桜井市域では現存する唯一の窮窿式石室を持つ古墳です 撮影日;2011.11.13
1号墳は径約15mの円墳で、北側に掘割りがあります
石室は、西側に袖を持つ片袖式
現存長は約6m、羨道部の幅約1m、長さ2.5m、玄室の幅約2m、長さ3.5m
羨道部の高さ1.5m、玄室の高さ3m
天井をドーム型に仕上げた窮窿式(きゅうりゅうしき)よばれる石室の形態です
窮窿式石室は、県内でも僅かに5基が確認されているだけの極めて珍しいものです
窮窿式横穴式石室は、百済系渡来氏族により伝えられたものといわれます
出土遺物は、須恵器杯蓋と土師器長頸壷のほか、本古墳出土とされる須恵器高杯などが伝えられています
築造は、6世紀中頃とみられます
2号墳は区画周溝をもった一辺5m程の方墳でした(消滅)
中央に穿たれた墓坑内に、小口部に板石を配した長さ約1.9mの組合式の木棺を納めていました
出土品は木棺にともなう鉄釘5本と、周溝からの須恵器杯と土師器杯
築造は、7世紀初頃
フェンス越しに開口部が見えますが、ほぼ埋まっているように見えました
3号墳は尾根の背からやや外れた位置にあり、1982年に先行して発掘調査が実施されています(消滅)
北側に掘割りをもつ直径約12mの円墳でした
南に開口する全長約4.3mの両袖式横穴式石室が有りました
石室内から金環・須恵器杯蓋・杯身・黒色土器杯など、掘割りからは頸壷・土師器杯・台付皿などが出土しています
築造は、6世紀後半頃
カタハラ古墳群からは墳丘をもたない埋葬施設が16基確認されています
長さ3〜5m程の土坑内に木棺を納めたものや、土坑内に小型の石室を設けたものなどがあり、墳丘をもつ古墳に従属する埋葬施設とみられます
墓坑や石室のほか木棺内からの副葬品も少なく、金環、須恵器、土師器などと木棺に使われた鉄釘が出土しているに過ぎないそうです
土坑墓などは7世紀前半を中心に造営されたとみられています
南東尾根に沿って「下り尾古墳群」が続きます
古墳時代後期の古墳が2基、7世紀中頃の飛鳥時代の木棺直葬墓が11基、小石室が3基、方形区画を持つ墳墓が1基と様々な墓が確認されています
★所在地;桜井市下り尾
★交通;近鉄桜井駅より バスで下り尾口下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;
少し北側に天王山古墳が有ります
1号墳は径約15mの円墳で、北側に掘割りがあります
石室は、西側に袖を持つ片袖式
現存長は約6m、羨道部の幅約1m、長さ2.5m、玄室の幅約2m、長さ3.5m
羨道部の高さ1.5m、玄室の高さ3m
天井をドーム型に仕上げた窮窿式(きゅうりゅうしき)よばれる石室の形態です
窮窿式石室は、県内でも僅かに5基が確認されているだけの極めて珍しいものです
窮窿式横穴式石室は、百済系渡来氏族により伝えられたものといわれます
出土遺物は、須恵器杯蓋と土師器長頸壷のほか、本古墳出土とされる須恵器高杯などが伝えられています
築造は、6世紀中頃とみられます
2号墳は区画周溝をもった一辺5m程の方墳でした(消滅)
中央に穿たれた墓坑内に、小口部に板石を配した長さ約1.9mの組合式の木棺を納めていました
出土品は木棺にともなう鉄釘5本と、周溝からの須恵器杯と土師器杯
築造は、7世紀初頃
フェンス越しに開口部が見えますが、ほぼ埋まっているように見えました
3号墳は尾根の背からやや外れた位置にあり、1982年に先行して発掘調査が実施されています(消滅)
北側に掘割りをもつ直径約12mの円墳でした
南に開口する全長約4.3mの両袖式横穴式石室が有りました
石室内から金環・須恵器杯蓋・杯身・黒色土器杯など、掘割りからは頸壷・土師器杯・台付皿などが出土しています
築造は、6世紀後半頃
カタハラ古墳群からは墳丘をもたない埋葬施設が16基確認されています
長さ3〜5m程の土坑内に木棺を納めたものや、土坑内に小型の石室を設けたものなどがあり、墳丘をもつ古墳に従属する埋葬施設とみられます
墓坑や石室のほか木棺内からの副葬品も少なく、金環、須恵器、土師器などと木棺に使われた鉄釘が出土しているに過ぎないそうです
土坑墓などは7世紀前半を中心に造営されたとみられています
南東尾根に沿って「下り尾古墳群」が続きます
古墳時代後期の古墳が2基、7世紀中頃の飛鳥時代の木棺直葬墓が11基、小石室が3基、方形区画を持つ墳墓が1基と様々な墓が確認されています
★所在地;桜井市下り尾
★交通;近鉄桜井駅より バスで下り尾口下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;
少し北側に天王山古墳が有ります