筒井氏の居城が在った所です 撮影日;2014.02.16
筒井城は土塁を築き、堀をめぐらせた平城です
菅田比売神社を中心に、ほぼ筒井の集落を含んだ範囲が城跡と推定されています
小字に、シロ・ドイ・ヤシキ・堀田などの関係地名が残っています
町内各所に内濠・外濠跡が見られます
「筒井順慶城趾」の石碑は本郭跡の西南隅に立っています(虎口付近)
平地部に築かれた中世の城としては大規模な城です
文献上の初見は『満済准后日記』に、大和永享の乱が始まった永享元年(1429)です
筒井氏の居館から、しだいに城郭へと発展していったようです
説明板転記
筒井城は、主郭部を取り囲む内堀のほか、周囲の広い範囲を大きく外堀で取り囲む「惣構え」と呼ばれる構造を取っています。
外堀で囲まれた範囲は東西約500m、南北約400mに及ぶ広大なもので、奈良県内の中世平地式城館の中では最大級の規模を誇ります。
また、筒井城のある場所は、東西に走る奈良街道と南北方向の吉野街道が交わる部分にあたり、交通の要衝を押さえています。
城の中心となる主郭部は、この案内板があるフェンスで囲まれた区域から、東側の菅田比売神社を含む東西約120m、南北約100mの範囲と想定されます。
主郭の範囲には内堀が巡らされ、中心部に城主が住む館がありました。
発掘調査では、館に伴う大規模な石組みの井戸が見つかっています。
主郭部の北には大型の宅地割りが並んでおり、ここに筒井家の重臣が住んでいたものと思われます。
また、南には八幡神社を中核とする農村部分(垣内)を、そのまま惣構えの中に取り込んでいます。
このほか、吉野街道と奈良街道が交わる部分には、奈良街道を挟む形で南北にそれぞれ市場(商店街)がありました。
筒井城が文献に初めて現れるのは15世紀初頭のことですが、発掘調査により、14世妃中ごろにはすでに主郭を取り囲む幅約6m、深さ約2mもの大規模な堀(内堀)があったことがわかっています。
一方、筒井氏の祖とされるのは筒井順覚で、至徳3年(1386)の文献にその名が記されています。
しかし、それをさかのぽる康永2年(1343)の文献にも、筒井氏と思われる武士2名(順慎・順円)の署名があることが・近年の研究で明らかになりました。
すなわち、筒井城と筒井氏は、共こ14世紀中ごろに歴史の表舞台こ現れるということになります。
筒井城最後の城主となったのは、筒井順慶(1549-84)です。
順慶は苦戦の末、大和に侵攻した松永久秀に打ち勝ち、天正4年(1576)、織田信長によって大和国支配を任じられました。
天正8年(1580)、筒井城は織田信長の令によって破却され、筒井氏は居城をここから約3.5km北にある群山城に移しました。
平成26年1月 大和郡山市
★所在地;大和郡山市筒井町
★交通;近鉄
筒井駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学 入場料; 見学自由
★問合せ;