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Channel: 奈良の名所・古跡
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七尋滝

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七尋滝
 上多古川上流に懸かる滝です 撮影日;2014.10.18

 落差25m、長さ100mほどある段瀑です
 (滝全体を写真に納めるのは長すぎて無理でした)

七尋滝 七尋滝

 かなり豪快な水音を立てて流れ落ちていきます
 林道に沿って、深い杉林の急斜面の谷を流れています

 谷へ降りるのはかなり危険です 

★所在地;吉野郡川上村上谷
★交通;国道169号線から上谷集落へ
★駐車場;路駐
★見学;自由
★問合せ;


 上多古川上流(この奥は源流域)
上多古川源流

櫃ヶ岳

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中腹の深戸神社から見える櫃ヶ岳
 吉野三山の一つです 撮影日;2014.10.26

 標高781m
 銅の岳と称されていました
 山頂直ぐ下に竜王社を祀る甘南備の山でした
 現在は山頂に八幡神社が鎮座しています

櫃ヶ岳山頂 櫃ヶ岳展望

 大淀町方面から眺めると唐櫃の形に似ているため、この名が冠せられたとされます
 山頂からは稲村ヶ岳や弥山・八経ヶ岳の展望が楽しめます

 途中にある展望所(東屋が有る)からは北方向が展望できます 

★所在地;吉野郡下市町貝原
★交通;善徳寺(貝原)より 徒歩70分
★駐車場;なし
★入山料;タダです
★問合せ;


 「吉野三山」とは、栃原岳・銀峯山・櫃ヶ岳です
 それぞれ「金岳、銀岳、銅岳」とも呼ばれます
 この付近がかつて黄鉄鋼や銅の鉱山であったことによります
 古くから大峰山脈の前衛峰として知られています
 栃原岳(とちわらだけ、531m)の山頂に波比売神社、銀峯山(ぎんぽうざん、614m)の山頂に波宝神社が鎮座しています

もみじ滝

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もみじ滝落ち口
 栃原川源流域にかかる滝です 撮影日;2014.10.26

 落差8m程
 名前の由来は不明

もみじ滝 もみじ滝上から

 小さな不動明王石像が祀られていて、信仰の滝であることが分かります
 落ち口から、一筋の流れが1mほど落ちてきて、岩に当たって広がって滝つぼに落ちてきます
 滝壺は浅く、また小川となって滑るように流れていきます
 ちょうど、夕日が上段に当たってきれいでした

もみじ滝下から もみじ滝下流

 「南和新西国 三十三ヶ所霊所 第一番札所」の案内板が立っています
 整備された階段を降りていくと、小さな橋が架かり、小川が流れています
 橋を渡って少し進むと、石仏が祀られる小さな祠が有ります
 祠の前を降りていくと滝が有ります 

もみじ滝不動 もみじ滝降り口 もみじ滝前の祠

★所在地;吉野郡下市町栃原
★交通;近鉄下市口駅より バスで「下栃原」下車 徒歩6分
★駐車場;スペース有り(1台程度)
★見学;自由
★問合せ;

芝崎の奇岩

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芝崎の奇岩
 吉野川が大きく蛇行する場所に有ります 撮影日;2014.10.26

 緑泥片岩などの岩石が岸に露出しています
 その景観は一帯でも群を抜いてすばらしい所です

 栄山寺から上流25kmは、県立吉野川津風呂自然公園に指定されています

芝崎の奇岩2 芝崎の奇岩吉野川
 
 昭和59年に国体のカヌー会場となった所でもあります
 休日には、カヌーや水辺の遊びを楽しむ人たちでにぎわいます
 公園も整備されています 

芝崎の奇岩カヌー 芝崎公園

★所在地;五條市原町・滝町
★交通;JR鉄五条駅より バスで芝崎下車 徒歩すぐ
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市観光協会)

南阿田大塚山古墳【再訪】

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南阿田大塚山古墳石室
 南阿太第2号墳「19D-79」とも称されます 撮影日;2014.10.26

 全長30mの前方後円墳ですが、前方部幅が9m程しかなく帆立貝式と呼ばれる古墳です
 南阿田集落の南側、吉野川右岸の小高い場所に築かれています
 古墳を囲うフェンスには住所が書かれています(珍しいです)

