風化摩耗がほとんど無い、比較的大型の十三仏板碑です 撮影日;2014.03.08
平成9年(1997)、寺墓改修の折に掘り出されました
高さ約150cm・幅55cm程
三列四段、上部に虚空蔵の定型十三仏板碑
表面にはノミの刃跡が切り立って残り、裏面は荒タタキの仕上げです
大和郡山市指定文化財です
永らく土中にあったようで、風化摩耗は見られません
向かって左手下部に「光秀」なる刻銘が有ります
安土桃山時代の造立のようです
由来など不詳ですが、豊臣秀長の室であった尼僧の光秀が、秀長をはじめ郡山豊臣家の菩提を弔う目的で造立した可能性も考えられています
★所在地;大和郡山市矢田町3549(矢田寺大門坊境内)
★交通;近鉄大和郡山駅より バスで矢田寺下車
★見学;自由
★問合せ;
参道の地蔵石仏は戦国時代の天正13年(1585)の造立で、総高約2m
大和郡山市内を見下ろす「見送り地蔵」は永正12年(1515)の造立
「みそ舐め地蔵」は鎌倉時代後期の造立とされています