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美旗古墳群の中で最大規模を持つ前方後円墳です 撮影日;2015.04.26
全長142m(前方部を南西に向ける)
後円部は三段築成で、径98m・高さ14m
前方部は高さ6m・最大幅100mもあります
くびれ部(幅72m)の両側に方形の造り出しが有ります
墳丘周囲には幅7~25mの周濠が廻っています(現在は水はありません)
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墳丘の全面に川原石や山石などで葺石が施されていました(一部残っています)
円筒埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪などが配列されていたようです
築造は5世紀後半頃と推定されています
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現在、墳丘上には33体の舟形後背に半肉彫りされた石仏(一体は台座のみ)が置かれています
また、後援部南側に「馬塚観音」が祀られています
古墳の盗掘での祟りを守る役目をしているそうです
★所在地;名張市美旗町中1番
★交通;近鉄Image may be NSFW.
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美旗駅下車 徒歩1分
★駐車場;美旗市民センター利用
★見学;自由(公園として整備されています)
★問合せ;名張市観光協会(なばり観光ガイド)
美旗古墳群(4~6世紀)は、この地を支配していた豪族の墓で、伊賀地方で最大規模の古墳群です
伊賀地方を代表する古墳群としてきわめて重要であるとして、昭和53年に国の史跡に指定されました
名張川支流小波田川上流右岸に広がる標高200mの大地に位置する古墳群で、古墳時代の前期から後期に築造されました
馬塚・女良塚・殿塚・毘沙門塚・貴人塚の5基の前方後円墳の他、方墳の小塚と円墳の赤井塚があります
(カブト塚・矢羽塚・玉塚など消滅した古墳も在りました)
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なばりの昔話 〜美旗古墳の伝説〜
昔々、美濃国(岐阜県の南部)の土岐氏の奥方様がな、 大和の長谷観音にお参りしての帰り道のことやった。
小波田あたりで奥方様の乗った馬が突然、 前足を上げ暴れだしたんじゃ。
そばにおった家来たちが暴れる馬を押さえようしたんじゃが、どうしてもしずまらんかった。
奥方様は血の気を失い、しがみついているのが精一杯。
ついには振り落されてしもうてな。地面にたたきつけられたんじゃ。
それに馬は奥方様にかみついて、はなさんかったやと。
驚いた家来は、刀で馬を切り殺してしもたそうじゃ⋯。
ところが、奥方様もそのまま死んでしもうたんや。
家来たちは、そのまま美濃国へ帰るわけにもいかず、その場で自害してしもうたそうや。
村人たちは、高貴な人たちの思いがけない死を哀れんで、 立派な墓を作るっていうことになったんやと。
それで馬をうめた墓を「馬塚」、奥方様を埋めた墓を「女郎塚」、 男女の家来たちを埋めた墓を「殿塚」「貴人塚」というてな、 持っていた宝物を埋めた所を「玉塚」、持っていた仏の毘沙門天を埋めた所を「毘沙門塚」と呼んでな、 今でも伝わっているんじゃ。
「小塚」は奥方様の子を埋めた墓ともいわれてるんじゃ⋯。
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美旗古墳群の中で最大規模を持つ前方後円墳です 撮影日;2015.04.26
全長142m(前方部を南西に向ける)
後円部は三段築成で、径98m・高さ14m
前方部は高さ6m・最大幅100mもあります
くびれ部(幅72m)の両側に方形の造り出しが有ります
墳丘周囲には幅7~25mの周濠が廻っています(現在は水はありません)
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墳丘の全面に川原石や山石などで葺石が施されていました(一部残っています)
円筒埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪などが配列されていたようです
築造は5世紀後半頃と推定されています
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現在、墳丘上には33体の舟形後背に半肉彫りされた石仏(一体は台座のみ)が置かれています
また、後援部南側に「馬塚観音」が祀られています
古墳の盗掘での祟りを守る役目をしているそうです
★所在地;名張市美旗町中1番
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★駐車場;美旗市民センター利用
★見学;自由(公園として整備されています)
★問合せ;名張市観光協会(なばり観光ガイド)
美旗古墳群(4~6世紀)は、この地を支配していた豪族の墓で、伊賀地方で最大規模の古墳群です
伊賀地方を代表する古墳群としてきわめて重要であるとして、昭和53年に国の史跡に指定されました
名張川支流小波田川上流右岸に広がる標高200mの大地に位置する古墳群で、古墳時代の前期から後期に築造されました
馬塚・女良塚・殿塚・毘沙門塚・貴人塚の5基の前方後円墳の他、方墳の小塚と円墳の赤井塚があります
(カブト塚・矢羽塚・玉塚など消滅した古墳も在りました)
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なばりの昔話 〜美旗古墳の伝説〜
昔々、美濃国(岐阜県の南部)の土岐氏の奥方様がな、 大和の長谷観音にお参りしての帰り道のことやった。
小波田あたりで奥方様の乗った馬が突然、 前足を上げ暴れだしたんじゃ。
そばにおった家来たちが暴れる馬を押さえようしたんじゃが、どうしてもしずまらんかった。
奥方様は血の気を失い、しがみついているのが精一杯。
ついには振り落されてしもうてな。地面にたたきつけられたんじゃ。
それに馬は奥方様にかみついて、はなさんかったやと。
驚いた家来は、刀で馬を切り殺してしもたそうじゃ⋯。
ところが、奥方様もそのまま死んでしもうたんや。
家来たちは、そのまま美濃国へ帰るわけにもいかず、その場で自害してしもうたそうや。
村人たちは、高貴な人たちの思いがけない死を哀れんで、 立派な墓を作るっていうことになったんやと。
それで馬をうめた墓を「馬塚」、奥方様を埋めた墓を「女郎塚」、 男女の家来たちを埋めた墓を「殿塚」「貴人塚」というてな、 持っていた宝物を埋めた所を「玉塚」、持っていた仏の毘沙門天を埋めた所を「毘沙門塚」と呼んでな、 今でも伝わっているんじゃ。
「小塚」は奥方様の子を埋めた墓ともいわれてるんじゃ⋯。