南阿田大塚山古墳開口部 南阿田大塚山古墳羨道

 県史跡(昭和56年3月17日指定)
 五條文化博物館に遺物が展示されています

南阿田大塚山古墳奥壁 南阿田大塚山古墳石室天井

 登っていく途中に小さな円墳が有ります
 南阿太第3号墳「19D-58」でしょうか?
 径2m・高さ1~2mほど(元は5m以上有ったようです?)の円墳 

南阿太第3号墳
★所在地;五條市南阿田町字大塚437
★交通;前回訪問時の記事⇒南阿田大塚山古墳参照

鼓ヶ滝

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鼓ヶ滝
 青蓮寺へ向う途中に有る滝です 撮影日;2014.11.02

 15m程の渓流瀑(高さは4mほど)です
 下から見上げると2段の滝ですが、落ち口から見ると3段です
 浅いですが、滝壺も有ります

鼓ヶ滝全景 鼓ヶ滝正面から 

 流れ落ちる音が、鼓を打つ音のように聞こえることから、鼓ヶ滝と名づけられたそうです
 最上段の水流から、ポンポンポンと聞こえてきます

鼓ヶ滝最上段 鼓ヶ滝上から 

 宇賀志川上流に入ると、小さな滝看板が有ります
 足元に注意しながら降りていくと、滝の正面です
 滝の上流へ降りる斜面には残念なことに、不法投棄のゴミが散らばってました

鼓ヶ滝横から 鼓ヶ滝道から 

★所在地;宇陀市菟田野宇賀志
★交通;近鉄榛原駅より バスで菟田野町下車 徒歩60分
★駐車場;滝の落ち口付近にスペース有り
★見学;自由
★問合せ;0745-82-2457(菟田野観光協会)

嘉藤太夫妻の墓

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嘉藤太ご夫妻墓
 中将姫を匿い助けた、乳母の侍従の墓です 撮影日;2014.11.02

 日張山「青蓮寺」の境内に有ります
 松井嘉籐太春時と妻静野の墓と伝えられます
 小丘の上に六字名号碑と五輪塔と二基の小宝篋印塔が有ります

嘉藤太ご夫妻の墓 嘉藤太ご夫妻の墓碑

 天平宝字4年(760)右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女・中将姫は、継母のざん言により14歳の時に日張山に配流されました
 しかし、家臣の松井嘉籐太春時と妻静野の情けによって助けられます
 日張山に草庵を結び、2年6ヶ月の間、閑居練業念仏三昧の日々を送りました
 謡曲 雲雀山 

★所在地;宇陀市菟田野宇賀志1439
★交通;近鉄榛原駅より バスで宇賀志下車 徒歩30分
★駐車場;有ります
★入山料;無料
★問合せ;青蓮寺

アカサカ古墳

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アカサカ古墳
 谷脇古墳から300mほど先の森の中に有る古墳です 撮影日;2014.11.02

 遺跡地図では道の北側の「15D-60」がアカサカ古墳となっていますが
 道の南側にある「15D-62」の位置に有る古墳がそうだと思います

 全長52mの前方後円墳です
 後円部径29m・高約6m、前方部幅39m・長約27m・高6.5m、くびれ幅約17m

アカサカ古墳金毘羅 アカサカ古墳後円部 

 埋葬施設は横穴式石室が有ったようです(南西方向に開口?)
 墳丘上に金比羅大権現の自然石が祀られ、その後に石組みが残っています
 石室の側壁でしょうか?

 埴輪は未確認
 築造は6世紀中葉ごろと推定されています

ニコ塚古墳
 道を挟んですぐ北側の「15D-61」の位置に有る古墳です
 ニコ塚古墳だと思います

 比較的良好に墳丘が残っています
 全長50.5mの前方後円墳
 後円部の径25m・前方部の最大幅は20.5m

 名前から推測すると、かつては二つの石室が在ったのでしょうか?

