コヨシ古墳(仮)
胴張り形式の石室で、奈良では珍しい形式です 撮影日;2014.01.25 競馬道4号墳と同一丘陵上にある古墳です 径16mの円墳 (大きな墳丘で20m以上あるように見えます) 南側に石室が開口しています 開口部南側にも石材がいくつか転がっています (羨道部の石材でしょうか?) 玄室の南側上部の石が抜かれて開口しています 玄室内は楕円形(胴張り形式)になっています...
View Article大柳生西山古墳群
11基ほどの小円墳からなる古墳群です 撮影日;2014.01.25 最大の古墳は6号墳(径15mほど)で、片墓と呼ばれています この古墳群の盟主墳でしょう 墳頂部は窪んで、平らになっています まともな形で残っている古墳はほとんどありません 2〜3基で、露出石材が見られる程度でほぼ破壊されています ★所在地;奈良市大柳生町 ★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「大柳生」下車...
View Article競馬道無名墳
競馬道と呼ばれる道の南側に、2基並んで石室が開口しています 撮影日;2014.02.17 径17mの円墳「6B-2」と径14mの円墳「6B-3」です 畑山古墳群に含まれるのかもしれません 「6B-3」は墳丘が明確ではなく「6B-2」の東側斜面に築かれています 双円墳でしょうか?(前方後円墳のようにも見えます) 「6B-2」は南に開口する両袖式の横穴式石室が有ります...
View Article筒井城跡
筒井氏の居城が在った所です 撮影日;2014.02.16 筒井城は土塁を築き、堀をめぐらせた平城です 菅田比売神社を中心に、ほぼ筒井の集落を含んだ範囲が城跡と推定されています 小字に、シロ・ドイ・ヤシキ・堀田などの関係地名が残っています 町内各所に内濠・外濠跡が見られます 「筒井順慶城趾」の石碑は本郭跡の西南隅に立っています(虎口付近)...
View Article高樋古墳
道路脇の斜面に石室が開口していました 撮影日;2014.02.16 遺跡地図の「8B-143」です 水害による崖崩れで見つかった古墳で、山麓の急斜面に横穴式石室が在りました (埋められているのか?見つけられませんでした) 乱石積みの横穴式石室でした 調査時には羨道部は無くなっていて、 玄室の残存長約1.5m・幅1.2mでした 墳丘の規模などは不明 (画像は奈良市史より)...
View Article柴屋町丸山古墳
墳丘は削られてありませんが、田圃の畦が円く残っています 撮影日;2014.02.16 径32mの円墳でした 以前は高さ6mの封土が在ったそうです 内部主体の埋葬施設が、墳頂から6m下の封土下に、厚さ約1m・径25mの範囲を覆う黒色粘土の下に、径58cmの木棺を安置してあったそうです 木棺直葬 遺物;鏡、勾玉、銀釧片、短甲、刀子など 円形の畦の内側は沼のようになっています...
View Articleハマリ塚
八王子塚とも呼ばれるようです 撮影日;2014.02.16 現状は田圃の中に残された10m×15m程の方形土壇です 1m程の高まり 元の墳形は分かりませんが、削られて小さくなっているようです 墳丘上と北側の田んぼの中にも小さな石祠が有ります ★所在地;奈良市北之庄町 ★交通;JR奈良駅より バスで北の庄下車 徒歩7分 ★駐車場;なし ★見学;見学自由 ★問合せ;
View Article倉橋庚申堂・地蔵堂
向かって右が庚申堂、左が地蔵堂です 撮影日;2014.02.20 旧多武峰小学校の登り口に有ります 地蔵石仏は補修されてます 庚申堂の向かい側には、古い庚申待碑 慶長15年(1610)銘の舟形碑と慶長12年銘の板形碑が有ります 両脇に3体の道標地蔵が有ります 寛政5年(1793)の石地蔵(高さ81cm)は、左を指差し「はせ/倉橋村/安兵衛」...
View Article天王山円墳(赤坂天王山古墳群)
僅かに石室が開口しています 撮影日;2014.02.20 径8m程の小円墳です 南西に開口する横穴式石室が在ります 開口部は狭く、入室はできません 現存長で全長は約4m、開口部の幅約60cm、高さ25cmほど (玄室の幅は1m程、土砂が流入していて現高50〜60cm) その西側斜面にも石材が露出した所があります 古墳でしょうか?...
View Article越塚古墳
入り口は狭いですが、立って歩けるほどの大きな石室です 撮影日;2010.01.17 栗原川に向かって西北に伸びる丘陵上に営まれた二段築成の円墳 径約43m・高さ約7mで周濠はなし 内部構造は南西に開口する両袖式の横穴式石室 花崗岩の自然石を利用し持ち送り手法で積み上げています 巨石三段積みの玄室の規模は長さ5.3m、幅2.75m、高さ3.75m...
