銭司遺跡
「鋳銭之遺跡」と記された石碑が建てられています 撮影日;2014.09.20 奈良時代、鋳銭司(すぜんず)と呼ばれる官職が設けられ国家朝廷による鋳造を担っていました 銭司の地名はこの官名に由来するものです 「恭仁京」の古瓦と同一の瓦も出土しており、「恭仁京の造営」と共に鋳銭司が置かれ鋳銭が行われたと推定されています 銭司には鋳銭遺跡が有ります...
View Article恭仁宮跡の恭仁小学校
木造校舎で知られます 撮影日;2014.09.20 明治6年(1873)の創立 現在の校舎は木造一部2階建てで、昭和9年の室戸台風で校舎倒壊 昭和36年に地域住民の支援で建て直されました 住民が木材提供や金銭支援に加え、建築などにも携わりました 当時の落成記念冊子には、校舎の再建は「村学一致」と表現されています...
View Article飛鳥路
笠置町のどの地域とも異なる、独特の雰囲気が有ります 撮影日;2014.09.20 国道163号線、笠置トンネルの東1.5kmほど先に木津川を渡る橋が有ります この橋は雨が降れば水没します ゆえに、潜没橋と呼ばれます その橋の向こうに広がるのが、飛鳥路です のどかな田園風景が広がります JR笠置駅方面へ歩いていける東海自然歩道も有ります 布目川には甌穴群が見れます...
View Article布目川の甌穴群
見事なポットホールを観察することができます 撮影日;2014.09.20 布目川最下流部の木津川合流点付近では、河床に露出する花崗岩の岩盤上に、大小様々なポットホールが分布しています 布目川甌穴群として親しまれている 円筒形をした美しい代表的な甌穴は河底のくぼみに、うずまき流が生じ中に落ち込んだ小石が回転しながら河床を深く削って出来たものです...
View Article柳生古城跡
主郭には休憩小屋もあって遊歩道が整備されています 撮影日;2014.09.20 柳生城の北600mの山上に在ります 「柳生氏の番城」つまり柳生城の出城、あるいは古市氏による笠置ルートの繋ぎ城の二説が有るようです 鉤形の空堀が見所です 主郭に「劔塚」という石塔が立っています(詳細不明) 古城山は標高305m(比高65m)...
View Article念誦崛不動尊
この不動尊は2mほどの岩に陽刻されています 撮影日;2014.09.28 左側に「延文三年戊戌(1358)正月 宣快」と陰刻されています 紀年銘のある石仏としては大和では古いものです 宣快は作者名と思われます 念誦崛(ねずき)というのは地名で、談山神社から徒歩20分くらいの所です 標柱から150mほど谷を下って行くと有ります この不動尊は、ある人の夢枕に立って...
View Article増賀上人の墓
石段を150段登った、高所に築かれています 撮影日;2014.09.28 二段石積みの円墳です 下段は径4m・高さ1.1m、上段径2.3m・高さ77cm 墳上に五輪塔が立っていました(現在は地輪だけ残っています) 南面に「上人長保五年(1003) 六月九日」、西面に「慶長七年(1602)十一月九日」と有ります...
View Article滝畑の滝
志賀川にかかる美しい滝です 撮影日;2014.09.28 総落差15mほどの滝 落ち口からまっすぐ落ちてきて、さらに斜めに滑り落ちてきます 浅めの滝壺から、小滝が続きます カーブミラーの近くに小さな赤い橋がかかっています 渡って少し下流へ行くと 滝畑の滝が有ります また、下流200mほどの所からも川へ降りられます 滝前は瓦礫でいっぱいです ★所在地;吉野郡吉野町滝畑...
View Article滝畑の夫婦滝
滝畑不動尊横の谷にある滝です 撮影日;2014.09.28 昼間でも薄暗く、幽玄な雰囲気の滝です 落差は7~8mほど 大きな岩の両側から流れ落ちています 左側の方は勢いの有る斜爆 右側は一筋の直爆 滝畑の滝の上流200mほどの所に有ります 滝前に行くのは少し勇気が要ります 岩が滑りやすいので、川に落ちないように・・・ ★所在地;吉野郡吉野町滝畑 ★交通;近鉄大和上市駅より...
View Article蟷螂の岩屋・蝙蝠の岩屋
役行者ゆかりの行場です 撮影日;2014.10.04 蟷螂(とうろう)とはカマキリのことです 天井が低くトンネル状の洞内は、頭を上げるとすぐにぶつけてしまい、「出る杭は打たれる」の教え修行の場として現在でも多くの修行者が訪れています また、腰をかがめて修験の行者が洞に入っていく姿が、カマキリの歩く姿に似ていることからこの名が付けられたと言われています...
