古市孤塚古墳
墳丘はかなり削られていて、おまけにゴミも捨てられ無残な状態となっています 撮影日;2012.09.23 田圃の畦に残る小さな古墳「8B-9」です 墳丘には葺き石と思われる5cmほどの小石がたくさん散らばっています 径10mの円墳(現状はおよそ5mX2mの楕円形) 横穴式石室があったようです 須恵器、耳環等の遺物が出土しています 築造は古墳時代後期です 添上郡の伝説*孤塚の怪火*...
View Articleきたまち案内所
ピンク色のかわいらしい建物です 撮影日;2012.09.23 平成24年7月にオープンしたばかりです 「鍋屋の交番」として親しまれてきた旧奈良警察署鍋屋連絡所を改築したものです (明治41年に「鍋屋巡査派出所」として設置され、昭和3年に50mほど北の現在地・半田横町に移転) 南北4間・東西2間・木造平屋建・寄棟造・鉄板葺の洋風建築 南西隅を隅切りして入口を設けています...
View Article鴻池古墳群
聖武天皇陵の西150〜250m程の所に数基の古墳が有ります 撮影日;2012.09.23 聖武天皇あるいは藤原不比等の一族の墓所だった可能性が考えられます 法蓮北畑古墳「5B-35」 径15mの円墳で横穴式石室が有ったようです 藤原宮子の佐保山西陵の候補でも有ったようです 同じ丘陵上に、聖武陵陪塚い号「5B-36」(西淡海公古墳)・は号が並んで有ります (ともに10mほどの円墳です)...
View Article出屋敷墓地古墳(仮)
共同墓地に有る円墳です 撮影日;2012.10.06 遺跡地図の「13D-257」です 墳丘は墓地に再利用されており、かなり削平されています 径30mの円墳(現状は25mほど) 墳丘の片隅に六字名号碑が横たえられています(古墳の石材??) 墓地の入口にある地蔵菩薩像も同じ石材に思えます ★所在地;御所市出屋敷字墓地218・北十三 ★交通;JR玉出駅下車 北へ徒歩20分...
View Article宝蔵寺の枝垂桜
県内でも最大級のシダレザクラです 撮影日;2012.10.07 宝蔵寺境内に見事な樹姿を見せています 春には淡紅白色の花をつけるエドヒガンの品種 枝は長く地上まで垂れ下がっています 東吉野村の天然記念物に指定(平成元年)されています 樹齢400年ほど 幹には空洞があり傷みがひどいですが、枝張りは東西10m南北10m、北へは1.5mで樹幹は南に傾いています 樹高は約10m...
View Articleひだる地蔵さん
あまり聞きなれない名前のお地蔵様 撮影日;2012.10.07 旧街道の閉鎖に伴いこの場所に移転されました ひだる神は空腹の神様だそうです ひだる地蔵尊由来...
View Article穿邑伝承地記念碑
穿邑(うかちむら)は神武天皇ゆかりの地です 撮影日;2012.10.07 神武天皇は穿邑に宮を造り暫く滞在したそうです 参考;穿邑顕彰碑 丘上に『神武天皇聖蹟 菟田穿邑顕彰碑』が建てられています すぐ北側に牛墓1号墳「105-83」が有ります 円墳・径12m 高4.5m 横穴式石室、盗掘抗 石材は持ち去られていて、馬蹄形に大きく窪んでいる 相当大きな石室だったようです...
View Article天神神社北第3号墳
茶畑の中にある古墳です 撮影日;2012.10.07 遺跡地図の「9A-22」です 須恵器・鉄斧・鉄刀の出土が報告されています 横穴式石室が有ったようですが、墳丘ははっきりしません 一部、石垣のように組まれた石が有りました(葺石?) 古墳名は天神神社北第3号墳となっていますが、南側の丘陵上に鎮座する神社は茗荷町「天満神社」です 境内の石段に石棺材片が有ります...
View Article不退寺裏山古墳
名前の通り、不退寺の裏山にある前方後円墳です 撮影日;2012.10.07 全長は85m(遺跡地図「5B-18」では62mとなっています) 二段構築された後円部の径56m・高さ5m、前方部の最大幅は39m・高さ4.5m 墳丘には埴輪が配列されていたようで、円筒埴輪、ひれ付円筒埴輪、盾形埴輪、家形埴輪などが採取されています また、葺石が施されていたようです...
View Articleウワナベ古墳陪冢い号「5B-17」
写真では分かりづらいですが、とてもきれいな墳形を保っています 撮影日;2012.10.08 全長56mの前方後円墳 前方部が細長いタイプです 築造はウワナベ古墳と同じ5世紀中頃と推定されます ウワナベ古墳には、6基の陪冢がありました その内、大和6号墳「5A-98」(消滅)には、鉄鋌・鉄斧・鎌・刀子・ヤリガンナ・石製の斧と鎌が副葬されていました...
