県内では最も古い石橋の一つです 撮影日;2014.07.27
高田川に架かっています
架けられたのは19世紀初め頃でしょうか
今でも車が通れます
葛城の昔話に、いたずら好きの豆ダヌキの話が有ります
三才の森「飯豊天皇の御陵」に狸の兄弟が住んでいました
毎日悪さや県下をしていたそうです ある時、お坊様の持っていた油揚げと魚をひったくろうとしましたが、お坊様に捕まり、山の寺まで連れて行かれて三日三晩お説教をされたそうです
豆タヌキは改心して、兄弟力を合わせ、大雨のたびに流される木の橋を石の橋に架けかえたそうです
豆ダヌキたちが架けた石の太鼓橋を「七橋」といいます
「行者橋」ともよばれるこの石橋は高野街道に残り、吉野大峰山への参けいで今も賑わった昔をしのぶことができます
由来は、葛城山系の紀伊・和泉・大和・河内の四ヶ国の国境を西から東へ、そして北へとカギ型となった総延長二十八里(112km)に及ぶ峯々に、 役行者が法華経二十八巻を各所に埋納して経塚を造り、入峯修行者のため二十八ヶ所の山籠行場を作りました
これが「葛城二十八宿」といわれる修験道場で、西は加太・友ヶ島から北端は大和川上流亀ヶ瀬に至ります
この葛城二十八宿修験道場が金剛葛城山にあることから、修験行者がこの橋を渡ったことに因るものと思われます
新庄桑之町にある行者堂に納められた行者像(文政6年造)の台座に「石橋願主大坂杉岡屋半兵衛…」とあり、七橋を架けた人物の名が刻まれています
★所在地;葛城市南道穗
★交通;近鉄新庄駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;