View Articleみたらい渓谷
紅葉の名所です 撮影日;2014.10.04 身頃は10月下旬~11月中旬 みたらいの名は、南朝の帝がミソギをしたと(御手洗)いう伝説が元になっていると云われます 大峯山より流れ出る山上川の最下流部は両側の山が迫って峡谷となっています みたらい渓谷は山上川が川迫川(こおせがわ)に合流する場所に出来ており、特に狭まった山の裾の大岩壁を大小の滝が流れ落ちる自然の一大傑作です...
View Article小路・行者の滝
普段は水量は少なく、打たせの滝となっています 撮影日;2014.10.04 知行の滝とも呼ばれるようです 総落差、15mほど この滝は、義経馬洗いの滝と伝承されています 義経馬洗いの滝は、吉野の高滝「象の小川」が知られます ★所在地;吉野郡下市町小路 ★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩75分 ★駐車場;なし ★見学; 自由 ★問合せ;
View Article天ヶ滝
金剛山の登山道にある滝です 撮影日;2014.10.11 2段、約17mの段瀑 上段は5m程で緑に覆われています 下段は少なめの水量で、少し広がりながら流れ落ちています 滝壷はありません 水量は多くありませんが、きつい登山道を登って来て心が休まる滝です 天ヶ滝新道の登山口より約20分で滝への分岐です そこから100mほど谷へ下ります ★所在地;五條市小和町・御所市鴨神...
View Article五條文化博物館
愛称は『ごじょうばうむ』です 撮影日;2014.10.11 建物は、空から見るとバウムクーヘンの形になっているそうです 安藤忠雄氏の設計です 3階が入口・受付になっています(エレベーター有り) フロアは、栄山寺の八角堂内陣装飾をイメージ 2階は、五條文化の通史にそって、時代区分がされています...
View Article新庄城址
屋敷山古墳を利用した城郭です 撮影日;2014.10.11 中世~近世初めにこの地を支配した布施氏が居館として利用 江戸時代の初めに桑山氏が陣屋を築き、周辺に屋敷を構えました 城郭としての遺構は、ほとんど残っていません ≪屋敷山古墳前石碑文面≫ 慶長六年(一六○一年)桑山修理太夫一晴公 布施郷に入部 この屋敷山に築城し四代八十余年間藩政を施く 天和二年(一六八二年)永井能登守直圓公入部...
View Article二見城址
妙住寺一帯が城址です 撮影日;2014.10.11 東側には吉野川が流れ、自然の防御線となっていました 築城年代は定かでは有りませんが、二見氏によって築かれたと伝わります 松倉重政が慶長13年(1608)に1万石で入部、二見氏の旧城址を拡張整備し城下町を開きました 吉野川に面した平地で、妙住寺に本丸、南に二の丸を配し、西に外郭が築かれていました...
View Article太平記元弘の乱のジオラマ
笠置駅前に有ります 撮影日;2014.09.20 鎌倉時代後期の元弘元年(1331)9月に山城国相楽郡笠置山において、鎌倉幕府打倒を企てる後醍醐天皇側と、鎌倉幕府側との間で行われた戦いを再現したジオラマです 弓で戦う武将は足助重範 巨岩を敵に投げつけようとしているのは般若寺の僧本性房 太平記元弘の乱 笠置合戦...
View Article大台ヶ原
山上に広大な台地が広がっています 撮影日;2014.10.18 三重県との県境には日出ヶ岳(標高1,695m)が有ります 最高点の一等三角点は基準点名が「大台ヶ原山」ですが、国土地理院による地図には日出ヶ岳(ひでがだけ)と表記されます 展望台からは大峯連山、台高山系、熊野灘を望むことができます 日の出の鑑賞ポイントであり、晴れた日の早朝には富士山が見えることもあります...
View Article中の滝
圧倒的なスケールの滝です 撮影日;2014.10.18 近くまで行くことは困難ですが、東大台「大蛇」から雄姿を見ることができます (廃道になっていますが、シオカラ谷から滝見尾根の展望所までは道が有るようです) 東ノ川上流、落差は約250m 「日本の滝100選」にも選ばれています 西日本一の落差を誇る滝です 左に「西の滝」も遠望出来ます 西の滝は落差150m...
View Article大迫貯水池脇の無名滝
大迫ダムから入之波へ向う道沿いに落ちています 撮影日;2014.10.18 二段の段瀑、高さはおよそ10m 上段には取水菅が見えています さらに上にも滝が有りそうですが見えません 脇に新しいアルミの階段が付けられています 少しダム寄りにも古い鉄の階段梯子が架けられています 上に何か有るのでしょうね ★所在地;吉野郡川上村大迫 ★交通;車で、国道169号線で大迫ダムへ...
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