され、大極殿は金堂に転用されたようです
 南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域を有していました
 現在は広大な平原となっており、金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が有ります 

恭仁宮大極殿跡 恭仁国分寺塔跡

★所在地;木津川市加茂町例幣中切31・32
★交通;JR加茂駅下車 徒歩25分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由(学校敷地への立ち入りは許可が必要です)
★問合せ;

飛鳥路

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飛鳥路集落
 笠置町のどの地域とも異なる、独特の雰囲気が有ります 撮影日;2014.09.20

 国道163号線、笠置トンネルの東1.5kmほど先に木津川を渡る橋が有ります
 この橋は雨が降れば水没します
 ゆえに、潜没橋と呼ばれます

 その橋の向こうに広がるのが、飛鳥路です
 のどかな田園風景が広がります

飛鳥路へ 飛鳥路潜没橋 

 JR笠置駅方面へ歩いていける東海自然歩道も有ります
 布目川には甌穴群が見れます

飛鳥路踏切 飛鳥路布目橋 

 天照御門神社への分岐付近に、江戸時代末期の大庄屋「庄屋庄七翁終焉之地」の顕彰碑が建てられています
 庄七は興ヶ原村に生まれ、25歳で大庄屋を受け継ぎました
 興ヶ原村の水田はしばしば干ばつの被害を受けたことから、嘉永4年(1851)に布目川の水を引く工事を開始し、約1年かけて工事を完了させました
 しかし水路の各所に漏水があり、自らの財産をつぎ込んで補修工事を継続します
 安政元年(1854)の大地震により水路が壊滅すると庄七への非難が高まり、村から郡山藩へ訴えられ大和追放、財産没収となり失意の晩年をおくることになりました

飛鳥路社標 飛鳥路庄七翁終焉之地碑 
 「興ヶ原」バス停下車東へ約0.7kmの所には庄屋庄七顕彰碑が建てられています

★所在地;相楽郡笠置町飛鳥路
★交通;JR笠置駅下車 徒歩
★駐車場;有ります(有料500円)
★見学;ゆっくりと歩いてみましょう
★問合せ;

布目川の甌穴群

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布目川の甌穴3
 見事なポットホールを観察することができます 撮影日;2014.09.20

 布目川最下流部の木津川合流点付近では、河床に露出する花崗岩の岩盤上に、大小様々なポットホールが分布しています
 布目川甌穴群として親しまれている

布目川の甌穴群標 布目川

 円筒形をした美しい代表的な甌穴は河底のくぼみに、うずまき流が生じ中に落ち込んだ小石が回転しながら河床を深く削って出来たものです
 この辺りの河床は非常に堅い花崗岩で成り立ち、このような所に出来るものは珍しいそうです
 穴が出来るまでには数十年から数百年かかるものと推定されています
 地元では、この甌穴を九つ壺と呼んでいるそうです

 河床へは3ヶ所、降りられる所があります 

布目川の甌穴1 布目川の甌穴2

 上流に「勧請縄」が張って有ります
 集落内に不浄なものが入らないようにした「しめ縄」です
 年の始めに新調され、藁で男女の性器を形作ったものと幣が交互に付けられています

布目川の甌穴4 布目川川床

★所在地;相楽郡笠置町飛鳥路
★交通;JR笠置駅下車 徒歩
★駐車場;有ります(有料500円)
★見学;自由
★問合せ;

柳生古城跡

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柳生古城跡主郭
 主郭には休憩小屋もあって遊歩道が整備されています 撮影日;2014.09.20

 柳生城の北600mの山上に在ります
 「柳生氏の番城」つまり柳生城の出城、あるいは古市氏による笠置ルートの繋ぎ城の二説が有るようです

 鉤形の空堀が見所です
 
 主郭に「劔塚」という石塔が立っています(詳細不明)
 古城山は標高305m(比高65m)

