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斑鳩・寺山古墳
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四ツ辻古墳「木ノ庄塚」
四ツ辻古墳群は十数基の小円墳からなります 再訪;2014.03.16 編集・画像追加;2014.03.20
道を南に分け入ってすぐに在る古墳「7C-4」は径13m・高さ約3mの円墳です
無袖式の横穴式石室が南東側に開口しています
玄室長さ約3m、幅約2m、高さ約2m
開口部は狭いですが何とか入れます
天井石の隙間から日が入り込んでました
南西側に、径8mほどの背の高い円墳「7C-5」が有ります
この古墳も南東側に開口していますが、土砂でほとんど埋まっています
石室は「7C-4」とほぼ同規模でしょうか
道の北側の階段を昇ると「二子塚古墳」と呼ばれる二基の円墳が在ります
ちょうどフタコブラクダの瘤のように並んでいます
★所在地;生駒郡平群町越木塚
★交通;近鉄平群駅より バスで「総合スポーツセンター」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★問合せ;
前回訪問時(2011.11.08)の画像
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中背塚
四ツ辻古墳群に含まれる小円墳です 撮影日;2014.03.16
竹やぶの中に石室石材が露出しています
「7C-37」径3m円墳で、墳丘ははっきりしません
横穴式石室は小さな自然石を積み上げて築かれています
長さ約2m、幅約60cmの小型の石室で、羨道は有りません
石室の北側が少し開いていますが、ほとんど埋まっています
かつて、直刀一口や若干の出土品があったそうです
谷を挟んで北西に四ツ辻古墳「木ノ庄塚」が在ります
★所在地;生駒郡平群町越木塚字木ノ庄
★交通;近鉄平群駅より バスで「総合スポーツセンター」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;
南東300mほどの所に石床神社旧社地が有ります
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野々熊古墳
見ることはできませんが、立派な石室が保存されています 撮影日;2014.03.22
墳丘はほんのわずかに残されているだけで、ほぼ平にされています
石室の天井をコンクリートで蓋をして、鉄の扉で閉められています
両袖式横穴式石室は玄室奥の天井石1石と、玄室右壁奥上部が一部崩壊しているほかは、全体として遺存状態は良好だそうです
玄室長約3.15m、幅約1.90m・高さ約2.33m
羨道長4.23m、幅 1.15〜1.32m・高さ1.54m
石室の石材は、吉野川流域で産出される緑泥片岩板石が使われています
袖部に扁平な大形板石を立てることち特徴が有ります
紀ノ川下流域に分布する「岩橋(いわせ)型」横穴式石室と共通する要素も持っています
築造は6世紀後半と考えられています
平成12年7月12日に下市町の文化財に指定されています
★所在地;吉野郡下市町阿知賀(字野々熊)3379-1
★交通;近鉄越部駅又は六田駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★見学;外観のみ見学可
★問合せ;0747-52-1711(下市町役場)
西方約2kmに岡峯古墳があります
橋を渡って、北へ行くと槙ヶ峰古墳「槇ヶ峯1号墳」があります
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呑谷古墳群
呑谷墓地の南西の丘陵に連る10基の円墳の群集墳です 撮影日;2014.03.22
最大のものは直径約10m・高さ約3mの円墳で、切石を使用した小型の横口式石槨墳です
(埋め戻されているようです)
明治29年頃、そのうちの一基から海獣葡萄鏡一面・鉄鏡一面・鉄釘54個・金銅製棺金具8個が出土しています
被葬者は、渡来系氏族である東漢氏の一族であると考えられます
清水谷遺跡の南西約500mの所にある丘陵上です
丘陵上はかなり荒れていますが、比較的墳丘は良好に残っています
★所在地;高市郡高取町松山字呑谷
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります (壺阪山霊園)
★見学;墓地を通り抜けていく勇気のある方は自由
★問合せ;
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坂ノ山古墳
征夷大将軍坂上田村麻呂の屋敷跡の伝承が有ります 撮影日;2014.03.22
場所は定かでは有りませんが、小字坂ノ山は、最初の征夷大将軍坂上田村麻呂の邸宅があり、小字坂ノ上といわれていたという伝承が今にあります
丘陵の南に高皇産霊神社が祀られ、本殿背後に坂ノ山6号墳と7号墳が有ります