View Article後出古墳群
小規模な円墳約30基で構成される群衆墳です 撮影日;2012.10.07 築造は5世紀後半から6世紀前半が中心で、短期間に集中して作られています いずれの古墳も尾根線上に立地しています 13の古墳で埋葬施設が検出されています 割竹形木棺を墓壙に直接納める、木棺直葬でした 大半がパイロット事業によって消滅しています 1号墳「18B-118」(保存)径15m円墳...
View Article平城坂上陵陪冢
5 平城坂上陵「磐之媛命陵」には10基の陪冢が報告されています 撮影日;2012.10.08 ろ号「5A-73」 径30m円墳 は号「5A-74」 径27m円墳 に号「5A-75」 一辺42m方墳 ほ号「5A-77」 一辺27m方墳 は号とに号の間に径8mほどの古墳状の高まりが有り、頂には石積みされた上に小さな祠が祀られています 自衛隊敷地内に有ったへ・と・ち号は消滅...
View Article新沢千塚第115号墳
とてもきれいな円墳です 撮影日;2012.10.06 径18m・高さ3.5mほどの円墳「14C-156」です 墳頂には円筒埴輪が巡り、家型埴輪が配置されていました 組合せ式の箱型木棺が直葬されていたようで、鎹(かすがい)が出土し、その長さから板厚は10cmあったようです 棺内から、銅鏡2面と鉄刀2本が納められ、頭部まわりにガラス玉1000個あまりがばら撒かれた状態で見つかっています...
View Article新沢千塚第126号墳
ササン朝ペルシャのガラス碗が出土した古墳です 撮影日;2012.10.06 東西22m・南北16mの長方形墳「14C-160」 現在は高さが1.5mほどの扁平な墳丘です 築造は5世紀後半頃のようです 埋葬施設は、墳丘の中央に長さ3.1m、幅63〜52cmのコウヤマキの割竹形木棺が埋められていました 木棺の床面には赤色顔料が遺存していました...
View Article新沢千塚第81号墳
墳群の中では最大規模を誇る前方後方墳です 撮影日;2012.10.06 全長約40m、後方部は東西方向が28m・南北方向が25m、前方部は幅20m・長さ12m高さ2.4m 墳形はきれいに残っていますが、後方部の墳頂は乱掘されていて、形はやや崩れているようです 埋葬施設は、墳頂南辺に木棺が直葬されていたようです 他に埋葬施設があった可能性も有るようです...
View Article新沢千塚第139号墳
新沢千塚古墳群・北群の東端にある方墳です 撮影日;2012.10.06 一辺23mx20m・高さ2mの方墳です (現状は、特に変哲の無い墳丘です) 墳頂部に家型埴輪2個立てられていて、その真下に組合せ式の箱型木棺が勅葬されていたようです 副葬品は、棺内被葬者両側に鉄刀・鉄剣の組合せが一組づつ 脚部には多くの鉄鏃や農工具が置かれていました...
View Article新沢千塚第173号墳
千塚資料館の北側から登っていくと説明板が有ります 撮影日;2012.10.06 尾根上につくられた径14mの円墳です 173号墳「14C-106」には、半肉彫七獣帯鏡が副葬されていました 5世紀中〜後半の目立った例で、前方後円墳クラスの主要古墳の副葬品に匹敵するもので、この古墳群を性格づける特徴となっています 126号墳とほぼ同時期か少し後に築かれたようです...
View Article高算堂
横を流れる沢は小さな滝がいくつも有ります 撮影日;2012.10.15 この辺りを治めていた滝金寺の開祖、高算上人像と木造彩色の蔵王権現が祀られています 堂は大正10年の建立 高算上人は長和3年(1014)の誕生で、承徳2年(1098)入寂の高僧 訪れた人が子宝に恵まれるという話もあり、実際に高算堂を訪れ子供を授かった夫婦が碑を立てたようです...
View Article坂合黒彦皇子墓
坂合黒彦皇子は雄略天皇の兄です 撮影日;2012.10.15 ジヲウ古墳「17C-177」です(城ノ塚古墳とも言われます) 安政年間(1854〜59)に比定され、宮内庁が管理しています *坂合黒彦皇子*...
View Article祈りの滝
役行者ゆかりの地です 撮影日;2012.10.15 修験道の開祖「役行者」が、葛城山へ修行にゆく途中、この滝で身を清め衆生済度の祈りをこめたとの伝承があります 落差は10m弱 以前はもっと水量が有ったそうです (新道が通り、トンネルが掘られたことが影響しているとか?) 滝壺は浅く、水行?様の石が置かれて水しぶきを散らしていました...
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