津越家住宅
江戸時代中頃に建てられたそうです 撮影日;2012.01.18 津越家はこの辺りの山持ち庄屋さんの家柄で、大和屋根の立派な家屋を構えています 「大津屋」として宿屋を営んでいました 陣笠などが保管され、馬繋ぎ輪が2ヶ所あるので、武士が多く利用したと思われます 天誅組も宿泊しているそうです 高井の千本杉から坂道を上がり詰めたところが津越辻です 300年を経ている大和棟の建物が津越家です...
View Article仏隆寺の入定石室
古墳の石室に似た造りをしています 撮影日;2012.01.08 平安時代後期の貞観元年(859)の構築と伝えられます 国の重要文化財に指定されています 宝形造りの石室で、高さは3.8m・幅は6.8m 高さ2m・幅72cm・奥行き5.2mの羨道が付きます 石室内部には玄室を設けて五輪塔が置かれています 五輪塔は、高さ98cmで鎌倉時代末期の作です...
View Article寺口団子山古墳
民家の裏山にある古墳です 撮影日;2012.01.14 一辺約22m・高さ約5mの方墳です 主石室は南に開口する両袖式横穴式石室です 全長9.7m・玄室長4.m・幅1.7〜2.2m・高さ2.3m 羨道部長5.2m・幅1.5m・高さ1.4m 南西隅にも小石室が有ります 開口部は土砂で埋っているのか、崩れているのか、石室内の詳細は不明です...
View Article出屋敷塚山古墳
完全な形で人骨が出土したことで知られます 撮影日;2012.01.15 一辺約24m・高さ5mの方墳です 墳丘には葺石と円筒埴輪盾形埴輪・短甲形埴輪・家形埴輪が置かれていたそうです 埋葬施設(竪穴式石室?)には緑泥片岩製の箱式石棺があり、壮年男子の骨がほぼ完全な形で残っていました 石棺内には鹿角装鉄剣2振りが有りました...
View Article宇智陵
非業の死を遂げた井上内親王の御陵です 撮影日;2012.01.15 井上内親王は、聖武天皇の長女として717年に生まれ、11歳で伊勢神宮の斎宮に赴き119年間奉任します 30歳の時平城京へ退下し、数年後、白壁王の妃となり、754年38歳の時に酒人内親王、761年に他戸親王を産みます...
View Article出屋敷町のヘラノキ
勘定山古墳の北側に有ります 撮影日;2012.01.15 五條市の北端に位置する出屋敷町では、古くからヘラノキの生育が知られています 昭和28年3月23日、奈良県の天然記念物に指定されています 株立ちの樹形で樹高は、目測でおおよそ5m前後です ヘラノキ(箆の木)は、シナノ木科の落葉高木で、主として九州に分布しています 県内では当地域と吉野川沿岸の一部にみられるそうです...
View Article竹内22号墳
竹内古墳群で唯一石室が開口している古墳です 撮影日;2012.01.14 全長42m程の前方後円墳です 後円部径24m・高さ5.5m、前方部幅31m・高さ4.5m 周囲には幅5.5mの周濠が有ったようです 前方部に横穴式石室が開口しています(かなり狭いです) 後円部にも横穴式石室が有りましたが、石材は抜き取られ跡だけが残っています 22号墳のすぐ北側に34号墳「茶山古墳」が有ります...
View Article巨勢山323号墳
巨勢山古墳群で確認されている唯一の横口式石槨墳です 撮影日;2012.01.15 一辺14.8m・高さ約3mの方墳です 横口式石槨は南に開口しています 全長約4.5mで、石槨長約2.1m、幅約0.8m・高さ約0.8m 羨道長さ約2.4m・幅約1.5m・高さ約1.3m 葛城閃緑岩の切石(石槨部)と割石(羨道部)で構成されています 出土遺物は須恵器・土師器が確認されています...
View Article荒坂窯跡
川原寺の創建時に瓦を供給しています 撮影日;2012.01.15 向山丘陵と西河内丘陵の間に西から延びてきた丘陵突端部に位置し、前を流れる関屋川を望む斜面に造営されています 昭和8年と47年に発掘調査が行われ、昭和49年に県の史跡に指定されました 須恵器と瓦をともに生産した瓦陶兼用窯として知られ、これまで12基の窯跡が確認されています...
View Article五條勘定山古墳
柿畑に有る小さな円墳です 撮影日;2012.01.15 径17m・高さ1.2mの円墳だそうですが、かなり削られているようです 遺跡地図の「19D-68」です 結晶片岩の板石を組み合わせて構築された横口式石榔が有りますが、埋め戻されています 見逃してしまいそうですが、南側に開口部が有ります 玄室長2.1m、羨道部長約0.6mです...
