「15A-76」鏡皇女陵≪再訪≫
「延喜諸陵式」に載る『鏡女王・押坂墓』です 撮影日;2014.11.20 径15mの円墳です 上円下方墳との説もあるようです 一見、宮内庁管轄のように見えますが、今は地元の忍阪区で管理されています その為、墳丘への立ち入りは可能です 発掘調査がされてないので詳細は全く不明です 築造時期も特定できませんが、風水思想に基づいた終末期古墳の特徴をそなえています...
View Article石位寺境内の石像物
≪南東部石碑群≫ 4基の石碑は、右から3基は「西国三十三所巡礼供養碑」 西国三十三所観音霊場を供養した記念碑的要素が強いものです 右より戦国末~江戸前期のもので法名を刻み、二つ目は江戸時代初期・正保4年(1647)で物故者供養、三つ目は寛文4年(1664)で俗名で構成されたものです これらの石碑は、もともと境内の北西隅にあったもので、昭和53年の建て直し時に移設されたものです...
View Article忍坂山口坐神社の大クスノキ
樹齢約600年と言われる楠です 撮影日;2014.11.20 幹周7.92m・樹高約30m 桜井市指定天然記念物です 巨樹前の標柱には「押坂山口坐神社のクスノキ」となっています 根元から2mの所で大きく二つの大枝に分かれています 空洞もなく樹勢は至って良好 このクスノキは伝承では二代目...
View Articleちご石「神籠石」
神武天皇ゆかりの大石です 撮影日;2014.11.20 この石は、神武天皇がこの地にいた蝦夷梟師・八十建(ヤソタケル)を討つとき この石に匿れ、石垣をめぐらし楯とした大石という伝説が有ります 火の見やぐらと半鐘は、昭和35年頃に生根神社境内より移設されたものです 元は神籠石(じんごいし)とだったとされ、今は訛って「ちご石」と呼ばれているようです 『神籠石』...
View Article旧田中家住宅≪再訪≫
「法蓮造り」と呼ばれる農家建築です 撮影日;2014.11.22 法蓮造りは、町家風の農家です 江戸時代の法蓮村は、市街地である奈良町に隣接する農村でした 村内の農家は町家のように奥行きが深い宅地に、隣の家と軒を並べて建っていました 住宅の正面には町家のように法蓮格子と呼ばれる丸太の格子を設けたのも特徴です 旧田中家住宅は、「法蓮造り」として現存最古と言われています...
View Article赤目四十八滝
布曳滝 赤目五瀑と呼ばれる不動滝・千手滝・布曳滝・荷担滝・琵琶滝は景観美がよく必見です 約4kmにわたって様々な滝が現れる滝川上流の渓谷です (行者滝、銚子滝、霊蛇滝、不動滝、乙女滝、大日滝、千手滝、布曳滝、縋藤滝、陰陽滝、姉妹滝、柿窪滝、笄滝、雨降滝、骸骨滝、斜滝、荷担滝、夫婦滝、雛段滝、琴滝、琵琶滝、岩窟滝)などが有ります...
View Article長岳寺奥の院横の古墳
群中最も高所に有る横穴式石室墳です 撮影日;2014.11.30 竜王山古墳群の一基(遺跡地図の「12C-96」)です やや孤立して存在 長岳寺奥の院の不動石仏から北へ60m程の所に開口しています 径15mほどの円墳で、山道の北側、笹薮の中に有ります 開口部は笹竹で覆われ、見過ごしやすいです (以前訪問時には全く気づきませんでした)...
View Article「12C-150」竜王山古墳群
登山道脇の石室です 撮影日;2014.11.30 羨道は破壊されていますが、玄室はほぼ完存しています 径10mほどの円墳と思われます 玄室長3.5mほど・幅1.5m・高さ3mほどの天井の高い石室です 両袖式の横穴式石室です 玄門の下に閉塞石らしき石材が残っています ↓↓遺跡地図の「12C-150」...
View Article竜王山城跡【北城】
撮影日;2014.11.30 北城は南城より約60mほど低く、大規模な平坦面が残っています 天文年間(1532~55)十市遠忠が築いたと伝えられ、十市城とも呼ばれます のち、秋山氏が侵出し、十市氏は山麓の十市城(十市城跡)に移りました その後、竜王山城は松永久秀の支配下となり、北城を中核に大きく改修されます...
View Article「12C-86~89」竜王山古墳群
群中で、最も高所に有る支群です 撮影日;2014.11.30 十数基有りますが、開口している古墳は少ないです また、この支群にたどり着くのもたいへんです(明確な道が有りません) 南側の斜面に3基並んで開口しています いずれも竪穴系横穴式石室です(羨道部から、玄室が少し落ち込んでいます) 「12C-86」は奥壁に巨石が使われています 倒木が開口部を覆っていますが入室できます...