ともに径6〜8m・高さ2.5m程の円墳です
長さ約350m・幅100mの小丘陵で、丘陵上に在った1〜5号墳は消滅しています
遺物は大小2種類の釵子(さいし、カンザシ)とU字型鍬先や鎌の刃などのミニチュア農具等が出土しました
大型の釵子は髪結いに、小型の釵子は装飾に用いられた渡来系の遺物です
釵子は奈良県においては、13個所の古墳で出土例が有ります
被葬者は東漢氏でしょうか
北から見た坂ノ山丘陵↑↑ 南から見た坂ノ山丘陵↑↑
★所在地;高市郡高取町大字観覚寺小字坂ノ山(坂ノ上ともいう)
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;見学可 (私有地です)
★問合せ;
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長岳寺の笠塔婆
本堂の前に立てられている笠塔婆です
鎌倉時代後期の元亨2年(1322)銘が有ります
高さは1.5mほどで、笠石は後補です
線刻された蓮華座の上に、右手に錫杖・左手に宝珠を持った地蔵菩薩を半肉彫りして有ります
地蔵の下に、長方形を彫りしずめ、二体の僧形坐像が美しく薄肉彫りされています
僧形坐像の下に「元亨二年(1322)壬戌卯月日、僧行春」と刻まれています
石段の石材として裏向きに使われていた為、磨耗が少なく残されたようです
★所在地;天理市柳本町508
★交通;JR・近鉄天理駅より バスで「上長岡」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入山料;長岳寺参照
鎌倉時代後期の元亨2年(1322)銘が有ります
高さは1.5mほどで、笠石は後補です
線刻された蓮華座の上に、右手に錫杖・左手に宝珠を持った地蔵菩薩を半肉彫りして有ります
地蔵の下に、長方形を彫りしずめ、二体の僧形坐像が美しく薄肉彫りされています
僧形坐像の下に「元亨二年(1322)壬戌卯月日、僧行春」と刻まれています
石段の石材として裏向きに使われていた為、磨耗が少なく残されたようです
★所在地;天理市柳本町508
★交通;JR・近鉄天理駅より バスで「上長岡」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入山料;長岳寺参照
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湯川家住宅(高取町)
旧観覚寺村の北端付近にあり、この辺りは町場の北端に位置し、農村的性格を兼ね備えていたと考えられます
主屋は街道から少し後退して建てられ、平屋建て、切妻造、桟瓦葺である
上家の壁面は、土壁で塗り込めた大壁造で、虫籠窓は無く、上屋大棟は青海波積にしている
居室部の前面には庭を造り、主屋出入り口左手から前庭を囲むように塀を立て、街道・出入り口間に向かって塀重門を開けている
塀は延べ石に柱を立て、真壁腰板張り、桟瓦葺にしている
高取城下町にみられる民家とは、少し趣を異にした構えになっていました
★所在地;高市郡高取町観覚寺1533
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩*分
★駐車場;なし
★見学;外観のみ(現在は新しく建て直されています)
★問合せ;
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天誅組鳥ヶ峰古戦場石碑
高取での戦いの時に大砲が据えられた役場の敷地内に「天誅組 鳥ヶ峰古戦場」 の記念碑が有ります
撮影日;2014.03.22
文久3年(1863)8月17日、五條代官所を襲撃した天誅組約1000名は、高取城を攻撃するために進軍
迎える高取藩守備隊約150名は、8月26日にこの地にて、大坂城冬の陣で使われたという高取藩の歴史物の大砲「権現砲」を放ち、天誅組を敗走させた
天誅組は、文久3年(1863)に尊皇攘夷派の土佐藩出身の志士・吉村寅太郎らが公家の中山忠光を擁して挙兵し、8月17日に五條代官所を襲撃
同25日に高取へ向けて出撃し、26日に高取の森あたり(町立のリベルテホールや高取中学校の周辺)で迎え撃つ200名ほどの高取藩士と戦う
高取藩は今の町役場がある鳥ヶ峰という丘の上に大砲四門を据えて天誅組を攻撃、 天誅組は一度敗走
夜には吉村寅太郎率いる別働隊が夜襲を企てて薩摩まで進軍し、警戒していた高取藩士と薩摩の木の辻というあたりでふたたび戦うが、吉村寅太郎が味方の鉄砲玉に当たって負傷し、旧大塔村の天辻に置いていた本陣へと敗走
その後、天誅組は吉野山中を転戦、敗走し、9月24日に東吉野村の鷲家口での戦いで吉村寅太郎以下16名が討ち死にし、事件は終結した
町立リベルテホールには大砲「ブリキトース砲」の復元模型が有ります
★所在地;高市郡高取町観覚寺990-1(高取町役場前)
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩3分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;0744-52-3334(高取町役場)