柳生古城跡劔塚 柳生古城跡福郭 

 元弘元年(1331)、後醍醐天皇が側近の日野俊基らと討幕の計画を進めていたところを発覚してしまい笠置山で挙兵することとなりました
 この元弘の乱の際に柳生永珍が古城山において天皇方の糧道を確保しようとしたのが始まりだとされています
 後の天文13年(1544)に筒井勢の攻撃をうけ、柳生本城よりも先に落城したとされる外城が、この古城だと考えられています

柳生古城跡北土塁 柳生古城跡堀切 

★所在地;奈良市柳生下町字古城
★交通;近鉄奈良駅より バスで柳生下車
 (すぐ登山道入口が有ります)5分ほどで主郭に着きます
★駐車場;有料
★見学;自由
★問合せ;
 

 国道369号線交差点近く、「柳生」バス停の横から階段を登って山に入ります
柳生古城跡入口 柳生古城跡遊歩道 

念誦崛不動尊

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念誦崛不動尊
 この不動尊は2mほどの岩に陽刻されています 撮影日;2014.09.28

 左側に「延文三年戊戌(1358)正月 宣快」と陰刻されています
 紀年銘のある石仏としては大和では古いものです
 宣快は作者名と思われます

念誦崛不動尊降り口 念誦崛不動尊刀

 念誦崛(ねずき)というのは地名で、談山神社から徒歩20分くらいの所です
 標柱から150mほど谷を下って行くと有ります 

 この不動尊は、ある人の夢枕に立って
 「土に埋まっている自分を掘り起こしてくれたら首から上の病を治してやろう」と告げました
 言われた所から掘り出すと、頭の痛かったある人の病が治ったそうです

 不動尊横の石垣には、おもちゃの刀がたくさん刺さっています
 頭痛が治ったお礼に奉納された物のようです

★所在地;桜井市北山
★交通;近鉄桜井駅より バスで談山神社下車 徒歩20分
★駐車場;
★見学;自由(結構急坂です、雨の時は滑りやすいので注意)
★問合せ;

増賀上人の墓

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増賀上人の墓
 石段を150段登った、高所に築かれています 撮影日;2014.09.28

 二段石積みの円墳です
 下段は径4m・高さ1.1m、上段径2.3m・高さ77cm
 墳上に五輪塔が立っていました(現在は地輪だけ残っています)
 南面に「上人長保五年(1003) 六月九日」、西面に「慶長七年(1602)十一月九日」と有ります

増賀上人の墓石段 増賀上人の墓入口

 増賀上人は、橘恒平の子で比叡山から多武峰に来て87歳(1003年)で没しました
 名聞を嫌い、奇行が多買ったと伝えられます
 応和3年(963)に如覚の勧めで入山、以後40年間入滅まで隠棲
 開山の定恵にたいして、中興の祖と仰がれます

増賀上人の墓石仏 増賀上人入寂碑

 ここは、妙楽寺奥の院「紫蓋寺」跡です
 明治の廃仏毀釈まで念仏常行堂・地蔵堂・鐘楼・僧坊等が並んでいました 

 進入路に「大西良慶和上生誕の地」碑が建てられています
 その奥には「増賀上人入寂場」と刻まれた石碑が有ります

 石段手前に石仏などが並んでいます
 地蔵石仏は弘治4年(1558)、阿弥陀石仏は天正11年(1583)の刻銘が有ります
 
★所在地;桜井市北山
★交通;近鉄桜井駅より バスで談山神社下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★見学;自由
★問合せ;

滝畑の滝

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滝畑の滝
 志賀川にかかる美しい滝です 撮影日;2014.09.28

 総落差15mほどの滝
 落ち口からまっすぐ落ちてきて、さらに斜めに滑り落ちてきます
 浅めの滝壺から、小滝が続きます

滝畑の滝落ち口 滝畑の滝下段

 カーブミラーの近くに小さな赤い橋がかかっています
 渡って少し下流へ行くと 滝畑の滝が有ります
 また、下流200mほどの所からも川へ降りられます
 滝前は瓦礫でいっぱいです 

