水道タンク付近に有りましたが消滅しています 撮影日;2014.12.21
石上大塚古墳の西に在った2~3基の円墳です
平尾山1号墳「8D-150」は径約23mの円墳
平成7年に天理市水道局の北側タンク増設により調査されています
調査前は果樹園となっていて、東西22m・南北18mの円墳状を呈していました
復元規模は径約23m・墳丘高2m、濠跡は幅約6mあったようです
濠は全体を回っていたようです
埋葬施設は、岩屋谷をのぞむ北側に開口した片袖式の横穴式石室でしたが、石材は奥壁と玄室の一部を残しているだけでした
石室墓壙は東西6.5m・南北13.3mの規模でした
玄室は長さ6~7m・幅は1.8m・高さは1.8mほど
石室床には複雑に構成された排水溝が有りました
溝の幅は40~50cm、深さ15cm程度
ほぼ完全に盗掘を受けていましたが、多くの遺物が出土しています
埴輪(円筒・家・盾・鶏)、須恵器、杯、高杯、壷、甕、ガラス玉17、水晶玉2、鉄製品には馬具の引手、帯飾り金具18、桂甲の小札約200、鉄鏃約20などが出土
小札は横穴式石室からの出土例は少なく、石上・豊田古墳群からの出土は初めてである
築造は6世紀中頃と推定されています
平尾山2号墳「8D-149」は径12mの円墳
昭和61年に調査されています
調査時は、墳丘はすでに消滅していました
西側に開口する横穴式石室が有りました
左側壁は3個、右側壁は7個の基底石が残存するのみでした
玄室長約3.3m・幅約1.5m
出土遺物は須恵器19点、土師器3点が玄室の奥壁部から現位置を保った状態で出土
金環や馬具類も出土しています
埴輪は無かったようです
築造時期は6世紀の中葉から後半にかけてと推測されています
古墳と関係有るのかどうか分かりませんが、フェンス横に石碑が有ります
(荒天大神?と刻まれている)
3号墳はやや南にあり、径10mほどの円墳
玉、土師器、須恵器などが出土
横穴式石室を有する古墳時代後期の古墳です
★所在地;天理市石上町平尾
★交通;JR・近鉄天理駅下車 徒歩40分
★駐車場;有りません
★見学;消滅しています
★問合せ;