ニコ塚古墳墳丘 ニコ塚古墳墳頂 

★所在地;宇陀市大宇陀守道元下小字アカサカ
★交通;近鉄榛原駅より バスで大宇陀下車 徒歩25分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


 谷脇古墳へ再訪
谷脇古墳墳丘
 羨道に対して横長の玄室と言う、珍しいタイプの横穴式石室です
 この石棺に二人の成人が葬られていました(かなり狭いですヨ)
谷脇古墳袖部 谷脇古墳羨道 
 この時期は、まだカマドウマがたくさんいますね
谷脇古墳石棺

椿井城址

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椿井城址南郭
椿井城址南郭
 登山道が整備されていて、見学しやすい山城跡です 撮影日;2014.11.16

 矢田丘陵の稜線上に築かれた山城跡
 椿井山城とも呼ばれます

 当初は在地土豪の椿井氏の居城だったようです
 築城は、室町時代から戦国時代までの間

 現状では山林内に全長310mの長大な遺構が良く残っています
 多くの曲輪や深い堀切りや土塁が残っています
 一部ですが、石垣も残っています

 城域は南北に別れ、高い北側部分に中心の主郭が有りました
 <北郭は現在立ち入り禁止となっています>

 戦国末には筒井傘下の嶋左近と信貴山城に入った松永久秀との間で幾度もの争奪戦が繰り広げれられたと考えられています
 天正8年(1580)、織田信長が筒井順慶に命じ、郡山城を残して大和の諸城を破却させており、本城もこの時に放棄されたようです

椿井春日神社 椿井宮山古墳 椿井城址北郭への登り口
     椿井春日神社     椿井宮山古墳     椿井城址北郭への登り口
椿井城址北郭前 椿井城址北郭を望む
     椿井城址北郭前        椿井城址北郭を望む
南郭標識 展望図
      南郭標識      展望図
道の駅を見下ろす 椿井城址のぼり
      道の駅を見下ろす      椿井城址のぼり
椿井城址の石垣跡 椿井城址掘り切り
      椿井城址の石垣跡      椿井城址掘り切り
生駒山展望 土橋
      生駒山展望        土橋
南郭標識 信貴山方面展望
      南郭標識      信貴山方面展望
椿井城址説明 椿井城址の南郭への登り口
      椿井城址説明       椿井城址の南郭への登り口
椿井宮裏山古墳 椿井
      椿井宮裏山古墳      椿井
★所在地;生駒郡平群町椿井
★交通;近鉄竜田川駅下車 徒歩50分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


柿

鳴川不動滝

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鳴川不動滝
 落差3m程の滝です 撮影日;2014.11.15

 竜田川支流の擽原川の上流域の鳴川渓谷の少し上流に有ります
 本流にかかる滝なので、勢いよく流れ落ちています
 (訪問時は水量が少なかった為、右側からの流れが無くほとんど勅瀑状態)

鳴川不動尊 鳴川不動滝全景

 鳴川渓谷には、清滝(行場・打たせの滝)が有ります
 落差10mほど
 通常は落ちていません(行事などの時だけ流すようです)

鳴川渓谷滝見橋 鳴川渓谷の小滝
 滝見橋を挟んで反対側には、小滝が有ります
 とても綺麗に見える滝です 

★所在地;生駒郡平群町鳴川221付近
★交通;近鉄元山上口駅より バスで緑ヶ丘北下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(鳴川自然休養村駐車場・鳴川バス停)
★見学;自由
★問合せ;
 鳴川峠へ向う上流には小さな滑滝も見ることができます

 
鳴川上流の滑滝

鳴川渓谷・清滝石仏群

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鳴川渓谷・清滝石仏群
 鎌倉から江戸時代にかけて彫られた石仏群です 撮影日;2014.10.15

 渓谷の両岸に切り立った岩肌に彫られています
 もっとも下流に位置するのが、滝行が行われる滝のある崖面に刻まれている通称“八尺地蔵”です
 総高3.37m・仏身2.9mで、8尺より大きい
 作風から鎌倉中期の作と考えられています

八尺地蔵 五智如来

 対岸の滝見橋を渡った所には、通称“五智如来”が有ります
 横長の彫り込みの中に釈迦・薬師・地蔵・弥勒・阿弥陀の五尊が並んでいます

 八尺地蔵のやや上流には、阿弥陀三尊の種字を刻む「三界萬霊供養磨崖碑」が刻まれている
 さらにその上流には、室町後期~江戸初期作の“貝吹き地蔵”が2体陽刻される
 また同じ岩の北側の岩壁には“法螺吹き地蔵”と“はらみ地蔵”がある 

