七尋滝
上多古川上流に懸かる滝です 撮影日;2014.10.18 落差25m、長さ100mほどある段瀑です (滝全体を写真に納めるのは長すぎて無理でした) かなり豪快な水音を立てて流れ落ちていきます 林道に沿って、深い杉林の急斜面の谷を流れています 谷へ降りるのはかなり危険です ★所在地;吉野郡川上村上谷 ★交通;国道169号線から上谷集落へ ★駐車場;路駐 ★見学;自由 ★問合せ;...
View Article櫃ヶ岳
吉野三山の一つです 撮影日;2014.10.26 標高781m 銅の岳と称されていました 山頂直ぐ下に竜王社を祀る甘南備の山でした 現在は山頂に八幡神社が鎮座しています 大淀町方面から眺めると唐櫃の形に似ているため、この名が冠せられたとされます 山頂からは稲村ヶ岳や弥山・八経ヶ岳の展望が楽しめます 途中にある展望所(東屋が有る)からは北方向が展望できます...
View Articleもみじ滝
栃原川源流域にかかる滝です 撮影日;2014.10.26 落差8m程 名前の由来は不明 小さな不動明王石像が祀られていて、信仰の滝であることが分かります 落ち口から、一筋の流れが1mほど落ちてきて、岩に当たって広がって滝つぼに落ちてきます 滝壺は浅く、また小川となって滑るように流れていきます ちょうど、夕日が上段に当たってきれいでした 「南和新西国 三十三ヶ所霊所...
View Article芝崎の奇岩
吉野川が大きく蛇行する場所に有ります 撮影日;2014.10.26 緑泥片岩などの岩石が岸に露出しています その景観は一帯でも群を抜いてすばらしい所です 栄山寺から上流25kmは、県立吉野川津風呂自然公園に指定されています 昭和59年に国体のカヌー会場となった所でもあります 休日には、カヌーや水辺の遊びを楽しむ人たちでにぎわいます 公園も整備されています...
View Article南阿田大塚山古墳【再訪】
南阿太第2号墳「19D-79」とも称されます 撮影日;2014.10.26 全長30mの前方後円墳ですが、前方部幅が9m程しかなく帆立貝式と呼ばれる古墳です 南阿田集落の南側、吉野川右岸の小高い場所に築かれています 古墳を囲うフェンスには住所が書かれています(珍しいです) 県史跡(昭和56年3月17日指定) 五條文化博物館に遺物が展示されています...
View Article鼓ヶ滝
青蓮寺へ向う途中に有る滝です 撮影日;2014.11.02 15m程の渓流瀑(高さは4mほど)です 下から見上げると2段の滝ですが、落ち口から見ると3段です 浅いですが、滝壺も有ります 流れ落ちる音が、鼓を打つ音のように聞こえることから、鼓ヶ滝と名づけられたそうです 最上段の水流から、ポンポンポンと聞こえてきます 宇賀志川上流に入ると、小さな滝看板が有ります...
View Article嘉藤太夫妻の墓
中将姫を匿い助けた、乳母の侍従の墓です 撮影日;2014.11.02 日張山「青蓮寺」の境内に有ります 松井嘉籐太春時と妻静野の墓と伝えられます 小丘の上に六字名号碑と五輪塔と二基の小宝篋印塔が有ります 天平宝字4年(760)右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女・中将姫は、継母のざん言により14歳の時に日張山に配流されました...
View Articleアカサカ古墳
谷脇古墳から300mほど先の森の中に有る古墳です 撮影日;2014.11.02 遺跡地図では道の北側の「15D-60」がアカサカ古墳となっていますが 道の南側にある「15D-62」の位置に有る古墳がそうだと思います 全長52mの前方後円墳です 後円部径29m・高約6m、前方部幅39m・長約27m・高6.5m、くびれ幅約17m...
View Article椿井城址
椿井城址南郭 登山道が整備されていて、見学しやすい山城跡です 撮影日;2014.11.16 矢田丘陵の稜線上に築かれた山城跡 椿井山城とも呼ばれます 当初は在地土豪の椿井氏の居城だったようです 築城は、室町時代から戦国時代までの間 現状では山林内に全長310mの長大な遺構が良く残っています 多くの曲輪や深い堀切りや土塁が残っています 一部ですが、石垣も残っています...
View Article鳴川不動滝
落差3m程の滝です 撮影日;2014.11.15 竜田川支流の擽原川の上流域の鳴川渓谷の少し上流に有ります 本流にかかる滝なので、勢いよく流れ落ちています (訪問時は水量が少なかった為、右側からの流れが無くほとんど勅瀑状態) 鳴川渓谷には、清滝(行場・打たせの滝)が有ります 落差10mほど 通常は落ちていません(行事などの時だけ流すようです)...
