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Channel: 奈良の名所・古跡
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伴堂六ッ塚古墳

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南西側から見た六ッ塚古墳
 すぐ脇に、高圧線鉄塔が建っています 撮影日;2013.02.16

 名前につられて行ってみましたが、墳丘は原形をとどめず、削平され畑となっていました
 径17mの円墳「11A-28」です

 他に古墳らしい所は見当たりませんが、 六ッ塚古墳という名前から、周辺に埋没古墳があるのでしょう
 少し北側には、三河遺跡が有り、埋没古墳が5基見つかっています

 周辺は、縄文〜江戸時代にかけての伴堂東遺跡です
 近鉄石見駅の北西700mに位置し、弥生前期から古墳中期の方刑周溝墓や土抗、古墳後期から飛鳥・奈良時代、平安時代の集落などが検出されています
 東1.5kmほどの所には唐古・鍵遺跡が有り、古代から人の生活があった地域です
 遺物としては、弥生、土師、須恵、緑釉陶器、黒色土器、瓦器、陶磁器、瓦、木製品、鉄滓、馬歯、玉類、銅鏃など

★所在地;磯城郡三宅町伴堂
★交通;近鉄石見駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


北側から見た六ッ塚古墳

呪徳庵石造群

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呪徳庵石造群
 三宅町で一番大きい宝篋印塔があります 撮影日;2013.02.16

 呪徳庵は尼寺だったそうですが、詳細不明です
 廃寺となっていて、公民館分館として使用されています
 高さ53cmの阿弥陀如来立像と観音・勢至の両菩薩が安置されています
 ほとんどの仏像は江戸時代の作ですが、なかには多少古いものもあるとの事

 前庭の片隅に、江戸時代末期の石造宝篋印塔のほか、五輪塔や板碑・無縫塔などが集められています
 大永7年(1527)の五輪塔、天文6年(1537)の六字名号板碑、毘沙門天像など

呪徳庵宝篋印塔 呪徳庵石仏

 「大字三河」は明治15年11月10日に分村条約書を取り交わし、「三河村」として屏風村から分村しました

 少し北のT字路に「御倉跡」が有ります
 御倉は、年貢米の保管や備蓄に使われていた所です
 御倉屋敷の大きさは、縦五間半(約10m)・横三間半(約6.4m)・梁行二間(約3.6m)・桁四間(約7.3m)あったようです

呪徳庵跡 呪徳庵石塔群説明

★所在地;磯城郡三宅町三河
★交通;近鉄石見駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-44-2001(三宅町役場)

三倉堂遺跡

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三倉堂遺跡
 周辺は古墳時代後期の古墳群だったようです 撮影日;2013.02.17

 昭和3年に大鉄(現在の近鉄南大阪線)の新設工事のため、三倉堂古池・新池で土砂採取が行われた際、木棺が出土したことが遺跡発見の契機となりました
 新池から3基、古池から3基の計6基が出土しました

 工事中に偶然発見されたため、考古学的な調査は十分行われず、現在では副葬品の大部分は散逸しています
 残された副葬品については、2木号棺から出土した七鈴鏡と古池から出土した円筒埴輪や弥生土器・須恵器があります
 他に、3号木棺から大刀・鉄鏃・馬具・須恵器
 1号木棺から須恵器が出土したと記録があります(所在不明)
 3号木棺については、年輪年代測定法で時期が測定され、6世紀初頭に伐採されたものと判明しています
 新池からは横穴式石室や須恵器の合口甕棺が検出されたようです

 三倉堂遺跡出土木棺は県指定の文化財です
 長さ1.96〜4.1mの底板と側板・ふたを組み立てた組み合わせ式木棺5基
 丸太を半分に割ってくりぬいた割竹形木棺1基が中央公民館で展示されています
 組み合わせ式木棺の数は、古墳時代の全国出土分の半数近くを占めるそうです 

三倉堂池

★所在地;大和高田市西三倉堂・中三倉堂
★交通;近鉄高田市駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

孝昭天皇掖上池心宮址・玉出遺跡

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孝昭天皇掖上池心宮址
 御所実業高校正門の脇に石碑が立っています 撮影日;2013.02.17
 