滝畑の滝前 滝畑の滝橋

★所在地;吉野郡吉野町滝畑
★交通;近鉄大和上市駅より バスで志賀下車 徒歩30分
★駐車場;スペース1台程度
★見学;自由 
★問合せ;

 小さな赤い橋から150mほど上流には夫婦滝が有ります


 志賀川にはいくつも滝がかかります
 下流に有る、二つの流れが合流する小滝
滝畑志賀川下流小滝

滝畑の夫婦滝

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滝畑夫婦滝
 滝畑不動尊横の谷にある滝です 撮影日;2014.09.28

 昼間でも薄暗く、幽玄な雰囲気の滝です
 落差は7~8mほど

 大きな岩の両側から流れ落ちています
 左側の方は勢いの有る斜爆
 右側は一筋の直爆

滝畑夫婦滝左流 滝畑夫婦滝右流

 滝畑の滝の上流200mほどの所に有ります 
 滝前に行くのは少し勇気が要ります
 岩が滑りやすいので、川に落ちないように・・・ 

滝畑夫婦滝前 滝畑不動 滝畑不動尊

★所在地;吉野郡吉野町滝畑
★交通;近鉄大和上市駅より バスで志賀下車 徒歩35分
★駐車場;スペース2台程度
★見学; 自由 
★問合せ;


 さらに上流の集落手前にも小滝がいくつも見ることができます
滝畑上流の小滝 滝畑上流の滝

蟷螂の岩屋・蝙蝠の岩屋

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山上川
 役行者ゆかりの行場です 撮影日;2014.10.04

 蟷螂(とうろう)とはカマキリのことです
 天井が低くトンネル状の洞内は、頭を上げるとすぐにぶつけてしまい、「出る杭は打たれる」の教え修行の場として現在でも多くの修行者が訪れています
 また、腰をかがめて修験の行者が洞に入っていく姿が、カマキリの歩く姿に似ていることからこの名が付けられたと言われています

 飛鳥時代に役行者が〝大峰山一之行場〟として開いた修行の場です
 岩燕の越冬地としても知られ、奈良県の天然記念物に指定されています

蟷螂の岩屋管理棟 蟷螂の岩屋柵

 訪問時はお休みだったので、門は閉まっていました
 蟷螂の岩屋の入口右側に石段が有り、そこにも小さな洞窟が口をあけています
 失礼して覗かせてもらいました
 もちろん、中は真っ暗
蟷螂の岩屋内 蟷螂の岩屋入口
 蛇腹が見れました
 この蛇腹は、洞窟が水没していた時代に、地下水の流れや流速の変化で発生する小さな渦によって作られたものです 

 100mほど下流には、蝙蝠(こうもり)の岩屋が大きく口を開けています
蝙蝠の岩屋 蝙蝠の岩屋役行者像
 今から1300年前の飛鳥時代に、役行者が大峰山開山のみぎり、この洞窟を仮の住まいとして修行をした場所です
 「籠り(こもり)の岩屋」と呼ばれていたようです
 いつの時代からか、洞内に生息するコウモリに合して〝蝙蝠の窟〟と呼ばれるようになったそうです

 さらに下流には神泉洞(中へは入れないようです)が有ります 

蟷螂の岩屋前 蟷螂の岩屋吊り橋 蟷螂の岩屋図

★所在地;吉野郡天川村洞川
★交通;近鉄下市口駅より バスで「洞川温泉」下車 徒歩30分
★駐車場;なし
★見学 入場料; 大人300円
★休館日;11月30日~4月末は閉門(夏休み期間中以外は土日のみの営業)
★開館時間;9:00~17:00
★問合せ;0747-64-0333(洞川温泉観光案内所)

みたらい渓谷

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みたらい渓谷小滝
 紅葉の名所です 撮影日;2014.10.04