貝吹き地蔵 梵字

★所在地;駒郡平群町鳴川
★交通;近鉄元山上口駅より バスで緑ヶ丘北下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;


鳴川渓谷

立野城宝篋印塔

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立野城宝篋印塔
 観音寺境内に安置されています 

 高さ1mの小型の宝篋印塔です
 形姿よく整い繊細な彫刻技法で製作された優品
 室町時代後期の特徴を示しています

 基礎正面に「天文五年(1536)丙申八月日 如見禅尼逆修」の陰刻銘が有ります

立野城宝篋印塔説明版 立野城宝篋印塔堂

 昭和55年の立野城跡発掘調査の際に空濠の中から発見されました
 織田信長と松永久秀の信貴山城攻防の際に埋没したようです 

★所在地;生駒郡三郷町立野北1-7-37
★交通;近鉄信貴山下駅下車 徒歩10分
★駐車場;
★見学;観音寺さんへ声掛けして下さい
★問合せ;

北野の商い地蔵

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北野の商い地蔵堂
 面部の表情は穏やかで、まるで笑っているかのように見えます 撮影日;2014.11.16

 像高57cm
 この地蔵石仏には銘がなく、造立された時期は不明です
 鼻が欠け補修されているのも愛嬌がありユーモラスです
 そのため「鼻欠け地蔵」とも呼ばれています

北野の商い地蔵 ≪名前の由来の伝説≫
 北野に霊験あらたかな石地蔵尊がある。
 明治維新の廃仏毀釈の時に、一時、正林院にこの地蔵尊をあずけたことがある。
 すると北野の人たちは大ぜい腹痛が起こって困った。
 それで、もとのところへもどした。
 この地蔵尊の前であきないをすると、その日は必ずよく売れるといって、商人仲間では大きな評判になっている

 磯壁の集落中ほど、四つ角にある地蔵堂内にいらっしゃいます
 ここは近世以降、交通の要衝でした
 西からの堺街道は、二上小学校付近で長尾街道と合流し、この堂前で長尾街道は分岐し南下します
 東からは堂の120mほど手前で堺街道に合流した當麻道が長尾街道と合流し當麻方面へ向かっていきます 

★所在地;香芝市磯壁1丁目1133
★交通;近鉄下田駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学料;自由
★問合せ;

磯壁歯痛地蔵石仏

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磯壁歯痛地蔵石仏
 戦国時代の石仏です 撮影日;2014.11.16

 像高58cm
 右手胸前宝珠、左に錫杖を持つ通例像
 
 天文10年(1541)銘が有ります
 銘文;為宗徳□四十八供養(右)・天文十年丑二月廿五日勝久敬白(左)

 磯壁加守墓地と集落内への分岐点に所在します
 (北野の商い地蔵から西へ300mほど、建物脇に有ります) 

 伝承では、お地蔵さんに「どうぞ歯痛を治して下さい」とお願すると、不思議治ったそうでこの別名があります
 銘文からは、四八周忌供養のために造られたことがわかります

★所在地;香芝市磯壁1丁目902
★交通;近鉄下田駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

廊坊家住宅

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廊坊家住宅松
 隣りの郵便局前に枝を伸ばす見事な松が目印です 撮影日;2014.11.20

 廊坊家は中世には長谷寺一山の運営に携わったと伝えられます
 登録有形文化財(2009年8月)です

 主屋は江戸時代末期(1830~1867)の建築
 長谷寺参道に水路を挟み南面して建ちます
 間口11mの木造つし2階建で、背面に平屋建の居間を付設する
 切妻造桟瓦葺、正面に下屋庇を付け、上部を黒漆喰の大壁とし、白漆喰の虫籠窓を開ける
 下部は出格子を構え、格子戸をたてる

廊坊家住宅
 門前町の伝統的な佇まいを伝えています
 町村制が施行される明治22年まで村長にあたる戸長を務めていました
 当家の先祖は、長谷寺創立と関係深い藤原房前公より出ているそうです
 代々長谷寺の別当として、中世以後は俗別当として、寺役を勤められた家柄だそうです