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大東古墳
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稲戸宮山古墳
稲戸八坂神社の裏山に在る古墳です 撮影日;2014.03.27
本殿の背後に有ります
径8m・高2mの円墳「18B-79」
横穴室石室が有ったと思われる窪み(盗掘坑)が有ります
全長5m程の小規模な石室だったでしょうか
さらに後方の高所に、だけ山古墳「18B-76」が有ります
径12m・高3.5mの円墳で、墳頂に窪みが有ります
★所在地;宇陀市菟田野稲戸
★交通;近鉄「榛原」駅より バスで「松井橋」下車 徒歩25分
★駐車場;なし
★見学;自己責任で
★問合せ;
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不動塚古墳群(菟田野)
3基の古墳からなります 撮影日;2014.03.27
1号墳は全長は50mの前方後円墳です
後円部の径24m・高さ4〜7m、前方部の最大幅は20m・高さ5m
前方部は、薮に覆われていてよく見えません
後円部中央にある埋葬施設は、右片袖型横穴式石室で箱形石棺が残っています
石室全長は7.7m
玄室長4.09m・幅2.21m・高さ2.88m
羨道長3.61m・幅1.48m・高さ0.71m
出土遺物は、金銅装環頭大刀・鉄槍・鉄鏃・須恵器・土師器など
築造は6世紀後半と考えられています
2号墳は径17.7m・高さ約3.5mの円墳です
1号墳のすぐ東側に有ります
墳頂が陥没していて、玄室は埋まっています
開口部もわずかで、入室は不可能です
石室規模は1号墳よりも少し大きいとされています
この古墳にも箱式石棺が有ったようです
3号墳は、2号墳の南東に在る径12mほどの円墳です
2号墳から少し下って行きます
墳頂に陥没坑が有ります
横穴式石室が在ったと思われますが、石材はほとんど認められません
★所在地;宇陀市菟田野稲戸
★交通;近鉄榛原駅より バスで「古市場地蔵の辻」下車 徒歩25分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;
再訪しました(以前の記事;菟田野不動塚1・2号墳)
相変わらず、たどり付くのがたいへんです
行き方;稲戸八坂神社から東へ350mほど行くと、三叉路に駐車スペースが有ります
その先に↓、不動塚古墳への矢印が見えます
途中までは楽チンですが、獣捕獲用の檻から先が大変です
笹薮に覆われ、道が見えません
何とか笹薮を掻き分けて行くと、左向きの矢印が有りますが、進めません
(看板立てるなら、整備していただきたいです)
矢印と反対方向へ進むと、丘陵の南斜面へ出ます
ピンクのテープが見えたら、斜面上に1号墳の開口部を示す看板が見えます
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常盤御前の腰掛石
幼い牛若丸を抱いた常盤御前が腰掛け石です 撮影日;2014.03.27
幅1m・高さ50cmほどの石が、道の傍らに有ります
宇太水分神社(中社)から東へ1.5kmほど行った、旧道に有ります
案内板より
源義朝の妻常盤御前には、今若、乙若、牛若(後の義経)という三人の子供がいました。義朝が平治の乱に敗れ、常盤御前は三児を連れ吉野から下芳野ににげのびた時、岸岡の家に足を留めて隠れていたことがありました。その際に腰掛けたと伝えられています。 <菟田野町観光協会>
★所在地;宇陀市菟田野松井
★交通;近鉄榛原駅より バスで「松井天神社前」下車 徒歩2分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;
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上井足北林1・2号墳
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下井足中西古墳(仮)
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鹿高神社境内古墳
二つの石室が開口しています 撮影日;2014.03.29
本殿のすぐ背後に有る全長約42mの前方後円墳です
後円部の径21m・高さ5m、前方部の最大幅は26m・高さ4.5m
前方部を東に向けています
前方部と後円部2ヶ所に横穴式石室が開口する数少ない形式の古墳
昭和45年9月7日に名張市の文化財に指定されています
石室開口部の幅は、ともに80cmほどですが、高さは後円部が40cm・前方部が25cmほどしかなく、這って入らなければなりません
後円部の石室は、全長9.8mの両袖式横穴式石室
一辺2m前後の大きな石材で築かれています
玄室長さ4.7m、幅2m・高さ1.3m
組合式石棺が収められていたようです