 身頃は10月下旬~11月中旬
 みたらいの名は、南朝の帝がミソギをしたと(御手洗)いう伝説が元になっていると云われます

 大峯山より流れ出る山上川の最下流部は両側の山が迫って峡谷となっています

みたらい渓谷吊り橋 みたらい渓谷淵

 みたらい渓谷は山上川が川迫川(こおせがわ)に合流する場所に出来ており、特に狭まった山の裾の大岩壁を大小の滝が流れ落ちる自然の一大傑作です
 周辺の森林は人の手が入れられなく、それが功を奏した形で特に新緑と紅葉の美は近畿地方第一といわれます

 洞川温泉とは約7キロの遊歩道で結ばれています

みたらい渓谷一の滝 みたらい滝最下段 

 みたらい滝は、吊り橋の下に豪快な音を立てて流れ落ちています
 上段は落差10mほど

みたらい滝上段 みたらい滝2 

 光の滝は、美しい滝で虹が架かるらしい
 少し上流にも落差10mほどの滝が有ります 

みたらい渓谷光の滝 みたらい渓谷無名滝 

★所在地;吉野郡天川村北角
★交通;近鉄下市口駅より バスで「天川川合」下車 徒歩30分でみたらい渓谷入口
 または観音峰登山口バス停下車 観音峰橋を渡って遊歩道へ
★駐車場;でみたらい渓谷入口に13台(1時間に限り300円)
 観音峰登山口駐車場(無料20台ほど)
★見学;自由
★問合せ;0747-64-0333(洞川温泉観光案内所)


みたらい渓谷無名滝2

小路・行者の滝

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行者の滝行場
 普段は水量は少なく、打たせの滝となっています 撮影日;2014.10.04

 知行の滝とも呼ばれるようです
 総落差、15mほど

行者の滝 行者の滝前 

 この滝は、義経馬洗いの滝と伝承されています
 義経馬洗いの滝は、吉野の高滝「象の小川」が知られます

行者の滝うたせ口 行者の滝落ち口 

★所在地;吉野郡下市町小路
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩75分
★駐車場;なし
★見学; 自由
★問合せ;

天ヶ滝

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天ヶ滝
 金剛山の登山道にある滝です 撮影日;2014.10.11

 2段、約17mの段瀑
 上段は5m程で緑に覆われています
 下段は少なめの水量で、少し広がりながら流れ落ちています
 滝壷はありません

天ヶ滝上段 天ヶ滝下段

 水量は多くありませんが、きつい登山道を登って来て心が休まる滝です
 天ヶ滝新道の登山口より約20分で滝への分岐です
 そこから100mほど谷へ下ります 

★所在地;五條市小和町・御所市鴨神
★交通;JR北宇智駅下車 徒歩60分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ; 0747-22-4001(五條市観光協会)

五條文化博物館

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五條文化博物館
 愛称は『ごじょうばうむ』です 撮影日;2014.10.11

 建物は、空から見るとバウムクーヘンの形になっているそうです
 安藤忠雄氏の設計です

五條文化博物館正面 五條文化博物館展示室

 3階が入口・受付になっています(エレベーター有り)
 フロアは、栄山寺の八角堂内陣装飾をイメージ
 2階は、五條文化の通史にそって、時代区分がされています
 「五條文化の始まり」「五條の古墳時代」「都と五條」「五條地域の荘園と武士」といったように解説します
 1階は、「近世の五條」「近代への胎動」といった解説を実物、映像などで行います
 その他「陀々堂の鬼はしり」「御霊神社の祭礼」などを実物、映像、文書などで解説します 

★所在地;五條市北山町930-2
★交通;JR五条駅より バスで田園1丁目下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;一般 300円
★休館日;月曜日、祝日の翌日と年末年始
★開館時間;9:00~17:00
★問合せ;0747-24-2011

新庄城址

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新庄城址
 屋敷山古墳を利用した城郭です 撮影日;2014.10.11

 中世~近世初めにこの地を支配した布施氏が居館として利用
 江戸時代の初めに桑山氏が陣屋を築き、周辺に屋敷を構えました
 城郭としての遺構は、ほとんど残っていません