View Article東大寺山古墳群
古代豪族の和爾氏により築かれた古墳群とされます 撮影日;2012.01.22 通称東大寺山と呼ばれる丘陵地帯に、4〜6世紀末に築かれた古墳群です 大型の前方後円墳の赤土山古墳・東大寺山古墳・和爾下神社古墳の他、シャープ(株)の敷地に古墳時代前期の前方後円墳の東大寺山25・26号墳が現状保存されています 1996年のシャープ工場や研究所建設に先立ち、小規模な円墳20数基が調査されました...
View Article八嶋陵前古墳
「八ツ石」と呼ばれています 撮影日;2012.01.22 崇道天皇 八嶋陵の前の道の真ん中に古墳の石室の石材があります 封土は無くなっています(墳形は不明) 自然石の大型天井石が4個南北7mに亘って露出しています 動かすと祟りがあると信じられており、撤去せずにそのままにされています 雨が降ると、水没します ★所在地;奈良市八島町前池 ★交通;JR帯解駅下車 徒歩25分...
View Article帯解狐塚古墳
墳丘全体が笹で覆われています 撮影日;2012.01.22 径10m程の円墳ですが、石室の大きさから考えると20〜30m規模だったかもしれません 埋葬施設は両袖式横穴式石室で、ほぼ南側に開口しています 全長7.5m程、玄室長4.1m程・幅1.8m・高さ2.4m 羨道長3.5m・幅1.5m・高さ1.5m 玄室の石材は抜き取られて、北側も大きく開いています...
View Article中之庄天神社の堂の杉
樹齢は千年近いでしょうか? 撮影日;2012.01.29 大人が5人かかって抱えられるほどの太さです 幹周はおよそ7mで樹高は30m以上です 昭和54年の強風で大きな枝が折れたそうですが、2本の枝がいきおい良く天に伸びています 社叢(天神社の森)は奈良市の天然記念物に指定されています...
View Article永仁磨崖仏
大きな花崗岩に線刻された阿弥陀様です 撮影日;2012.01.29 二重光背を彫りくぼめ、蓮華座上に立ち来迎印を結ぶ阿弥陀像を半肉彫りしています 頭部より放射線が何本も線彫りされ、頭光を表しています 像高は163cm 像の右脇に銘文が刻まれていて、鎌倉時代の永仁2年(1294)5月5日の造立と分かります ★所在地;宇陀市室生下笠間 ★交通;名阪国道「神野口IC」より約5km...
View Article下笠間古墳
跡地に石碑が立てられています 撮影日;2012.01.29 旧笠間小学校の裏「金比羅山」には古墳形の小丘があり、横穴式石室基底部のみ残存していました 下笠間古墳は南帝皇后の塚であるという伝説が残されています 今から約670年前、国は南朝北朝に分かれて争っていました...
View Article穴薬師算
像高70cmの地蔵2体を中心に小地蔵や阿弥陀如来立像が並んでいます 撮影日;2012.01.29 =案内板= 『穴薬師算(ざん)…この石仏群は、室町初期のころ、薬師如来の十二神将、七仏薬師に因んで祀られたもので、染田明神と共に文化的価値が高く、特に目、鼻、口、婦人病に、ご利益があると言われています。古くから毎年九月七日に無病息災のための会式が、近所の善男善女によって催されています。』...
View Article筒井順慶みそぎの滝「不動の滝」
落差5〜6mの美しい段瀑です 撮影日;2012.01.29 天正8年(1580)に、大和領主だった筒井順慶が伊賀攻めの際に戦勝祈願を行ったと伝えられます 滝の右側に、不動明王像が祀られています 滝の手前には供養塔が建てられています 伊賀攻めに参加した地元民戦死者の霊を慰める為に建立されたと伝承されます 八柱神社の拝殿前にあるムクロジは「鉾立ての木」と称されます...
View Article川尻地蔵磨崖仏
南北朝時代の地蔵磨崖仏です 撮影日;2012.01.29 県道沿いの山裾に張り出した岩肌から飛び出すように彫られていて、覆い屋が組まれています 頭上は浅く舟形光背を造り体躯の縁に沿って深く彫り窪め、等身大ほどの地蔵菩薩立像を厚く刻み出しています 康永元年(1342)七月の銘が有り、北朝方で使用された年号が入っていてこの地の歴史を伺わせます 銘には願主頼円と有ります...
View Article赤瀬古墳
二つの横穴式石室が並んでいます 撮影日;2012.01.29 額井岳(大和富士)の麓、天満台にかかる尾根の一つに築かれています 約10mの円墳状で高さ2mほど 同一墳丘(と思われる)に開口しています(下が1号、上が2号と呼ばれます) 1号墳(12D-3) 全長約7m、玄室長約2.2m、奥壁付近の幅1.8m、玄門付近の幅約2m ほぼ正方形の両袖の横穴式石室です...
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