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Channel: 奈良の名所・古跡
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ツカモト古墳

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ツカモト古墳墳丘
 南斜面に横穴式石室が開口しています 撮影日;2014.12.13

 径15mの円墳となっていますが、現状は径10m弱と思います
 石室は長さ3m・幅1.3m、羨道部は幅0.7mの片袖式の横穴式石室

 この古墳、山の南斜面に築かれている為、羨道部は北側に有ります
 開口部は10cmほどの高さが有りますが土砂でほとんど埋まっています
 羨道は3~4mほど有ります

ツカモト古墳奥壁 ツカモト古墳玄室内

 南側の奥壁側にも開口していて、狭いですがかろうじて入室可能です
 片袖式とされていますが、土砂で埋まっているので、両袖式かも知れません
 現状、玄室内は高さ1mほど有ります
 丁寧に積み上げられた石室です
  
ツカモト古墳羨道部 ツカモト古墳北開口部 ツカモト古墳南開口部

 「15C-125」ですが、遺跡地図とは違う場所に有ります
 (2年越しで見つけることが出来ました)

 道端の小さな祠が有る裏側に谷が有ります
 この小祠は「ヒメッサン」と呼ばれ、民間信仰の対象になっているそうです
 祠の右手(西側)に山に入る小路↓↓が有ります       
ツカモト古墳前ヒメッサン ツカモト古墳入口 ツカモト古墳谷
 ヒメッサン↑↑        左手側の尾根上に墳丘が見えています↑↑
★所在地;宇陀市嬉河原398付近 MAP
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで「梅の木」下車 徒歩30分
★駐車場;有りません
★見学;私有地です
★問合せ;

 近くに芝生古墳が有ります
 一緒に見学すると良いでしょう


岩室古墳

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岩室古墳石室跡
 石室石材が露出しています 撮影日;2014.12.13

 「15D-372」ですが、遺跡地図とは少し場所が違います

 横穴式石室ですが、羨道は破壊され内部の様子は分かりません
 覗いて見ると、玄室の空間は残っているようですが、ほとんど石材は抜かれているようです
 墳丘はかなり削られてしまっていて、墳形も分かりません
 比較的規模の大きな古墳のようです

岩室古墳 岩室古墳石室内

 徳源寺裏山から嬉河原へ向かう道(山道です)沿いに築かれています
 途中の墓地の少し先(嬉河原方向)に墳丘が見えてきます
 南側に回りこむと開口部があり、大きめの石材が2個露出しています 

★所在地;宇陀市大宇陀岩室・西山 MAP
★交通;JR・近鉄榛原駅より バスで「西山」下車 徒歩25分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;

本郷の古墳「15C-126」「15C-127」

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本郷の古墳15C-127
 比較的大きな円墳です 撮影日;2014.12.13

 松源院香久山古墳の南東600mほどの所に2基の円墳が有ります
 西側の「15C-126」は径22mの円墳で、高さ4mほど
 墳頂は削られて墓地になっています
 盗掘穴と思われる跡も有ります

本郷の古墳15C-126 本郷の古墳石碑

 100mほど東に有る「15C-127」も径22mの円墳
 とてもきれいな円墳です 高さ5mほど
 墳頂に「崇仁六十年 倭姫祭祀跡」の新しい石碑が立てられています

 「15C-126」の少し北側の道沿いに庚申塚が有りますが、これも古墳と思われます
 径5mほど
 祠の後に石積みが見られますが、石室材ではないようです 

本郷の古墳庚申塚
★所在地;宇陀市大宇陀本郷
★交通;近鉄榛原駅より バスで「大宇陀」下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★見学料;自由
★問合せ;


 本郷狐塚古墳と本郷石塚古墳を探していますが、遺跡地図の場所とは違うようで見つかりません
 また次回にチャレンジします

衞門戸丸塚古墳

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衞門戸丸塚古墳墳頂
 瓢箪山古墳の南西に接する古墳です 撮影日;2014.12.14