View Article鳴川渓谷・清滝石仏群
鎌倉から江戸時代にかけて彫られた石仏群です 撮影日;2014.10.15 渓谷の両岸に切り立った岩肌に彫られています もっとも下流に位置するのが、滝行が行われる滝のある崖面に刻まれている通称“八尺地蔵”です 総高3.37m・仏身2.9mで、8尺より大きい 作風から鎌倉中期の作と考えられています 対岸の滝見橋を渡った所には、通称“五智如来”が有ります...
View Article立野城宝篋印塔
観音寺境内に安置されています 高さ1mの小型の宝篋印塔です 形姿よく整い繊細な彫刻技法で製作された優品 室町時代後期の特徴を示しています 基礎正面に「天文五年(1536)丙申八月日 如見禅尼逆修」の陰刻銘が有ります 昭和55年の立野城跡発掘調査の際に空濠の中から発見されました 織田信長と松永久秀の信貴山城攻防の際に埋没したようです ★所在地;生駒郡三郷町立野北1-7-37...
View Article北野の商い地蔵
面部の表情は穏やかで、まるで笑っているかのように見えます 撮影日;2014.11.16 像高57cm この地蔵石仏には銘がなく、造立された時期は不明です 鼻が欠け補修されているのも愛嬌がありユーモラスです そのため「鼻欠け地蔵」とも呼ばれています ≪名前の由来の伝説≫ 北野に霊験あらたかな石地蔵尊がある。 明治維新の廃仏毀釈の時に、一時、正林院にこの地蔵尊をあずけたことがある。...
View Article磯壁歯痛地蔵石仏
戦国時代の石仏です 撮影日;2014.11.16 像高58cm 右手胸前宝珠、左に錫杖を持つ通例像 天文10年(1541)銘が有ります 銘文;為宗徳□四十八供養(右)・天文十年丑二月廿五日勝久敬白(左) 磯壁加守墓地と集落内への分岐点に所在します (北野の商い地蔵から西へ300mほど、建物脇に有ります)...
View Article廊坊家住宅
隣りの郵便局前に枝を伸ばす見事な松が目印です 撮影日;2014.11.20 廊坊家は中世には長谷寺一山の運営に携わったと伝えられます 登録有形文化財(2009年8月)です 主屋は江戸時代末期(1830~1867)の建築 長谷寺参道に水路を挟み南面して建ちます 間口11mの木造つし2階建で、背面に平屋建の居間を付設する...
View Article道明上人御廟塔
仁王門をくぐり登廊(下登廊)に入って直ぐ右側にある七重石塔です 撮影日;2014.11.20 相輪の変わりに、笠石が乗っています 造立年代は不明です (かなり古いようです 奈良時代の物??) 背後に御廟所が有ります 道明上人は、寺伝によれば初瀬山の西の丘(現在の本長谷寺のある場所)に三重塔を建立し、長谷寺を開基したとされる人物です ★所在地など;長谷寺参照
View Article長谷寺の天狗杉
「下登廊」を登りきった所に聳え立ちます 撮影日;2014.11.20 目通り4m、樹高約60mで特別大きいわけでは有りませんが、この杉には逸話が有ります 長谷寺第十四世能化(住職)であった芙岳の小僧時代(江戸時代の元禄年間)の話です まんが日本昔ばなし動画 芙岳(英岳)師は伊賀上野の生まれで、小僧の時から長谷寺へ登って勉学修行されました その頃は回廊の左右に大杉が繁っていたそうです...
View Article忍坂古墳群≪再訪≫
珍しい六角形に石室が見所です 撮影日;2014.11.20 忍坂古墳群は住宅地開発の為消滅していますが、4基が朝倉台2号公園の北側斜面に移築保存されています 西側から9号墳・8号墳・2号墳・一番奥が1号墳です ○1号墳 外鎌山から伸びる尾根の南東端に位置していました 径7mの円墳 南に開口する片袖式の横穴式石室が有りました...
View Article外鎌山「忍坂山」
「朝倉富士」「磯城富士」とも呼ばれているようです 撮影日;2014.11.20 国土地理院では、外鎌山の点名を「高間山(タカマヤマ)」として記され、標高292.38mとしています 『大和志料・下巻』や『磯城郡誌』には、恩坂山(おしさかやま)として次のように記されています...
View Article「15A-77」大伴皇女墓≪再訪≫
「大伴皇女押坂内墓」として宮内庁が管理しています 撮影日;2014.11.20 径10mほどの円墳 外鎌山南麓の奥の谷の斜面に築かれています 大正年間に測量調査が行われていますが、発掘などされていないので詳細不明です 古墳時代後期の築造と考えられているようです (石室が残っているかもしれませんね)...
View Article