 『池心宮跡伝承地』の碑は、大正7年に大正天皇即位を記念して、古代天皇の伝承地などを聖跡として建てたようです

掖上池心宮址石碑 伝承によると孝昭掖上池心宮は「よもんばら」あるいは「よもぎ原」という場所に在ったとされます
 現在も御所実業高校の西側の一帯を「よもんばら」と呼ぶそうです
 江戸時代の林宗甫という人が著した和州旧跡幽考という書物によると、伝承地を「御所村と池之内の中間」としています
 掖上池心宮は碑の建つ場所より、もう少し西の方に在ったようですようです

 玉出遺跡は縄文時代後期〜古墳時代後期の遺跡です
 孝安天皇陵の西側一帯に広がっています
 遺跡概要;土坑35、柱穴、ピット、土坑、溝、水田、土器棺墓、土壙墓
 遺物;石斧、石鏃、縄文、弥生、土師、須恵、埴輪、石庖丁、石錘、土偶 

★所在地;御所市蛇穴・玉手
★交通;JR玉手駅下車 徒歩8分
★問合せ;

巨勢山202号墳

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巨勢山202号墳の移築石室
 ゴルフ場進入路のトンネル上に移築されています 撮影日;2013.02.17 

 古墳「16D-338」は少し北東の所に有りました
 ゴルフ場造成によって消滅しています

 切石の横穴式石室が移築されています
 移築というよりは、石材をこの場所に持ってきたという感じ
 十数個の大きな花崗岩と一枚の緑色片岩の板石が見学できます
 石室の大きさなど不明

緑色片岩の板石 巨勢山古墳群鎮魂碑

 秋津原ゴルフクラブの進入路にあるトンネルの横には、巨勢山古墳群鎮魂碑が立てられています

★所在地;御所市朝町
★交通;近鉄御所駅より バスで「市民運動公園前」下車 徒歩3分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;

石光山85号墳

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石光山85号墳の開口部
 斜面に築かれた小さな古墳です 撮影日;2013.02.17 

 「13D-488」と思われます
 墳丘の封土は崩れていて、横穴式石室が露出しています
 玄室の奥側が残っています
 石室は目測で、現存長さ1.5m、幅1.5m・高さ1.2mほど
 全長は5m程あったと思われます

石光山85号墳玄室 85号墳の羨道部

 15mほど右手側崖面にも、小石室が二つ並んで開口しています
 84号墳でしょうか?
 85号墳の石室より、かなり小さいです
 どちらも目測で、長さ2m・幅0.7m・高さ1mほどです

84号墳右開口部 84号墳右の石室
 84号墳はかなり近接しているので、双室墳でしょう
84号墳左の石室 84号墳左開口部

 丘の上には、祭祀施設と思われる巨岩が有ります

★所在地;御所市元町 石光山古墳群
★交通;近鉄忍海駅下車 徒歩10分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由 (足元注意)
★問合せ;


 南側の小さな公園から、前の石段を上るとすぐに見えます
石光山85号墳と84号墳

みやす塚古墳

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みやす塚古墳
 とても大きな円墳です 撮影日;2013.02.17

 径50mほど有ります
 宮山古墳の東約400mに位置する古墳「16B-293」です

 1948 年に墳頂部の調査がおこなわれ、方形に立てめぐらされていた円筒埴輪列の一部が確認されています
 埋葬施設はその中心の地下に想定されますが、すでに盗掘されて、大きな窪地となっていました
 出土埴輪には、家・蓋形埴輪等の形象埴輪もあります

地蔵 宮山古墳

 西側の墳丘斜面に、地蔵石仏が石の祠に祀られています
 航空写真で見ると、西側に前方部があるように見えます 

★所在地;御所市室字ミヤス
★交通;近鉄御所駅より バスで「室」下車 徒歩8分
★駐車場;有りません
★入場料;私有地の為、墳丘への立ち入り禁止
★問合せ;

篭田塚古墳

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篭田塚古墳の石室
 墳丘全体が笹薮で覆われています 撮影日;2013.03.03

 遺跡地図の「16D-17」です
 径22mの円墳とされていますが、かなり墳形は崩れているようです
 北東側に溜池があり、周濠の一部だったかもしれません

 南側に両袖式の横穴式石室が開口しています
 (左袖部がはっきりしないので片袖かも)
 かなり大きな石材を用いて築かれています(特に天井石が大きいです)
 玄室長約3m、幅1.5m〜2m、高さ2mほどです
 羨道部は1mほどですが、非常に狭いです

篭田塚古墳の墳丘 篭田塚古墳の開口部

 玄室内に石棺の一部と思われる石材も転がっています
 天井石に隙間が空いているようで、少しだけ石室に光が入り込んでます
 遺物として須恵器が報告されているようです
 築造は、古墳時代後期です