 「丸山古墳」「ボウズ山」とも呼ばれます
 径45mの円墳とされていますが、調査されていないようです

 佐紀陵山古墳の東方、上吉堂池と呼ばれる大きな池の北方に位置しています
 佐紀瓢箪山古墳のすぐ南西に隣接
 隣接する佐紀瓢箪山古墳の周濠が当古墳の近接する部分だけ築かれていないことから、瓢箪山古墳より以前(4世紀後半)に築造されたと推察されています

 瓢箪山古墳西入口付近から墳丘へ入ることができます
 墳丘北東部分が大きく削られています
 大きな墳丘ですが、三日月形状態となっています

衞門戸丸塚古墳 墳瓢箪山古墳より見た衞門戸丸塚古

 大正2年(1913)大阪電気鉄道軌道の工事に際してのバラス採取で、粘土槨がみつかっています
 銅鏡14面・銅鏃19本・素環頭鉄刀を含む鉄刀剣18口が出土
 出土遺物は宮内庁書陵部蔵品となっています
 銅鏡のうち6面の内行花文鏡は製鏡で、いずれも面径12.0cm
 文様構成・花文間の文様形状・珠文帯の珠文数においても同じ
 同笵・同型関係が確認できる稀少な例との事 

★所在地;奈良市佐紀町衛門戸
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学;自由(私有地です)
★問合せ;

歌姫赤井谷横穴墓群

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歌姫赤井谷横穴墓群
 竹薮に覆われた谷の斜面に築かれています 訪問日;2014.12.14

 塩塚古墳の北北東に発見された3基の横穴墓
 1号墓には陶棺2基置かれていました
 3号墓は全長約10m
 棺は無く、床面に人骨が3箇所に置かれていました
 5体以上が埋葬されていたようです

 市の西北部には陶棺を納めた横穴墓が多く、土師氏との関係が考えられます

歌姫赤井谷横穴墓開口部 歌姫赤井谷横穴墓内

 現状、一番南西側の一基のみ開口しています(他は塞がれています)
 竹の根元に開いた陥没穴
 深く縦に落ち込んでいるので、入室はあきらめました 

赤井谷横穴3号墓玄室内 赤井谷横穴陶棺

★所在地;奈良市歌姫町字赤井谷986-2
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩25分
★駐車場;なし
★見学;可(私有地です)
★問合せ;


歌姫赤井谷横穴墓群前 歌姫赤井谷横穴墓群進入口
 赤井谷横穴墓群ヘノ入口付近↑↑     進入口↑↑
 

佐紀猫塚古墳≪再訪≫

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佐紀猫塚古墳荒れている
 墳丘に立ち入ってみました 撮影日;2014.12.14

 衞門戸丸塚古墳のすぐ東の竹薮内に有ります
 前方部西側やくびれ部南側が特に大きくえぐられています
 墳形も大きく改変されています
 竹も密集している為、全体を見渡すことはできませんでした

佐紀猫塚古墳前方部頂 猫塚古墳

 後円部の径30m、高さ3mで、墳丘全長は55m
 墳丘の周囲には周濠があります
 外周施設をふくめた兆域の全長が120mになることが知られています

 発掘調査が1953年に行われています
 後円部にある埋葬施設は竪穴式石室で割竹形木棺が収められていました
 竪穴式石室は割石でつくられ全長4.6m幅1.28mと測られています

 出土したものとして神人龍虎画像鏡、石釧、短剣、鉄刀、車輪石、碧玉製管玉、翡翠製勾玉などが知られています
 築造は古墳時代の中期の5世紀初頭ごろと推定されています 

★所在地;奈良市佐紀町寺畑3086 猫塚古墳
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学;私有地です
★問合せ;


 墳丘の有る竹薮⇒ 佐紀猫塚古墳

平尾山遺跡古墳

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平尾山遺跡古墳前
 水道タンク付近に有りましたが消滅しています 撮影日;2014.12.21

