芳山二面石仏
不整形方形の自然石の二面に石仏が刻まれています 撮影日;2012.02.19 軟質花崗岩を利用し、南面と西面の二面に、二重円光背を彫りくぼめ蓮華座上に立つ如来像が厚肉彫りされています (高さ184cmの自然石、南面像高128cm・西面像高130cm) 奈良時代後期の作です 多少風化していますが、保存は非常に良いです...
View Articleこうぜ古墳
二つの石室が隣接して開口しています 撮影日;2012.03.03 尾根の先端に直行して築かれている全長約50mの前方後円墳です 後円部に西石室が開口 (西石室は、元は秋殿東古墳と呼ばれ径30m程の円墳と考えられていました) 両袖式の横穴式石室です(全長10.9m) 玄室長5.4m・幅2.6〜2.9m・高さ2.6m、羨道長5.5m・幅1.2mほど・高さ50cm...
View Article下り尾四ツ辻古墳(仮)
正式な古墳名は無いようですが、棚田の畦に有る古墳です 撮影日;2012.03.03 南側の「15C-70」は径10m以上の円墳だったようです 現状は径5mほどで、ミカンの木が2本植わっています 南側に横穴式石室が開口しています 開口部は高さ50cmほど有りますが、石室内には水が溜まっていて中には入れません かなり大きな石材が使われています...
View Article百塚古墳とザクロ塚古墳
崇神天皇陵の陪冢として管理されています 撮影日;2012.02.18 百塚古墳 遺跡地図の「11D-32」 行燈山古墳「崇神天皇陵」の前方部の南200mのところに有ります 径約20mの円墳 ★所在地;天理市柳本町 ★交通;JR「柳本」駅下車 徒歩20分 ★駐車場;「崇神天皇陵」のP利用可 ★入場料;外観のみ見学可 ★問合せ; ザクロ塚古墳「11D-525」...
View Articleヒジリ古墳
田圃の中の小型の前方後円墳です 撮影日;2012.03.25 墳丘の上部は削平され、梅の木が植えられています 全長約45m、後円部径約28m、前方部幅約20mの前方後円墳です 遺跡地図の「11A-54」 周濠跡も確認できています 外周施設をふくめた兆域の全長が80mになることが知られています 円筒埴輪などが採取されており、墳丘には埴輪の配列がなされていました...
View Article空路宮山古墳
『くろくやまこふん』と読みます 撮影日;2012.03.25 環濠集落として知られる萱生町の菅原神社の拝殿の後ろが古墳の後円部です 別名「堂の山」とも呼ばれています 復元長約100mの前方部を西に向ける前方後円墳です 現状は25mほどの円墳状です(かなり削られています) 埋葬施設は横穴式石室となっていますが、石材などは見られません 神社の境内隅に古墳供養塔が建てられています...
View Article二ノ瀬池古墳
とても眺めの良い場所に築かれています 撮影日;2012.03.25 二ノ瀬池の北畔にある全長約44m、後円部高さ3m・前方部高さ3mの前方後円墳です 前方部を北方向に向けています 遺跡地図の「11B-182」 大和古墳群に属する古墳です 築造時期は不明です 池の南西側に古池塚古墳が有ります(墳丘は確認できませんでした)...
View Article纏向日代宮跡
大和盆地が一望できる場所です 撮影日;2012.03.25 =案内板= 紀元730年、第12代景行天皇・大足彦忍代別命(オオタラシヒコヲシロワケ)が即位後この地に宮を設け、大和朝廷による全国統一を進められた。 その立役者は、皇后の播磨稲日太郎姫(ハリマノイナヒヲイラツメ)との間に生まれた日本武尊である。...
View Article箸中稲荷山古墳
墳丘上に豊慶大神の祠があります 撮影日;2012.03.25 調査されていないので詳細不明です 箸墓古墳「大市墓」が近くにあり、陪塚の可能性もあるようです 径15mほど・高さ3mほどの円墳状です 遺跡地図の「11D-511」 ★所在地;桜井市芝 ★交通;JR巻向駅下車 徒歩15分 ★駐車場;なし ★入場料;見学自由 ★問合せ; すぐ南に慶田寺が有ります
View Article双築古墳
2003年に発掘調査された4世紀頃の古墳です 撮影日;2012.03.25 双築(みなつき)1号墳「14D-256」は、径30m程の円墳だったようです 墳丘はかなり崩落しており、現状は径20m程の円丘状を呈しています 墓壙は南北方向に長さ7m・幅2.4mで、2段に掘り込まれていました 刳抜式の木棺(長さ4.5m・幅60cm)が確認されています...