石棺材? 大きな天井石

★所在地;御所市林字常土井
★交通;近鉄御所駅より バスで「鳥井戸」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 近く(150mほど東の森の中)に弁天古墳群が有ります


 前回訪問(2011.11月)時は、あまりにすごい笹薮の為、石室の確認は断念しましたが、今回は以外とあっさりと開口部が見つかりました
 東側に開口していると思っていましたが、南に生えている木の下に開口部が有ります

吐田平2号墳

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吐田平2号墳
 吐田平(はんだびら)古墳群は20基の古墳が確認されています 撮影日;2013.03.03

 2号墳「16B-158」は径15m・高さ4mほどの円墳です
 南に開口する左片袖式の横穴式石室が有ります

 組合箱式石棺が有ったそうです
 玄室長3.1m・幅2m・高さ2.2mほど、羨道長4m・幅1.2m
 羨道部の天井石は無くなっています
 現室内には、石棺の一部と、以前墳丘前に付けられていた表示板が集めて置いてあります
 遺物;須恵器、金環、直刀、鉄鏃、鉄矛など

吐田平2号玄室 吐田平2号墳石室

 2号墳の西にある1号墳「16B-157」は径22.5mの大きな円墳ですが、東西と北側が大きく削られています
 木棺直葬と考えられています
 須恵器、鉄鏃が出土しています

吐田平1号墳

 葛城山中腹の森脇吐田平遺跡は弥生後期の土器・石器が出土
 弥生高地性集落跡と見られています

★所在地;御所市森脇字吐田
★交通;近鉄}「御所」駅より 葛城ロープウェイ前行きバスで「猿目橋」下車 徒歩30分
★駐車場;九品寺のPより徒歩20分ほど
★入場料;私有地にある古墳群です 
★問合せ;


 行き方;駒形大重神社の鳥居の先を左手に道なりに進んでいきます
 墓地の脇を通ってしばらく行くと、牛舎が見えてきます
吐田平へ 吐田平へ1 吐田平へ2
 牛舎の先を左手へ・・・少し行くと左手に森の中へ入る所が有ります
 足元を注意しながら進んでいくと、すぐに墳丘が見えてきます
吐田平古墳群へ 吐田平古墳群

吐田平3号墳

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吐田平3号石室
 吐田平2号墳のすぐ南側に有ります 撮影日;2013.03.03

 3号墳「16B-159」は径9mほどの円墳です 
 封土は流失していて、現状高2mほどです 

 南に開口する横穴式石室です
吐田平3号玄室 吐田平3号墳

 袖は付けられていないようで、玄室と羨道の境は不明
 現状は、目測で長さ3.5m・高さ1.2m・幅1.2mほどです
 奥壁側の一枚を除き天井石は無くなっています

 東側に4号墳が有ります
吐田平4号墳 
 径18mの円墳で、墳頂には大きな陥没孔が開いています
 盗掘坑と思われ、かなり大きな石室があったようです

 さらに東側に「16B-161」が有ります
吐田平5号墳 吐田平5号墳頂
 15m程の円墳で、墳頂に1.5x2.5mほどの陥没孔がありその周りに石材が散乱しています
 竪穴式の石室跡でしょうか?

 さらに南の尾根伝いに4〜5基の円墳が並んでいます
 北側の尾根にも10数基の円墳が並んでいます

★所在地;御所市森脇字竹谷
★交通;近鉄「御所」駅より 葛城ロープウェイ前行きバスで「猿目橋」下車 徒歩30分
★駐車場;九品寺のPより徒歩20分ほど
★入場料;私有地にある古墳群です 
★問合せ;

九品寺裏山古墳群

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16B-134?
 径10m足らずの小円墳が10基ほど並んでいます 撮影日;2013.03.03

 駒形大重神社の鳥居脇から吐田平古墳群へ向かう途中
 鎌田川沿いの北岸に有ります
 堀池の北側にある九品寺裏山古墳「16B-138」は径12mの円墳です

 道沿いには花崗岩が散乱しています
 「16B-132」は8m程の円墳で、南東に開口していた横穴式石室と思われる盗掘孔が有ります
 天井石と思われる石材も露出しています
  
16B-132石材 16B-132天井石?
 その下に「16B-130」があり、石材が散乱しています

★所在地;御所市楢原字西室
★交通;駒形大重神社より 徒歩5分
★駐車場;九品寺のP利用
★入場料;見学自由(足元注意)
★問合せ;