★所在地;桜井市初瀬870
★交通;近鉄長谷寺駅下車 徒歩8分
★駐車場;付近に有料駐車場有り
★見学;未公開です
★問合せ;


道明上人御廟塔

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道明上人御廟層塔
 仁王門をくぐり登廊(下登廊)に入って直ぐ右側にある七重石塔です 撮影日;2014.11.20

 相輪の変わりに、笠石が乗っています

 造立年代は不明です
 (かなり古いようです 奈良時代の物??)
 背後に御廟所が有ります

道明上人御廟塔
 道明上人は、寺伝によれば初瀬山の西の丘(現在の本長谷寺のある場所)に三重塔を建立し、長谷寺を開基したとされる人物です 

★所在地など;長谷寺参照

長谷寺の天狗杉

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天狗杉
 「下登廊」を登りきった所に聳え立ちます 撮影日;2014.11.20

 目通り4m、樹高約60mで特別大きいわけでは有りませんが、この杉には逸話が有ります
 長谷寺第十四世能化(住職)であった芙岳の小僧時代(江戸時代の元禄年間)の話です
 まんが日本昔ばなし動画

天狗杉根元 根元のソテツ

 芙岳(英岳)師は伊賀上野の生まれで、小僧の時から長谷寺へ登って勉学修行されました
 その頃は回廊の左右に大杉が繁っていたそうです
 天狗がいたずらをして釣燈籠の灯を消し、灯のさらをひっくり返すので
 英岳は、「天狗といえども、長谷の霊山のやっかいになっているくせに、観音さまにあげる燈籠にいたずらし、あまつさえ、三界の大尊師となるべきわれら僧侶に迷惑をかけるとはけしからぬ。よし、わしがこれから修行して、必ずこの長谷寺の能化となり、その暁には天狗の住む杉の木を一本残らず伐り払ってやる。」といって発奮された
 それから50年、66歳にして能化の栄職につかれた
 英岳大僧正山内各伽藍の再建修築のため、杉の大樹を伐られたが、木樵《きこり》が最後の一本に斧をかけようとした時、「まあ、この杉だけは伐るのを待ってもらいたい。なるほど、わしは天狗のいたずらで発奮したが、天狗はわしの恩人でもある。この一本だけは、天狗の安住の場所として残してあげよう。」といわれたという
 根元には立派な蘇鉄も有ります

★所在地など;長谷寺参照

忍坂古墳群≪再訪≫

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 珍しい六角形に石室が見所です 撮影日;2014.11.20

 忍坂古墳群は住宅地開発の為消滅していますが、4基が朝倉台2号公園の北側斜面に移築保存されています
 西側から9号墳・8号墳・2号墳・一番奥が1号墳です

 ○1号墳
忍坂1号墳東より
 外鎌山から伸びる尾根の南東端に位置していました
 径7mの円墳
 南に開口する片袖式の横穴式石室が有りました
 石室規模は現存長で全長約4.5m、玄室長3.5m・幅約1.7m
 墳丘の殆どが流失しており、羨道も既に失われていました
忍坂1号墳開口部 忍坂1号墳石室 
 玄室床面は2層あり追葬の痕跡が有ります
 (築造当初は角礫が玄室全面に敷かれていたようです)
 出土遺物は築造当初のものとして鉄鏃・馬具・飾り金具・鉄釘・須恵器等
 追葬時のものとして鉄釘・須恵器・土師器
忍坂1号墳丘 忍坂1号墳上から 
 土器や石室の形態から6世紀後半頃の築造と考えられ7世紀中葉頃に追葬されているようです

 ○2号墳
忍坂2号墳
 1号墳の西19mに位置した径13mの円墳です
 南南西に開口する両袖式横穴式石室で天井石と羨道部は失われていました
 規模は現存で全長4.6m、玄室長3.6m・幅約1.85m
忍坂2号墳開口部 忍坂2号墳石室
 玄室内で6体分の頭蓋骨が検出されているそうです
 出土遺物は金環・鉄刀・鉄釘・刀子・須恵器・土師器など
忍坂2号墳丘 忍坂2号墳上から
 6世紀末~7世紀初め頃の築造(7世紀中葉~後半にかけて追葬)

