跡地に石碑が立てられています 撮影日;2012.01.29
旧笠間小学校の裏「金比羅山」には古墳形の小丘があり、横穴式石室基底部のみ残存していました
下笠間古墳は南帝皇后の塚であるという伝説が残されています
今から約670年前、国は南朝北朝に分かれて争っていました
その時、南朝の後醍醐天皇は笠置の城が落城したため、吉野に向かって移動していましたが、皇后は道に迷って笠間の里(今の上笠間)に落ち延びたそうです
しかし、皇后はここで病にかかり、当時の里人は金比羅山を皇后の行宮として奉迎し、数年間食物や医薬を運びました
その甲斐なく皇后は崩御されましたが、里人は小丘をつくって葬りました
それが今の金比羅山であるといわれています
今でも頂上には祠が祀られ、その名残をみることができます
★所在地;宇陀市室生下笠間
★交通;名阪国道「小倉IC]より(地図参照)約9km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;
旧笠間小学校の裏「金比羅山」には古墳形の小丘があり、横穴式石室基底部のみ残存していました
下笠間古墳は南帝皇后の塚であるという伝説が残されています
今から約670年前、国は南朝北朝に分かれて争っていました
その時、南朝の後醍醐天皇は笠置の城が落城したため、吉野に向かって移動していましたが、皇后は道に迷って笠間の里(今の上笠間)に落ち延びたそうです
しかし、皇后はここで病にかかり、当時の里人は金比羅山を皇后の行宮として奉迎し、数年間食物や医薬を運びました
その甲斐なく皇后は崩御されましたが、里人は小丘をつくって葬りました
それが今の金比羅山であるといわれています
今でも頂上には祠が祀られ、その名残をみることができます
★所在地;宇陀市室生下笠間
★交通;名阪国道「小倉IC]より(地図参照)約9km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
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