 石上大塚古墳の西に在った2~3基の円墳です

 平尾山1号墳「8D-150」は径約23mの円墳
平尾山遺跡古墳跡
 平成7年に天理市水道局の北側タンク増設により調査されています
 調査前は果樹園となっていて、東西22m・南北18mの円墳状を呈していました
 復元規模は径約23m・墳丘高2m、濠跡は幅約6mあったようです
 濠は全体を回っていたようです
平尾山1号墳遺構図 平尾山1号墳石室 
 埋葬施設は、岩屋谷をのぞむ北側に開口した片袖式の横穴式石室でしたが、石材は奥壁と玄室の一部を残しているだけでした
 石室墓壙は東西6.5m・南北13.3mの規模でした
 玄室は長さ6~7m・幅は1.8m・高さは1.8mほど
 石室床には複雑に構成された排水溝が有りました
 溝の幅は40~50cm、深さ15cm程度
 ほぼ完全に盗掘を受けていましたが、多くの遺物が出土しています
 埴輪(円筒・家・盾・鶏)、須恵器、杯、高杯、壷、甕、ガラス玉17、水晶玉2、鉄製品には馬具の引手、帯飾り金具18、桂甲の小札約200、鉄鏃約20などが出土
 小札は横穴式石室からの出土例は少なく、石上・豊田古墳群からの出土は初めてである
 築造は6世紀中頃と推定されています

平尾山2号墳石室 平尾山遺跡古墳

 平尾山2号墳「8D-149」は径12mの円墳
 昭和61年に調査されています
 調査時は、墳丘はすでに消滅していました
 西側に開口する横穴式石室が有りました
 左側壁は3個、右側壁は7個の基底石が残存するのみでした
 玄室長約3.3m・幅約1.5m
 出土遺物は須恵器19点、土師器3点が玄室の奥壁部から現位置を保った状態で出土
 金環や馬具類も出土しています
 埴輪は無かったようです
 築造時期は6世紀の中葉から後半にかけてと推測されています

平尾山1号墳付近図 平尾山遺跡石

 古墳と関係有るのかどうか分かりませんが、フェンス横に石碑が有ります
 (荒天大神?と刻まれている) 

 3号墳はやや南にあり、径10mほどの円墳
 玉、土師器、須恵器などが出土
 横穴式石室を有する古墳時代後期の古墳です

★所在地;天理市石上町平尾
★交通;JR・近鉄天理駅下車 徒歩40分
★駐車場;有りません
★見学;消滅しています
★問合せ;

石上大塚古墳≪再訪≫

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石上大塚古墳石室
 破壊されていますが、とても大きな石室です 撮影日;2014.12.21

 全長107m、後円部径67m・高さ14mの2段築成の前方後円墳です
 後期の古墳としては見瀬丸山古墳に次いで規模が大きい前方後円墳です

 前方部を北に向け北・西・南の3方に空濠が有ります
 西側に有る造り出し(東側にもある可能性)もはっきり確認できます
 拳大の礫石による葺石が墳丘に施されていたようです

石上大塚古墳石室奥より 上大塚古墳図

 後円部南に片袖式の横穴式石室が有ります
 羨道は破壊されていますが、長さ7.5mほどあったようです
 玄室長6.3m、幅2.8m・高さ推定3.8m(残存2.8m)
 天井石も無くなっていますが、とても見ごたえ有る大きな石室です

 凝灰岩製石棺(破片が出土したそうです)が有ったようです
 埴輪は確認されていません
 築造年代は6世紀前半です

石上大塚古墳墳丘 石上大塚古墳後円部 石上大塚古墳造り出し部
 被葬者は物部氏の有力者と考えられています
 ウワナリ塚古墳に続いて築造されたようです 

★所在地;天理市石上町平尾
★交通;JR・近鉄天理駅下車 徒歩45分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


ウワナリ塚古墳≪再訪≫

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ウワナリ塚古墳開口部
 大きな玄室がほぼ完存しています 撮影日;2014.12.21

