大阪城改修の際に使われなかった石だそうです 撮影日;2013.05.12
昭和50年、護岸工事の際に木津川の左岸から60〜70個の巨大な切石が発見されました
初めは、豊臣秀吉が大阪城の築城のために切り出した石の余り(残石)と伝えられていました
その後の調査で、徳川幕府が元和6年(1620)以降に、大阪城を改修した際の残石であることが分かりました
誰が名づけたのか?「残念石」と呼ばれています
江戸時代、二代将軍秀忠の時代に、大阪城再建のために各地で石材が切り出されたそうです
加茂町でも良質の花崗岩が採れたようで、木津川の水運を利用して大阪に運ばれました
加茂の石は大阪城の本丸側と、二の丸側で確認されているそうです
河原への下り口 ↑
★所在地;木津川市加茂町大野
★交通;JR加茂駅下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;
河原への下り口付近に「勝手神社」が有ります