 ≪屋敷山古墳前石碑文面≫
慶長六年(一六○一年)桑山修理太夫一晴公 布施郷に入部 この屋敷山に築城し四代八十余年間藩政を施く 天和二年(一六八二年)永井能登守直圓公入部 文久三年(一八六三年)まで七代百八十余年間居城となる 昭和五十一年五月吉日建之

新庄城址屋敷山古墳後円部 新庄城址屋敷山古墳前方部 

 築城年は不明ですが、大和国葛下郡(現在の大和高田市・葛城市周辺)を治めていた布施氏が、本拠である布施城の麓に居館として築いたと考えられています
 鎌倉時代?に布施氏が平時の居館を築く
 慶長5年(1600)、桑山一晴が和歌山より入封し、布施氏の館跡に陣屋を築く
 天和2年(1682)、勅使への不敬により桑山一尹が改易される
 文久3年(1863)、永井直壮により陣屋が櫛羅に移転される

新庄城址図★所在地;葛城市南藤井17(屋敷山公園内)
★交通;近鉄新庄駅下車 徒歩15分
 又は、近鉄忍海駅より バスで「屋敷山公園前」下車 徒歩すぐ
★駐車場;有ります(無料)
★見学;見学自由
★問合せ;



 城址「屋敷山古墳」の南東側に石室の天井石の一部が展示されています 
屋敷山古墳石室石展示 屋敷山古墳石室天井石 

二見城址

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二見城址説明版
 妙住寺一帯が城址です 撮影日;2014.10.11

 東側には吉野川が流れ、自然の防御線となっていました
 築城年代は定かでは有りませんが、二見氏によって築かれたと伝わります
 松倉重政が慶長13年(1608)に1万石で入部、二見氏の旧城址を拡張整備し城下町を開きました

二見城址堀跡 二見城址吉野川

 吉野川に面した平地で、妙住寺に本丸、南に二の丸を配し、西に外郭が築かれていました
 昭和55年に埋め立てられるまでは妙住寺の西に堀が残っていました
 堀跡は材木置き場になっています

 (日蓮正宗)浄土山「妙住寺」は昭和48年の創建です 

二見城址妙住寺門 二見城址妙住寺

★所在地;五條市二見5-2-23
★交通;JR大和二見駅下車 徒歩9分
★駐車場;有ります
★見学;自由(境内内は許可を得ましょう)
★問合せ;

太平記元弘の乱のジオラマ

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笠置元弘の乱
 笠置駅前に有ります 撮影日;2014.09.20

 鎌倉時代後期の元弘元年(1331)9月に山城国相楽郡笠置山において、鎌倉幕府打倒を企てる後醍醐天皇側と、鎌倉幕府側との間で行われた戦いを再現したジオラマです

 弓で戦う武将は足助重範
 巨岩を敵に投げつけようとしているのは般若寺の僧本性房

笠置元弘の乱 笠置元弘の乱説明版 

 太平記元弘の乱 笠置合戦
『鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇と北条幕府軍は元弘元年九月笠置山を舞台に合戦(元弘の乱)がくりひろげられた。
北条幕府軍は七万五千余騎の大軍によって笠置山を四方から包囲して攻撃する作戦をとるがその笠置山は全山が巨岩、怪石で覆われた天然の「要塞」であり攻撃が安易ではない。
静まりかえる城に向かって信仰した幕府軍は笠置山一の木戸仁王門の前まで押し寄せ城を見上げると天皇方の三千余人の鎧武者がぎっしりと待ち構え、その中から三河国の住人足助次郎重範と名乗る武士が登場し強弓で敵将を射殺する。
これを戦のはじめとして激しい戦闘が始まるが夕刻になった頃、今度は般若寺の本性房という大力の律僧が巨岩を投げつける。
そのため、幕府軍は甚大な被害を受ける。
しかし、風雨烈して吹く暗闇の中、幕府軍五十余人の決死隊が笠置山の北側の石壁をのぼり城内に火を放ち、混乱の中ついに笠置の城は落城した。』笠置町

