$ 0 0 「大伴皇女押坂内墓」として宮内庁が管理しています 撮影日;2014.11.20 径10mほどの円墳 外鎌山南麓の奥の谷の斜面に築かれています 大正年間に測量調査が行われていますが、発掘などされていないので詳細不明です 古墳時代後期の築造と考えられているようです (石室が残っているかもしれませんね) 大伴皇女は、欽明天皇と堅塩媛(蘇我稲目の娘)の皇女で古事記には大伴王と記されています 推古天皇や用明天皇とは異母兄弟となりますが、はっきりとは分かっていないようです ★所在地など;大友皇女墓参照