≪南東部石碑群≫
4基の石碑は、右から3基は「西国三十三所巡礼供養碑」
西国三十三所観音霊場を供養した記念碑的要素が強いものです
右より戦国末~江戸前期のもので法名を刻み、二つ目は江戸時代初期・正保4年(1647)で物故者供養、三つ目は寛文4年(1664)で俗名で構成されたものです
これらの石碑は、もともと境内の北西隅にあったもので、昭和53年の建て直し時に移設されたものです
左端の石碑は、庚申講衆碑で、大型ですが浅い梵字の形状、半肉彫りですが形骸化した蓮弁などから16世紀後半頃の戦国末から江戸前期のももと推定できます
これは昭和28年の国道165号線開通による現・庚申堂の移転に伴い、移設されたものです
≪北西部石像物群≫
右端の石碑は「阿弥陀名号供養碑」で、通常は「南無阿弥陀仏」と記されるのですがこの石碑は供養碑として得意な表現となっています
戦国時代・天文10年(1541)のものです
右から3基目は「六十六部 供養塔」と考えられ、戦国時代・公治2年(1556)に法華経を66ヶ国の霊場に奉納し無事満願を迎えられたことを記念して建てられたものです
他にも。五輪塔火輪の15~16世紀のものや、江戸時代の墓標や五輪塔板碑もあります
★所在地;桜井市忍阪870
★交通など;石位寺参照
撮影日;2014.11.20