 石上大塚古墳の東に並んで築かれている前方後円墳です
 前方部はぶどう畑となっていて入れませんが、埴輪の破片がころがっているらしいです
 葺石も施されていたようです
 よく分かりませんでしたが、西側に造り出しが有るようです

ウワナリ塚古墳後円部 ウワナリ塚古墳前方部
 
 埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、後円部南西側の上段に有ります
 後円部南にフェンスが有りますが、横から入れるので意味なし
 上段にミツバチの巣箱が有り、その右手に開口部が有ります
 石室前のフェンスは鍵がかかっていないので入室できます 

ウワナリ塚古墳扉 ウワナリ塚古墳蜂巣箱

 石室の全長10.4m
 羨道長3.5m・幅2m・高さ0.8m(一部は解され土砂で埋まっているので、元は長さ10m・高さ1.5mほどあった?)
 玄室長6.9m・幅3m・高さ3.6m

ウワナリ塚古墳玄門部 ウワナリ塚古墳奥壁 ウワナリ塚古墳天井石
 石材に花崗岩の巨石が使用されており、室内からは石棺の破片が見つかっています
 出土遺物は須恵器片、円筒埴輪片
 築造年代は6世紀前半~中頃です
 発掘調査はされていないようです
 
★所在地;天理市石上町平尾1089
★交通;JR・近鉄天理駅下車 徒歩50分
★駐車場;有りません
★見学;私有地ですがOK
★問合せ;

岩屋町の磨崖仏

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岩屋町不動魔崖仏
 旧街道沿いの不動明王像です 撮影日;2014.12.21

 3mほどの岩肌に1m程の不動明王を線刻して有ります
 磨耗、風化が進んでいて、日の当たり具合によっては見えにくくなります

岩屋町魔崖仏手前 岩屋町魔崖仏 

 岩屋は元々は岩谷と書いたと思われ、いたるところに岩肌が露出しています
 この道は旧伊勢街道だった様で、奈良や天理から大和高原を超えて伊勢へ至る最短ルートの道でした

 いつ頃彫られたお不動さんかは不明ですが、伊勢参りが盛んだった頃にはあったのでしょうね

★所在地;天理市岩屋町86付近
★交通;JR櫟本駅下車 徒歩60分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

塚ノ平古墳≪再訪≫

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塚ノ平古墳
 見つけたときは感動した石室です 撮影日;2014.12.21

 高所に有り、切石の美しい石室です
 奥壁に『塚平社』と線刻されています

 石室は無袖形の横穴式石室で、高麗尺で設計された切石造りの精美な石室です
 南側に開口しています
 現状長約5.5m、幅約2.07m、高さ1.7m

塚ノ平古墳石室 峯塚古墳奥壁

 標高320mの高所に所在する終末期古墳
 一辺約30mの方形区画の中に造られた、一辺約16mの方墳
 墳頂は削られて、現状高さ2.5mほど(北側は1mほど)

 尾根道の南斜面に有り、羨道部はかなり破壊されていて、倒木が覆っています
 さらに墳丘前は笹薮になっていて、非常に見つけにくい古墳です 

塚ノ平古墳墳丘 塚ノ平古墳石室内より

★所在地;天理市岩屋町谷山
★交通;JR櫟本駅下車 徒歩90分
★駐車場;有ります(本願寺・岩屋春日神社又はさらに上にある墓地)
★見学;自由(初回訪問で見つけられたらラッキーです)
★問合せ;


塚平社文字

塚平古墳付近の無名墳

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8D-109開口部
 木の根元に石材が露出しています 撮影日;2014.12.21

 わずかに開口していて、奥壁が残っているようです
 径8mほどの円墳と思われます
 遺跡地図の場所とは少し違うようですが「8D-109」でしょうか?

