平維盛は熊野・吉野の山中を流浪の末、野迫川村でその生涯を終えたと伝えられています 撮影日;2014.05.10
たいらのこれもりは、平安時代末期の平家一門の武将
平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男です
美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称されたそうです
一の谷の合戦で敗れた平家は、屋島へ逃げ延びました
寿永3年(1184)維盛26歳の時、和歌山田辺の熊野別当田辺湛増(たんぞう)の元へ水軍援助の使者として派遣されました
湛増は援軍を断りますが、維盛に姫を娶らせて源氏の追討から匿います
文治5年(1189)源頼朝は、維盛建捕令を発して一大平家狩りを行います
維盛は奥熊野へ逃れ、山中を流浪
建保4年(1216)58才の時に野迫川へ来たようです
承久元年(1219)にこの地で亡くなったと伝えられます
敷地内には、維盛塚を中心に花鳥風月の庭・ツツジ園・紫陽花園・散策の路・展望台等が整備されています
塚の北側に有る資料館には、ジオラマなどの展示があります
毎年7月の最終土曜日に「平維盛の大祭」が行われます
★所在地;吉野郡野迫川村平51(平維盛歴史の里)
★交通;車で国道168号線、大塔町小代下から野迫川村に入り約30キロ
★駐車場;有ります(無料)
★見学 入場料; 無料
★休館日;12月〜3月
★開館時間;9:00〜17:00 (無人ですが自由に見学できます)
★問合せ;0747-38-0047