View Article梶山古墳群
倉橋溜池「倉橋ふれあい公園」に保存されています 撮影日;2014.02.20 (倉橋溜池は昭和21年に粟原川の支流をせき止めて造られました) 梶山古墳群は43基在ったとされますが、多くが水没や破壊されています 1946年に末永雅雄博士の指導で3基だけが調査されています この古墳群はいずれも径8m前後の円墳で、横穴式石室を主体としています...
View Article「12C-48」竜王山古墳群
竜王山古墳群の内、唯一の前方後円墳? 撮影日;2014.02.20 全長約45m 後円部径約23m・前方部幅約21m 立派な両袖式の横穴式石室です 玄室長さ約4m・幅1.8m・高さ約2.3m 羨道長さ約3m・幅約1.1m・高さ約1m 開口部幅約1m・高さ約50cm(いずれも目測) 尾根上のかなり高所に単独で築かれています 県内の古墳の内でも、かなりの難所にある古墳です...
View Article「12C-46」竜王山古墳群
「12C-48」の斜面を北へ下っていくと平坦地があります 撮影日;2014.02.20 6〜7基の円墳が有ります いずれも10〜12m程の小円墳で、横穴式石室が在ってようです 開口しているのは西側の1基のみ「12C-46」です 開口部はかなり狭いです(高さ30cmほど) 羨道部は無くなっているのか、あるいは無袖式か? まだ雪が残っていて墳丘はカマクラ状態でした...
View Article競馬道5・6・7号墳
残念ながら、石室が開口している古墳は有りません 撮影日;2014.02.23 競馬道では無く、旧狭川村に通じる道の北側の丘陵上に有ります 競馬道4号墳の北側の丘陵上です 5号墳と6号墳は径10mほどの小円墳です 石材が露出しており横穴式石室墳と思われます 石室はいずれも破壊されています 他にも、古墳のような箇所がいくつか有ります...
View Article南明寺の宝篋印塔
鎌倉後期の造立だと考えられています 撮影日;2014.02.23 本堂(国宝)の西に立っています 九輪の上部を欠損しています 塔身に金剛界四仏の種子を薬研彫りしてあります 室町時代の十三重石塔も立っています こちらも相輪上部が欠損しています ★所在地;奈良市阪原町1005 ★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「阪原」下車 徒歩3分 ★駐車場;無し ★入場料;境内無料...
View Articleお藤の井戸
今も水を湛えています 撮影日;2014.02.23 柳生但馬守とお藤さんの馴れ初めの井戸とされています ある日、近くに住むお藤は、いつものようにせっせと洗濯をしておりました。 そこへたまたま、柳生の城主であった、但馬守宗矩がこの井戸の付近を通りかかりました。 但馬様はふと、お藤に「桶の中の波はいくつあるか」という問いを投げかけました。...
View Article天井山11号墳
堂上塚とも呼ばれていたようです 撮影日;2014.02.23 青少年野外活動センターの南に続く尾根上に5基の古墳が並んでいます 古墳脇には東海自然歩道が通っています 5基の古墳「6B-40〜44」は、いずれも径15〜20m程の円墳です 北側が天井山9号墳で、一番南側が11号墳です (何故か、そのうち2基には古墳名が有りません) 東福寺の裏山に辺ります 径20mほどの円墳です...
View Article大柳生畑山無名墳
競馬道を進んで行った、道のすぐ北側に在る古墳です 撮影日;2014.02.23 遺跡地図の「6B-64」です 競馬道1号墳から500mほどです 径15mほどの円墳でしょうか?(墳形不明) 全く期待せずに墳丘に登ってみたのですが、墳頂近くにわずかに開口していました 開口口は10×30cmほどしか有りません カメラを突っ込んで、撮って見ると石室が残ってました 石室の規模は不明...
View Article樋崎古墳群
中宮寺宮墓地の有る丘陵上に在る古墳群です 撮影日;2014.03.16 いずれも径10m前後の円墳 埋葬施設など不明 7基ほどの群集墳(元はもっと在ったと思われます) 中宮寺宮墓地は、歴代門跡の女王墓群です 同兆域内に六墓一塔が治定されています...
View Article瓦塚古墳群
前方後円墳2基と円墳1基からなる古墳群です 撮影日;2014.03.16 瓦塚1号墳は北端にある前方後円墳です 全長約97m、後円部径約60m・前方部幅約47m 昭和50年度に範囲確認の発掘調査が実施されました 二段の埴輪列、家形埴輪や鳥形埴輪などの形象埴輪が出土しています 埋葬施設については未調査ですが、竪穴式石室か粘土槨と考えられています 築造は5世紀前半...
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