巨大な横口式石槨が露出しています 撮影日;2014.05.25
生駒山地から派生する丘陵の南斜面に築かれています
封土は流失し規模は不明です
方墳だったようですが、八角形墳の可能性が有ります
北河内唯一の古墳時代終末期に属する古墳です
須恵器の小片が出土していて、7世紀中頃の築造と考えられています
主体部の横口式石槨は2石を組み合わせてあります
上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、直径3m・高さ1.5mの埋葬部分をくり抜いた蓋石を重ねています
内部は幅0.9m・高さ0.8m・奥行き2.2mで、入口部分は幅0.5mとせまくなっています
入口部分の左側には上下面に丸いくぼみがあり、この部分に軸をはめ込む扉状の施設があったと推定されます
玄室部の前面には板状の2石が平行に建てられていて、羨道部を形成しています
昭和48年に国の史跡に指定されています
同じような構造の横口式石槨墳は、御坊山3号墳と鬼の爼・雪隠しかなく、きわめて特異な形状のものです
石槨の前に「天岩戸大日如来」と刻まれた石標が有ります
元禄4年(1691)明光寺の承誉上人が、石宝殿古墳は天岩戸であるとの伝承から建てたそうです
(明光寺の山号は天照山です)
石槨の背後には3個の石が一列に並んでいます
昭和63年の発掘調査で、この列石の西側に続く石が埋っていることが確認されました
この石と列石との設置角は135°で、この石を古墳の外側のラインにすると、古墳の平面形が八角形になる可能性があります
金銅壺が安永3年(1774)に掘出され(この古墳の被埋葬者の骨壷か否かは不明)、明光寺の隣の極楽寺の境内に深く埋め戻したと伝えられます
★所在地;寝屋川市打上1875-1(打上神社)
★交通;JR東寝屋川駅下車 徒歩10分
★駐車場;神社前にスペース有り
★見学;自由
★問合せ;