 ○8号墳
忍坂8号墳石室
 我が国で初めて発見された6角形の平面形の石室を持つ古墳です
 1号墳から約190mの外鎌山から西に伸びる尾根の南斜面に斜面上方を削平し南側に盛土して築かれていました
 墳丘は開墾のため盛土を全て失い南半分は消失していました
 径約12mの円墳と思われます(多角形墳の可能性も有り)
 墳丘の周囲には幅約3mの濠を巡らせていました
忍坂8号墳丘 忍坂8号墳上から
 埋葬施設は最下段の石材が一部残存(南半分は既に失われていました)
 南西に開口していたと思われます
 榛原石(室生安山岩)による磚槨式の横穴式石室です
忍坂8号墳
 出土遺物は、石室内床面には砂利層が敷かれ上面より被葬者の可能性もある歯1個・銅製釘・ガラス玉・須恵器
 周濠より土師器甕1点
 砂利層の下には板石によってつくられた暗渠状の排水施設も確認されています
 更に石室周囲にも排水施設が設けられていました
 築造時期は7世紀中葉~後半と考えられています
 
 ○9号墳
忍坂9号墳 忍坂9号墳石室
 8号墳と隣接して築かれていました
 9号墳も南半分は無くなっていましが、墳丘の規模は8号墳とほぼ同規模と推定されます
 埋葬施設も8号墳と同じ磚槨式石室です
 奥壁と右側壁の一部しか残存していませんが、長方形の平面プランのようです
 出土遺物は周濠内から小形の土師器の甕が見つかっています
忍坂9号墳丘 忍坂9号墳上から 
 築造の時期は7世紀後半~末と推定されています

★所在地など;忍阪古墳群参照

外鎌山「忍坂山」

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外鎌山
 「朝倉富士」「磯城富士」とも呼ばれているようです 撮影日;2014.11.20

 国土地理院では、外鎌山の点名を「高間山(タカマヤマ)」として記され、標高292.38mとしています
 『大和志料・下巻』や『磯城郡誌』には、恩坂山(おしさかやま)として次のように記されています
 『恩坂山(おしさかやま)は、城島村大字忍坂ノ東ニアリテ慈恩寺龍谷ノ二村に連互ス、支別ニ高圓山(タカマドヤマ)小倉山(オグラヤマ)あり』と
 また、「敷島の高圓山は慈恩寺の南龍谷にあり・・・」と記されています
 このことから「恩坂山」とは、外鎌山(高圓山)・小倉山を含んだ全体の山のことのようです

外鎌山山頂 外鎌山西阿の碑と妙西光龍王と法白天龍王碑
 山頂には、三等三角点、そして南朝の忠臣・玉井西阿の最後の砦があったという外鎌城跡があり、この「西阿の碑」と「妙西光龍王と法白天龍王」の二龍王を祀る碑が建てられています

 朝倉台にある桜井ガス朝倉ガスセンターの横から約20分で登れます
 忍阪段ノ塚古墳「舒明天皇陵」がある奥ノ谷からも登れます

外鎌山眺望西 外鎌山眺望北
 山頂からは、西を見れば大和三山が、その先には二上山、葛城・金剛の峰が、北には三輪山と龍王山が、南には多武峰、音羽山が臨まれます 

★所在地;桜井市慈恩寺1508
★交通;近鉄大和朝倉駅下車 徒歩30分
★駐車場;有りません
★入場料;タダです
★問合せ;


外鎌山292.5m

「15A-77」大伴皇女墓≪再訪≫

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大伴皇女墓
 「大伴皇女押坂内墓」として宮内庁が管理しています 撮影日;2014.11.20

 径10mほどの円墳
 外鎌山南麓の奥の谷の斜面に築かれています
 
 大正年間に測量調査が行われていますが、発掘などされていないので詳細不明です
 古墳時代後期の築造と考えられているようです
 (石室が残っているかもしれませんね)

大伴皇女墓墳丘 @大伴皇女墓

 大伴皇女は、欽明天皇と堅塩媛(蘇我稲目の娘)の皇女で古事記には大伴王と記されています
 推古天皇や用明天皇とは異母兄弟となりますが、はっきりとは分かっていないようです 

★所在地など;大友皇女墓参照

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