8D-109石材 8D-109石室内部 

 登山道脇にも石材が露出している所が有ります「8D-110」?
 登山道の真ん中に石材が一個転がっています
 左手斜面を見上げるといくつか石材が見えます

8D-109墳丘 山道の石材
                この石材が見えたら↑↑もうすぐ塚平古墳です

★所在地;天理市岩屋町谷山
★交通;塚平古墳の南西60mほどの所

峯塚古墳≪再訪≫

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峯塚古墳奥壁
 見所は、なんといっても精巧に切り出された大きな石材を使って組まれている石室です 撮影日;2014.12.21

 石室の全長約11m
 玄室は長さ4.6m、幅2.7m、高さ2.3m
 巨石の切り石で組まれています
 残念なのは、とても落書きが多いことです

峯塚古墳開口部 峯塚古墳袖部 

 三段築成の円墳で、規模は直径が下段から約35.5m、28.4m、17.6m
 高さは約5mとなっていますが、濠の底から見上げると高さ10m程有るように見えます
 墳丘背後に回るとその大きさが良く分かります

峯塚古墳墳丘 峯塚古墳濠

 この古墳、以前は見つけにくい古墳としても有名でしたが・・・
 石上神宮から南へ歩いていくと、道脇に保昌塚古墳が見えてきます
 少し手前の左へ入る道に、新しい峯塚古墳の説明板が立てられています 

★所在地;天理市杣之内町峯堂
★交通;近鉄天理駅より バスで石上神宮前下車 徒歩10分
★駐車場;石上神宮のP
★見学;自由
★問合せ;

古市城址

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古市城跡碑
 城跡は東市小学校の校地となっています 撮影日;2014.12.21

 東市小学校の裏門を登っていくと右手フェンスの中に「古市城址」の石碑が有ります

 築城年は不明です
 文献上の初見は文安元年(1444)だそうです
 広い台地築かれ、台地と西側の環濠集落が結合して惣構えを形成していたようです
 遺構は見当たりませんが、本丸跡地は周囲より一段高く、東から奈良盆地を一望できる立地です

古市城跡丘陵 古市高山城跡丘陵
 後に谷を隔てた南方の丘陵も城地とされました↑↑
 古市高山城です(ここは遺構が良好に残っています)

古市高山城跡 古市高山城跡石

 古市氏は、1320年代より史料に登場します
 室町時代には興福寺大乗院の坊人として有力な存在でした
 古市澄胤の時代には越智氏とともに大和国を実質的に支配するほど最盛期を迎えています
 明応6年(1497)に筒井氏との戦いに敗れてからは衰退の一途を辿っています

★所在地;奈良市古市町268
★交通;JR奈良駅より バスで南古市下車 徒歩1分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

法花谷古墳

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法花谷古墳開口部
 山の奥にポツンと築かれている後期の古墳です 撮影日;2014.12.27

 径12mの円墳「17D-2」です
 封土はかなり流失しているようで、墳頂は平になっています

 横穴式石室が見学できます

法花谷古墳奥壁 法花谷古墳羨道口

 羨道部はほぼ埋まっています
 玄室の西側石が1個抜かれていて、なんとか入室可能です
 足場が無いので出るのは大変(うかつに入ると出られなくなりますよ)

 玄室は花崗岩を積み上げている
 高取町史では長さ2.8m・幅1.7m、羨道長4.2m・幅1.7mとなっています
 玄室は目測で、長さ2m・幅1.5m・高さ1.5mほどの小さな石室です
 羨道は幅1mほど、両袖式のようです

法花谷古墳羨道石 法花谷古墳墳丘

 玄室内の石材は煤けていました
 石室内で誰か焚き火でもしたのでしょうか???

 ≪行き方≫
 高取城跡へ向う途中、「宗泉寺」の700mほど手前、公園あたりの分かれ道を南へ
 林道を小滝を眺めながら登っていきます
 緩やかにカーブする辺り、小川の対岸左手に墳丘が見えます 

法花谷古墳手前 法花谷古墳

★所在地;高市郡高取町上子島字法ヶ谷
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩40分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;

 おそらく、よっぽどの古墳マニアじゃないと行かない古墳でしょうね


上5号墳

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上5号墳付近
 細川谷古墳群の最も東の端に在った古墳です 撮影日;2014.12.27