前方部の石室は、全長7.65mの両袖式横穴式石室
一辺50cm前後の小さい石材で築かれています
玄室が長さ4.55m、幅1.65m
箱形石棺が収められていたようです
出土遺物は、後円部石室から出土した須恵器の台付長頸壺、広口壺と墳丘で確認された埴輪円筒の破片などがある
築造は、出土遺物から6世紀中頃と推定されます
名張盆地を治めた首長層を葬ったものと考えられています
境内の南東隅に、2基の円墳も有ります
★所在地;名張市安部田大殿1942 (鹿高神社)
★交通;近鉄赤目口駅下車 徒歩40分
★駐車場;有ります
★見学;自由 (入室は自己責任で)
★問合せ;
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大屋戸古墳群
杉谷神社の本殿背後に在る4基からなる古墳群です 撮影日;2014.03.29
開口しているのは2基で、入室可能です
いずれも封土の流失が激しく、墳丘は形が分からないほどです
1号墳は比較的良好に小型の石室が残っています
右片袖式横穴式石室で、玄室長さ約3m、幅約1.5m・高さ約2m
2号墳は、ほとんど墳丘が無くなっています
玄室長さ約3m、幅約1m、高さ約1.5m
羨道部は崩れていますが、玄室一番前の石ガ取り除かれていて、入室可能です
3号墳は羨道部の石材1個と天井石が1個露出
石室は完全に埋まっています
4号墳は崩れた墳丘のみです
★所在地;名張市大屋戸62 (杉谷神社)
★交通;近鉄名張駅下車 徒歩17分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;
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赤井塚古墳
伊賀地方では最大級の石室が有ります 撮影日;2014.03.29
元は径30m近い円墳だったようです
現状は径22m・高さ8.5mの墳丘です
現在は柵がされていて、石室内への立ち入りは禁止となっています
西南西に開口する全長11.7mの横穴式石室が有ります
玄室長さ5.5m・幅2.4m・高さ3.5m、羨道長さ6.2m
玄室高が高く、奥壁の最上段の石が持ち送り状に前にせり出しているなどの特徴から、赤坂天王山古墳との共通性が指摘されています
北側に有る覆い屋には、謎の石が・・・
伊賀南部の首長の墓と考えられています
6世紀後半ごろの築造です
国の史跡に指定されています
美旗古墳群の中の1基(4基の前方後円墳・1基の円墳・1基の帆立貝式古墳・1基の方墳を含む)ですが、かなり離れた場所に有ります
★所在地;名張市上小波田813付近
★交通;近鉄桔梗が丘駅より バスで「小波田」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★見学;自由(石室には入れません)
★問合せ;0595-63-7892(名張市教育委員会生涯学習室)
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上山13号墳「上山古墳群」
公園の一角に移築保存されています 撮影日;2014.03.29
春日丘団地の建設でいくつか消滅しました
団地内の春日丘4号公園内に13号墳が移築保存
13号墳は、長径12mの楕円形墳です
石室長約6m
石室内には箱式石棺も復元されています
出土遺物は、須恵器・耳管・土師器・棒状かんざし・金銅製花形飾り
墳丘の背後にも石室石材(石棺?)と思われる石材が置かれています
上山古墳群は、14基からなる群集墳です
春日丘団地入り口にあるファミリーマート裏の竹林内に1〜4号墳が有ります
小さなマウンドが並んでいる程度です
公園前の斜面にも5・6・15・16号墳が保存されているようです
★所在地;名張市夏見・春日丘1番町
★交通;近鉄名張駅より バスで「F中川原」下車 徒歩2分
★駐車場;なし
★見学; 自由
★問合せ;
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中村古墳群
住宅地の一角に丘陵ごと保存されています 撮影日;2014.03.29
シイの木公園内に、1号墳と12号墳が保存
石材が露出しています
ともに開口はしていません
12号墳は群内最大の円墳だそうですが、墳丘ははっきりしていません
ニレの木公園には17〜20号墳が保存され、18号墳は石室が露出しているそうです
釜石川、宇陀川流域に居住した人々の数代にわたる家族墓と考えられています
築造は6世紀ごろ
市立病院裏の公園内には、高尾支群の5号墳と6・7・8・13・14・15・16号墳が保存
木棺直葬で群中では初期の築造
★所在地;名張市百合が丘町西2番町
★交通;近鉄名張駅より バスで「百合が丘西五番町」下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★見学; 自由
★問合せ;
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