View Article安倍山城跡
小規模な曲輪跡が残っています 撮影日;2012.03.25 現在は「桜井公園」となっています 暦応4年(1341)、北朝方の細川顕氏が陣を構えた所です 南朝方の戒重西阿の戒重城攻めを行ったそうです 永禄8年(1565)には、松永久秀もここで布陣し、鳥見山城(外山)の筒井順慶と戦いました すぐ南側に、芸能発祥の地「土舞台」が有ります ★所在地;桜井市谷字大谷 ★交通;近鉄・JR桜井駅下車...
View Article立子塚古墳
横穴式石室が開口しています 撮影日;2012.03.25 渋谷向山古墳「景行天皇陵」の後円部から東へ200m程の所に有ります 径20m・高さ4mの円墳です 埋葬施設は両袖型横穴式石室です 墳丘南側が大きく窪んでいて、朽ちた竹で覆われています その奥に小さな開口部が有ります 羨道部残っていません 玄室は長さ4.8m・幅2.1m・高さ2.5m...
View Article櫟本マンジュウ塚古墳
饅頭というより、ご飯のてんこ盛りを想像させる形様です 撮影日;2012.03.25 和爾下神社 「上治道社」(和爾下神社古墳)の200m北、田んぼの中に有ります 墳丘は、画像のように草木が密集しています 径15mほどの円墳です 遺跡地図の「8D-9」 発掘調査はされていないようなので、築造時期も不明です 東大寺山古墳群に属し、被葬者は古代の豪族「和邇氏」でしょうか...
View Article飯降薬師の魔崖仏
焼け爛れ、見ることは出来ません 撮影日;2012.04.06 石英安山岩の岩壁に彫られた魔崖仏です 覆堂が建てられ、正面の磨崖石仏には紫紺の幕が掛けられています 往古、弘法大師が開基した大きな寺院があったと伝わります 口伝によると、いつの頃かこの寺院は七日七夜燃続け、石仏焼けてしまったそうです...
View Article青葉の滝
大きな滝では有りませんが、とても清涼感が有ります 撮影日;2012.04.06 落差は6mほど 水量もそれほど多くありませんが、玄武岩?の柱状や板状節理の見られる岩肌を流れ落ちていきます 滝の左側には不動明王の祠が有ります その上に魔崖仏が彫りこまれています ★所在地;宇陀市室生三本松長瀬 ★交通;近鉄三本松駅下車 徒歩20分 ★駐車場;有ります(無料) ★入場料;タダです...
View Article佐々木塚古墳「11A-15」
駅西側の公園に墳丘が保存されています 撮影日;2012.04.06 径約40mの円墳です 現況は一辺30m・高さ1.5mで方墳状を呈しています 墳丘は削平されています 埋葬施設は確認されていません 1987年に発掘調査が行われ、周溝内から墳丘上ないし外堤から転落したと思われる埴輪片が多数発見された他、須恵器・滑石製紡錘車・有孔円板等も出土しています...
View Article高塚古墳「8C-68」
聖徳太子がかわいがった鷹を埋めた塚との伝承が有ります 撮影日;2012.04.06 高さ1.5m程度の土壇ですが、もとは古墳だったようです 墳形も分からなくなっています 古墳の石材か?と思われるような石がいくつか転がっています 斑鳩周辺の古墳は高塚と呼ばれてきたようです (古墳の形からと思われます)これもその一つでしょうか 『墳丘前説明版』...
View Article飽波神社の聖徳太子腰掛け石
太子所縁の地です 撮影日;2012.04.06 境内の北側に、長さ約120cm・高さ40cm程の石が横たわっています 聖徳太子が愛馬の黒駒とともに休んだという伝承のある腰掛け石です 飽波神社は太子道(筋違道)沿いに有ります 推古天皇の13年(605)聖徳太子が斑鳩宮に移り住まれ、それ以降飛鳥小墾田宮(あすかおはりだのみや)に通われた道だとされています...
View Article旧六十八銀行八木支店
県南部の現存する最古の鉄筋コンクリート造の1つです 撮影日;2012.04.08 平成18年度に登録;旧六十八銀行八木支店(旧和歌山銀行橿原支店) 現在はウエディングレストランとして活用されています「La BANK」 近代建築の優美さと重厚なたたずまいで、道行く人々の目を止めます 昭和3年竣工、設計は元奈良県技師・舟橋俊一氏です 国道165号線沿いに建っています...
View Article八木接待場の太神宮灯籠
今の場所から東へ200mの「接待場(センタイバ)」と伝承される場所に有った石灯籠です 撮影日;2012.04.08 高さ2.28mで、明和8年(1771)の銘が有ります 本来の方位から45度傾いているそうです 現在、横大路に面した住宅の間に接待場跡が残っています 以前はこの接待場跡におかげ灯籠と金比羅灯籠の二基の常夜灯が有りました...
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