「延喜諸陵式」に載る『鏡女王・押坂墓』です 撮影日;2014.11.20
径15mの円墳です
上円下方墳との説もあるようです
一見、宮内庁管轄のように見えますが、今は地元の忍阪区で管理されています
その為、墳丘への立ち入りは可能です
発掘調査がされてないので詳細は全く不明です
築造時期も特定できませんが、風水思想に基づいた終末期古墳の特徴をそなえています
鏡女王は、近江国野洲郡鏡里の豪族・鏡王の娘で、万葉歌人として有名な額田王の姉にあたるとされています
はじめ天智天皇の妃で、のちに藤原鎌足の妻となっているようです
「舒明天皇陵」前の小川の中に鏡王女・万葉歌碑が有ります
犬養孝氏揮毫による
『秋山の 樹(こ)の下隠(がく)り逝(ゆ)く水の 吾(われ)こそ益(ま)さめ み思ひよりは』(巻2-92)
この歌は、皇太子であった中大兄皇子(のちの天智天皇)が鏡女王に送った歌「妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを」に答えた一首であるといわれています
★所在地;鏡王女墓参照