 上(かむら)集落の東、東西方向に伸びる尾根の上に築かれていましたが、消滅しています
 調査時点で、すでに封土は流失し、横穴式石室が残っていました
 径17mほどの円墳「17B-173」だったようです
 
 ほぼ南に開口する横穴式石室で、全長7.4m
 羨道長さ3.1m・幅は玄門部で1.6m
 玄室は長さ約4.3m・幅約2.8mで、天井は穹窿頂きゅうりゅうちょう持ち送りの構造だったようです

上5号墳石室 17B-171
 発掘時の石室↑↑          ↑↑近くに有る古墳の石室跡

 玄室には箱形木棺が三個置かれていたようです
 西棺の被葬者は琥珀製の棗玉の首飾りと金銅製の耳飾りをしていたようです
 中央棺の被葬者は青銅製の釵子さいしで髪を留め、ガラス小玉の首飾りや銀製の空丸玉の足玉をつけていました
 東棺にはほとんど副葬品は有りませんでした

 遺物に、ミニチュア炊飯具が見つかっています
 竃と甑こしきは二点しか見つかっていませんが、鍋と甕が三点有り、小型炊飯具の三セットが玄室の入口付近に置かれていたようです
 石室の東北隅の金銅製鞍金具・花弁形杏葉・木心鉄地金銅板張輪鐙・金銅製辻金具なども見つかっています
 玄室内の袖石部分には大型と小型の須恵器の甕がそれぞれ二個置かれていました 

★所在地;高市郡明日香村上字千本ズミ
★交通;石舞台古墳より 西へ約2km
★駐車場;なし
★見学;何も有りません
★問合せ;

 気都倭既神社の北200mほどの所に有りました


 参考;明日香村 上5号墳[PDF]

七曲塚(上廻塚)古墳

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七曲塚古墳
 とても大きな石材が露出しています 撮影日;2014.12.27

 上5号墳の少し北に有ります
 墳丘は半壊状態
 登山道途中に、破壊された大きな石材が積み上げられています
 (この山道は念誦崛不動尊を通って北山へ続いていたと思われますが、今は途中で途切れています)
 登り口が分かりづらいです

七曲塚古墳下から 七曲塚古墳羨道石

 埋葬施設は南に開口する横穴式石室です
 開口はしていません

 大正5年頃には、玄室内から凝灰岩の組合せ式石棺の石材と鉄剣一振りが検出されています
 剣は、鞘口・金銅獅噛透・鞘漆塗・蛇腹柄纏銀線付の優れた物であったようで、東京国立博物館に所蔵されているようです

 周りに石材が露出した所がいくつも有ります「17B-170」など
17B-170

★所在地;高市郡明日香村上230
★交通;バスで石舞台古墳下車 西へ徒歩30分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;

イノラムキ古墳

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イノラムキ古墳玄室内
 こんな山の高所に、よく造ったな~と思える古墳です 撮影日;2014.01.04

 生駒山の標高360mの南側斜面に築造され終末期古墳です
 東西15m・南北18mの方墳です

 南側は3段、東西は2段に石を並べ、区画していたと考えられます
 現在は、1段目の南側石室入口から西側へ続く部分と、2段目の西側に列石が残っています

イノラムキ古墳 イノラムキ古墳墳丘

 石室は南に開口する無袖型の横穴式石室です
 長さ6.35m・幅1.9m・現状高さ1.9m
 羨門部が奧より低くなっています
 天井部が低くなった部分が羨道部、奧が玄室部と考えると、玄室の長さは5.1m
 羨道の長さ1.25m・高さ1.5m
 羨門部は外側に向って八の字形に開き、1段目の列石へと続いています

イノラムキ古墳内より イノラムキ古墳石片

 石材は周辺で産出される花崗岩で、表面を平に加工した切石に近いものです
 玄門付近の上部に、4cmほどの穴が有り、閉塞の施設があったことが考えられます

 石室形態から、築造年代は7世紀中~後半と推定されています
 被葬者は、「日下氏」との関係が考えられます

★所在地;東大阪市日下町8丁目
★交通;近鉄石切駅下車 徒歩40分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;