 駒形大重神社の北方山中には石川古城古墳群が有ります


楢原西室古墳群手前 墳丘

浄土寺の大カヤ

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浄土寺の大カヤ
 よくこれで生きてるなと思われるほど、大きな室が空いています 撮影日;2013.03.03

 目通り5.2mと云う古木です
 樹勢は盛んで、大きく枝を広げています

浄土寺大カヤ幹 浄土寺大カヤ室

 浄土寺は小さな阿弥陀堂だけのお寺さんです
 往時は小池栄氏方の菩提寺でしたが、現在は犬飼正和氏の管理寺だそうです
 本尊は阿弥陀如来立像(仏高0.95m)
 寄木造りで藤原風を具えるているが、破損が甚しいとか 

浄土寺と大カヤ 相谷浄土寺

★所在地;五條市相谷町26
★交通;JR大和二見駅下車 徒歩30分
★駐車場;向かい側に上野町集会所のP有り
★入場料;見学自由
★問合せ;


相谷大カヤ.

他戸親王墓

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他戸親王墓
 丘陵地の柿畑に囲まれて陵が有ります 撮影日;2013.03.03

 方形の垣根の中に、一辺10m程の方墳状?の墳墓に眠っています

 他戸親王は、光仁天皇(白壁王)の皇太子です
 宝亀4年(773)、母の井上内親王と供に幽閉され、一年半後に25歳の若さで亡くなった悲運の皇子です

 井上内親王の宇智陵は500mほど南方に有ります

★所在地;五條市御山町ハカ山
★交通;JR五条駅より バスで御山町下車 徒歩5分
★駐車場;スペース有り
★入場料;参拝自由
★問合せ;

落合川磨崖碑

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落合川不動磨崖
 巨石群に刻まれています 撮影日;2013.03.03
 
 数個の巨岩に「梵字仏」「偈文」「飛天像」「五輪塔」などが刻まれています

 巨岩の中央に総高約90cm・像高50cmほどの不動明王と脇侍(像高約30cm)二体が刻まれています
 右壁面に応永2年(1395)銘が確認されており、室町初期の造立だと考えられています
 右側の岩には「南無大師遍照金剛]の銘号と小さな「背光五輪塔」が彫られています

落合川磨崖 落合川磨崖碑

 この巨石群は斜面上から、ずり落ちてきたと言われています
 密教世界・曼荼羅世界・浄土世界を表出させるもののようです

 ほとんどは鎌倉時代前後に彫られたようですが、いくつかは後に彫り添えられたものの様です
 「飛天像」は道から見えないところに彫られているようです

 西岸の斜面に新四国番外の落合不動明王が祀られています
 その脇の岩の割れ目に小さな龍王と刻まれた石が祀られています 

落合不動明王 落合川巨石群

★所在地;橋本市隅田町真土
★交通;JR隅田駅下車 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 真土峠(亦打山)の谷間を流れる落合川の上流川中に有ります
 奈良県五條市畑田町と和歌山県橋本市隅田町の境です

龍王の滝

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龍王の滝
 滝谷川にかかる落差5m程の滝です 撮影日;2013.03.11

 岩に囲まれて流れ落ち、滝壺から小さな段爆を経てすべるように岩肌を流れていきます

 役小角が山城の鷹巣山上で修行し、31歳の時桃香野の里に来ると、泉気が立ち昇る渓谷を見つけた
 奥に入って行くと48の滝があり、その中の大滝に白竜が現れた
 「われは、この滝の白龍権現である 日照りの時は雨を降らして百姓を守っている 
御身が伊豆大島に流された時は、白鷺となって守護をしてあげたのだ」と云われた
 ずっと後に、小角は白龍権現に参詣して、お礼を申されたという

 天文・永禄の頃、興ヶ原遠江守が修行を行った所とされます
 遠江守は、柳生但馬守宗矩の母の祖父に当たる人です
 桃香野八幡神社を勧請しています

 保元元年(1156)「保元の乱」で敗北した藤原頼長の終焉の地でもあるそうです

小さな段爆 岩肌を流れる

龍王の滝入口の石灯籠 谷崎潤一郎の歌碑

 近くの駐車場のトイレ脇に「谷崎潤一郎」の歌碑が建てられています

★所在地;奈良市月ヶ瀬桃香野
★交通;近鉄奈良駅より バスで「太郎谷」下車 徒歩5分
★駐車場;龍王橋を渡った所に有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;