View Article「11D-237」竜王山古墳群
とても大きな横穴式石室を有しています 撮影日;2014.11.30 竜王山古墳群の中で、ほぼ完存する横穴式石室のうち、おそらく最大規模の石室だと思います 尾根の最高所に築かれた径約15mの円墳です とても丁寧に築かれた、両袖式横穴式石室です 羨道長約5m・高さ1m 玄室長6m・幅約1.7m・高さ約2.8m 玄室内には土砂が流入しているので、3m以上の高さがあると思われます...
View Article竜王山古墳群の横口式石槨墳
石材はかなり抜かれています 撮影日;2014.11.30 遺跡地図の「11D-197~199」です 盗掘を受け、墳丘はかなり崩されています 尾根上の林道沿いに円墳?が三基並んでいます 真ん中の古墳「11D-198」が、横口式石槨墳のようです 径8mほどの小さい古墳です 直方体に加工された石材が積まれています 東隣の古墳「11D-197」は双室墳だったでしょうか?...
View Article福塚古墳
和束天満宮参道の西側の畑にあります 撮影日;2014.12.07 径25m・高さ5mの円墳です 北東側に竪穴式石室が露出しているそうです 現状は熊笹に覆われ、墳丘への立ち入りはかなり困難です 築造は古墳時代の中期と推定されています ★所在地;相楽郡和束町園箕ノ田 ★交通;JR加茂駅より バスで東和束下車 徒歩1分 ★駐車場;有ります ★見学;自由(墳丘への立ち入りは困難) ★問合せ;
View Article和束・弥勒磨崖仏
和束川北岸に彫られた大きな石仏です 撮影日;2014.12.07 約5m×5mの巨岩に二重光背型を約20cm彫りくぼめ、高さ3.3mの弥勒立像を半肉彫りしています 正安2年(1300)4月の銘が彫られています 刻銘:「為尼法阿 同子万寿丸 僧実専等 往生仏国 奉彫之 願主実専 正安二年四月日 当釈迦牟尼仏滅度之後 二千二百余歳比」...
View Article和束・坂尻塚1・2号墳
竪穴系横穴式石室墳が2基、見学できます 撮影日;2014.12.07 1号墳は、径12mの円墳です 封土はかなり流失し、横穴式石室の天井石が露出しています 石室は奥壁側が開口していて、現存長3.7m・幅1.5m 羨道は西側に有りますが、埋まっています 2号墳は、径9mの円墳です 墳丘は半壊していますが、石室は良く残っています...
View Article神童子天神社の十三重石塔
国の重要文化財に指定されています 撮影日;2014.12.07 境内西北端の木立の中、玉垣に囲まれて立っています この十三重石塔は、基礎に鎌倉中期 建治三年(1277)の銘があり、この時代の基準となるものです 初層軸部に、二重円光形に彫り窪め、顕教四仏を半肉彫りしています 北面のみ弥勒仏に代わって、右手に錫杖・左手に宝珠を持った地蔵菩薩が刻まれている...
View Article北河原・稲荷山古墳
古墳の上に稲荷神社が建っています 撮影日;2014.12.07 径約33mの円墳です(平尾稲荷山古墳とも言われます) 葺石・埴輪が有ったことが確認されています 埴輪はⅡ期の鰭付円筒埴輪で、古墳時代前期後葉に位置づけられます 平尾城山古墳の後に築かれたようです 鳴子川の北岸に位置し、ここは今城跡です 弥生時代の遺跡でも有ります 社殿の後方に竹薮があり、平尾城山古墳が有ります...
View Article精華町丸山古墳
野見宿禰の墓との伝承が有るようです 撮影日;2014.12.07 精華中学校の北に有る大きな古墳です 径100m・高さ12mの円墳とされます 前長250m、墳丘長174mの前方後円墳だとする説も有ります 前方部とされる所(東側)は幼稚園や商工会議所になっています 西側は駐車場になっています(周濠跡と思われます) 古墳の中腹に「伝 野見宿禰塚」の碑が建っています...
View Article鞍岡山古墳群
鞍岡神社の社殿は、鞍岡山4号墳の上に建っています 撮影日;2014.12.07 4号墳は径30mほどの円墳でしょうか ほとんど平削されていてます 1号墳は径25mほどの円墳と思われます比較的良好に墳丘が残っています 古墳時代前期末の築造 2号墳はバイパス工事で南半分が消失しています 東西方向が30m、南北方向が20m以上の円墳 高さは3~3.5m...
View Article荒神塚池
山田川駅の南側、川が合流する所に比較的大きな池が有ります 撮影日;2014.12.07 池の南側に小さな丸い島(塚)が有ります 何か謂れがありそうな場所なので立ち寄ってみました 北西側で道が交差していて、昔から交通の要所であった所かもしれません 『古事記』によると、丹波の王女四人が垂仁天皇に召されたが、二人の姫はみにくき故に帰されたという...
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