★所在地;相楽郡笠置町大字笠置小字栗栖
★交通;JR笠置駅下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;0743-95-2301(笠置町役場)

大台ヶ原

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日出ヶ岳
 山上に広大な台地が広がっています 撮影日;2014.10.18

 三重県との県境には日出ヶ岳(標高1,695m)が有ります
 最高点の一等三角点は基準点名が「大台ヶ原山」ですが、国土地理院による地図には日出ヶ岳(ひでがだけ)と表記されます
 展望台からは大峯連山、台高山系、熊野灘を望むことができます
 日の出の鑑賞ポイントであり、晴れた日の早朝には富士山が見えることもあります

日出ヶ岳展望台 日出ヶ岳から眺望

 正木峠付近は木道が整備されていて歩き易い
 広大な丘陵に倒木、立ち枯れの樹木、倒木広がる峠です
 遠く熊野灘を望むことができます

正木峠へ 正木ヶ原トウヒ立枯

 正木ヶ原 ミヤコザサ草地がひらけており、立ち枯れしたトウヒの風景が現れます
 野生のシカがよく出没します

正木ヶ原紅葉 牛石ヶ原

 牛石ヶ原には、ササ原が広がり、歩道も広くなっているので休憩にも適しています
 神武天皇の銅像が立っています 

セイロ 大蛇

 大蛇(だいじゃぐら)は、約800mの断崖絶壁の上にあります
 大蛇の背に乗ったようなスリルを味わえます
 眼前には大峯山系のパノラマが広がります
 春の新緑や秋の紅葉の頃が特におすすめです
 とは、「切り立った崖」という意味がある様です

大蛇突岩 大蛇眺望

 シオカラ谷まで続く登山道は、5月末~6月初旬には見事なシャクナゲのトンネルになります
 長い下り道を行くと、シオカラ谷の吊り橋に到着します
 清らかな水の流れと溪谷美を堪能できます

シオカラ谷 シオカラ吊橋

★所在地;吉野郡上北山村小橡660-1(大台ヶ原ビジターセンター)
★交通;国道169号線から 大台ケ原ドライブウェイで駐車場へ
★駐車場;有ります
★入場料;無料
★休館日;11月下旬~4月下旬
★開館時間;9:00~17:00
★問合せ;

 大台ヶ原ビジターセンターは、大台ヶ原の自然や文化及び利用方法などについて情報提供を行うとともに、自然観察会などの自然教育活動を行う拠点施設です

中の滝

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中の滝
 圧倒的なスケールの滝です 撮影日;2014.10.18

 近くまで行くことは困難ですが、東大台「大蛇」から雄姿を見ることができます
 (廃道になっていますが、シオカラ谷から滝見尾根の展望所までは道が有るようです)

 東ノ川上流、落差は約250m
 「日本の滝100選」にも選ばれています
 西日本一の落差を誇る滝です

中の滝 中の滝

 左に「西の滝」も遠望出来ます
 西の滝は落差150m
 (大蛇からは、よく見えませんでした)

 シオカラ吊橋の少し下流のシオカラ谷には「東の滝」も懸かっています 

★所在地;吉野郡上北山村小橡
★交通;大台ケ原駐車場より 徒歩
★駐車場;有ります(大台ケ原)
★見学;自己責任で
★問合せ;07468-2-0001(上北山村役場)

大迫貯水池脇の無名滝

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大迫の滝
 大迫ダムから入之波へ向う道沿いに落ちています 撮影日;2014.10.18

 二段の段瀑、高さはおよそ10m
 上段には取水菅が見えています

 さらに上にも滝が有りそうですが見えません
 脇に新しいアルミの階段が付けられています

大迫の滝下段 大迫の滝上段

 少しダム寄りにも古い鉄の階段梯子が架けられています
 上に何か有るのでしょうね 

★所在地;吉野郡川上村大迫
★交通;車で、国道169号線で大迫ダムへ Pより徒歩5分
★駐車場;有ります(ダムを渡った所に10台程度)
★見学;自由
★問合せ;

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