山添村の五輪塔

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増福寺の五輪塔
 画像は増福寺の五輪塔です 撮影日;2013.03.11

 春日不動院の五輪等に続いて、各大字の念仏講衆により、供養又は作善逆修のために造立されたと考えられます
 春日のものは正和2年(1313)の物ですが、他の八基は正中2年(1325)の造立です
 名文はいずれも刻み方が浅く摩滅がひどい為、不明瞭で判読しがたい状態です
 大西の極楽寺のものが比較的明瞭のようです

増福寺の墓地 増福寺の弥勒石仏

 上西波多の増福寺ほか、菅生の西庵・ 中峯山墓地入口・ 下西波多の善福寺・ 広瀬の西迎寺・ 中之庄の小丘頂上・片平の浄明寺に有ります 

★所在地;山辺郡山添村西波多
★交通;名阪国道山添ICより 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

春日小学校旧講堂

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春日小学校旧講堂
 現在は山添村歴史民俗資料館となっています 撮影日;2013.03.11

 明治36年に村民の協力により竣工されました
 平成3年に保存修理を行い、校舎東側に移築しています

 移築前は、講堂を中心に囲むように「コ」の字型の教室棟が特徴的でした
 入り母屋造りの深い屋根、高い床など当時から「お寺のよう」とも言われていました

 大棟両端には瓦製鯱(シャチ)を飾っています
 玄関は正面に張り出して土間吹き放しとし、周囲に長押、欄間を廻らすなど、学校建築としては得意な手法を残している
 柱や梁などの部材は村民所有の山林から最良の材を持ち寄ったそうです
 労力も村民があたるなど、村民の願いを込めて完成した建物でした

山添村歴史民俗資料館 春日小学校旧講堂の説明板

★所在地;山辺郡山添村大字春日1770
★交通;JR・近鉄奈良駅より 山添方面行きバスで春日学園前下車 徒歩すぐ
★駐車場;有ります
★入館料;無料ですが、見学は事前予約が必要です
★休館日;毎週月曜日
★開館時間;9:00〜16:00
★問合せ;0743-85-0250

葛尾瓦窯「岩屋瓦窯」跡

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葛尾瓦窯「岩屋瓦窯」跡
 県道拡張工事の際に発見された瓦窯跡です 撮影日;2013.03.11 

 道路に面して丘陵の北斜面に立地しています
 登窯(1・2号)と平窯(3号)が有り、国の史跡に指定されています

 昭和53年と60年に発掘調査が行われました
 燃焼室や焚口部分は既に破壊されていました
 焼成室と灰原の一部が存在し、奈良時代の瓦窯の構造が明らかになりました
 当瓦窯跡から出土した軒(のき)瓦は、笠間川の上流約3キロにある「毛原廃寺」の伽藍に用いられていたことが確認されています
 同型の軒瓦は名張市夏見廃寺を始めとして伊賀の諸寺院からも出土しています

窯跡 石垣 発掘調査時の様子(説明板より)

★所在地;山辺郡山添村岩屋・葛尾
★交通;近鉄名張駅より バスで「葛尾」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

多聞寺のショート地蔵

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ショート地蔵 ショート地蔵堂
 花崗岩製の船型光背に半肉彫りされるお地蔵さんです 撮影日;2013.03.11

 元は、字ショート(中世の奈良道・助命への峠)に有ったそうです
 大永2年(1522)の作で、道中の安全と足の仏として崇められていたようです
 平成9年に山添村の文化財に指定されています
 (ショート地蔵の説明板
 旧暦7月24日にはショート会式が行われていたそうです

★所在地;山辺郡山添村三ケ谷字多聞(多聞寺の境内)
★交通;名阪国道神野口ICより 東へ500mほどの大和高原民俗資料館より 北へ徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;


鵜山の菩提樹

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鵜山菩提樹幹
 これほど大きな菩提樹は珍しいです 撮影日;2013.03.11 

 樹齢は400〜500年
 樹高15m以上(説明版には10mとなっています)
 幹周は2.5mほどで、広く樹冠を広げています

 寺伝では弘法大師が唐から帰朝された時、ぼだいじゅを三本持ち帰り
 京都・大和西大寺及び鵜山に植樹されたとされます

鵜山菩提樹 鵜山菩提樹元

★所在地;山辺郡山添村鵜山(八柱神社の境内)
★交通;近鉄桔梗ヶ丘駅より 北西約5km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

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