 ≪行き方≫
 石切駅から旧生駒トンネル脇を通って、生駒縦走コース(くさかコース)の登山道を登っていきます
 登山道に入って35分程で古墳への分岐に着きます
 分岐から5分ほど尾根道を下っていくと有ります
 日下神社近くの溜池脇(孔舎衙健康道場跡)から登っていくコース(近道)も有りますが、かなりハードです

旧生駒トンネル

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旧生駒トンネル入口
 幽霊トンネルとしても有名 撮影日;2014.01.04

 かつて近鉄奈良線の孔舎衛坂駅⇔生駒駅間にあった鉄道トンネル(全長3,388m)
 (日本初の標準軌複線トンネルです)
 奈良線の生駒トンネルは大正3年(1914)に、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道により開通しました
 開通当時は日本で2番目の長さだったそうです

 新生駒トンネル(全長3,494m)の開通により、昭和39年に鉄道トンネルとしての使用を終えました
 その後、奈良線の旧トンネルを一部再利用する形でけいはんな線の生駒トンネルが昭和61年に開通しています

 このトンネルは、現在のようなコンクリートではなくレンガにより作られています
 使用されているレンガの数は約3,000万個に及ぶそうです
 イギリス工法という、小口のみの段と長手のみの段を交互に積み重ねた技法を採用
 当時は強度的にも優れた積み方として推奨されていたそうです

 工事は明治44年(1911)に大林組が請け負い着工されました
 建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった
 工事費用が見込みを上まわり、岩下清周(当時の大軌社長)が私財を叩いて建設を続行させたそうです

 大正2年1月26日に発生した落盤事故では、152名が生き埋めとなり20名の犠牲者が出ています
 工事には朝鮮半島からの出稼ぎ労働者も従事しており、この事故でも犠牲となった者がいました
 開通後も何度と無く大事故が有り、幽霊説がうわさされたようです

 現在は、高圧電流の通る電力設備が設置されています
 また、新生駒トンネル及びけいはんな線生駒トンネルの緊急避難通路になっています

 平成21年2月23日、経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されました

旧生駒トンネル前
 孔舎衛坂駅は新生駒トンネル開通時まで大阪側出入口に有りました
 大正3年7月17日、日下駅(くさかえき)として開業
 大正7年、鷲尾駅と改称
 昭和15年6月、孔舎衛坂駅(くさえざかえき)と改称
 昭和39年7月23日、新生駒トンネル開通の路線変更により廃駅

 駅名の由来は、『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる

 「白龍神社」が祀られています
 工事中の落盤事故や開通後に起きた車両火災及び衝突事故などの犠牲者を慰霊する目的と、生駒トンネルの安全を祈願して建立されたものだそうです 

 旧生駒トンネルに向かって右のホームにはお地蔵さん、左のホームには石碑が建っており、事件で犠牲になった人を祀ってあるとのこと

★所在地;東大阪市日下町1丁目
★交通;近鉄石切駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;通常は見学できません
★問合せ;

松本塚「出雲井8号墳」

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松本塚
 アパートや民家に囲まれて墳丘が残されています 撮影日;2014.01.04

 径約20m、高さ約3mの円墳です

 石室内には組み合わせ式石棺が有るそうです
 両袖式の横穴式石室で、石室長は約8.4m
 玄室長5.2m・幅2.6m・高さ4m
 羨道長3.2m・幅1.7m・高さ1.9m(羨道は無くなっているようです)

 6世紀後半から7世紀初頭の築造と推定されています 

 南側の駐車場から墳丘は見学できますが、石室が見学できるかは?
 墳丘は薮で覆われ、かろうじて開口部の石材が見えています
 開口しているのかどうかも分からない状態でした
 
★所在地;東大阪市出雲井町1-15付近
★交通;近鉄枚岡駅下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★見学;墳丘への立ち入りは?
★問合せ;

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