役小角たらいの森伝承地碑
役小角の産湯に使った盥を埋めた場所だそうです 撮影日;2012.02.05 小さな土壇に石碑が建っています 土地の人はこれを『たらいの森』と称し、霊蹟としてあがめています 近くに『杓の森』も有るそうです 村の西入り口(公民館の辺りか?)に老ナツメの木が生えている土壇があるそうです 役行者誕生の時に産湯を汲んだ木杓(しゃく)を埋めた所と伝わります...
View Article寺口忍海E-2号墳
寺口忍海古墳群の一つです 撮影日;2012.02.05 遺跡地図の「13D-501」だと思います 径14.5×13m・高さ5mの円墳です 南側に片袖式横穴式石室が開口しています (屈まなくても入れます、背の高い石室です) 遺物:須恵、刀子、鉄鏃、馬具、鋤先、紡錘車 葛城市営霊園内には多くの古墳が有りましたが、ほとんどが破壊されています...
View Article山口千塚11号墳
山口千塚古墳群の一つです 撮影日;2012.02.05 11号墳(遺跡地図の「13C-125」)は径約10mの円墳です 墳丘はほとんどありませんが、南側に横穴式石室が開口しています 開口部はかなり狭く、30cmほどしか有りません かなり背の高い石室です すぐ西側の斜面に「13C-346」の石室石材が見えますが、埋まっています...
View Article鬼ヶ城古墳
田圃の畦に石材が露出しています 撮影日;2012.02.12 遺跡地図の「16B-203」です 開墾されて?墳丘は全く有りません 小屋の裏に天井石?の一部が見えています 横穴式石室が有ったようです 名前が気になって行ってみましたが、名前の由来も不明 河内へ通じる水越峠越え街道に近く、鬼がひそんでいたのでしょうか?...
View Article山口千塚4・5号墳
ダムの北東側の森の中に、3つの背の高い円墳があります 撮影日;2012.02.12 いずれもとても広い(背の高い)石室を有しています 6号墳「13C-120」(いちばん東側) 径18m・高さ6mほどの円墳 南側に開口する横穴式石室が有るようですが、土砂と落ち葉で分からず 外護列石が有ったようです 5号墳「13C-119」 径14m・高さ6mほどの円墳です...
View Article山口千塚8・9号墳
4・5号墳の南側の斜面に開口しています 撮影日;2012.02.12 7号墳「13C-121」 墳丘は残っていますが、南側は崩落しています 南面(ダム側)の斜面に石材が数個露出しているのみ 8号墳「13C-122」 7号墳のすぐ東側にあり、2号墳同様に南面は崩落していますが、大きく石室が開口しています(一番入りやすいです) 10mの円墳ですが墳丘は上からは分かりづらいです...
View Article石川古城古墳群
古くは城が有ったのでしょうか? 撮影日;2012.02.12 1号墳「16B-63」は小型の前方後円墳です 全長28m、前方部幅13.5m・高2m、後円部径15.5m 横穴式石室が有ったようです 遺物;埴輪、須恵器 築造は古墳時代の後期 石材が散乱している箇所が1箇所有り 「16B-61」(径18mの円墳)か? 盗掘抗と思われる場所もいくつか見受けられます...
View Article猿目の櫛羅経塚
葛城第23号経塚です 撮影日;2012.02.12 金剛山中を中心に、法華経塚が有ります 役行者が「法華経」一部八巻二十八品を書写させ、品(ほん)毎に葛城の秘所に奉納したという塚です (品とは仏典の中の、章節にあたるものをいいます) 塚の上には五輪塔が建てれれており、傍らには天文19年(1550)の五輪塔地輪部と、同時代の石仏が有ります...
View Article樋口古墳「伏見八幡神社古墳」
正式な古墳名かは? 撮影日;2012.02.12 伏見八幡神社の境内裏に3基の円墳が古墳群を形成しています(もっとあるかも知れません) 発掘調査はされていないようです(詳細不明) 「16C-7」径10mほどの円墳 境内の北西側、末社の「弁天社」が墳頂に祀られています 祠の右横に石室が露出しています 開口部(羨道)は崩落しているようです(ほぼ南に開口)...
View Article良福寺阿弥陀橋石棺
かつては阿弥陀橋に利用されていました 撮影日;2012.02.12 直立する蓋石は、割られて当初の4分の1を残すのみです 縄掛突起部を阿弥陀如来の頭部にみたてて祀られています 全長146cm・幅65cm 西側の蓋石は、元の阿弥陀橋に利用されていたもので、縦に半裁されています 全長320cm・幅60cm 東側の板状石材は、竪穴式石室の天井石の一部と考えられています...
View Article的場池10号墳
當麻総合体育館の敷地に移築保存されています 撮影日;2012.02.12 石室長1mほどしかありません(火葬にされてからの埋葬でしょうか) 10号墳は7号墳(10mの円墳)の南に接するように築かれた小規模な方墳だったようです 7世紀の終末期古墳と思われます 遺物;須恵器、土師器、刀子 的場池古墳群は竹内集落の南側の尾根に連なる11基の古墳群です いずれ直径10m前後の小円墳です...
View Article龍王山古墳群
我が国最大級の群集墳です 撮影日;2012.02.18 円墳と横穴墓が各300基以上(合わせて600基以上)と言われていますが、正確な数は不明です 龍王山の西斜面に分布し、19群に分けられています 他の群集墳に比べ横穴墓が多いのが特徴です 古墳は全長10m前後の小規模な円墳がほとんどです 主な副葬品は、環頭太刀の柄頭・玉類・耳環・馬具・農工具・土器類等...
View Article中山観音堂阿弥陀石棺仏
古墳の石棺材に彫り窪めた仏像です 撮影日;2012.02.18 鎌倉時代の作と思われます 高さ89cm・幅42cmの石棺材に舟型を彫りくぼめ、薄肉彫りの蓮華座に坐しています 像高31cmの定印阿弥陀像が半肉彫りされています 穏やかで端正なお顔です 現在は、観音堂脇を通る「山辺の道」に小石仏が集められています そのほぼ中央に置かれています...
View Article不動の滝「宝輝院」
行場として使われているようです 撮影日;2012.02.18 龍王山登山道「崇神ルート」に有る落差4mほどの滝です 不動の滝と名付けられていますが、龍神(石の祠?)が祀られているそうです 行場として使用する為に樋が付けられています 石の祠の横の覆い屋内に、線刻の有る岩が祀られています(これが不動明王か?) 滝の手前に「吉高大神」の神額がかかる鳥居が有ります(訪問時は倒れていました)...
View Article光蓮寺跡の石棺仏
旧光蓮寺の石仏群の中に有ります 撮影日;2012.02.18 鎌倉中期の建治2年(1276)の刻銘が有ります 高さ113cm・幅49cm・厚さ26cm 古墳の石棺材に舟形光背を深く彫りくぼめ、その中に来迎阿弥陀立像を厚肉彫りしています 面長・細身で、技巧的な個性の強い阿弥陀石仏です 古いた家屋が残る細い路地を入った所に光蓮寺跡が有ります...
View Article競馬道2号墳
競馬道1号墳の北西側の丘陵上に有ります 撮影日;2012.02.19 径15mの円墳です 南側に開口する横穴式石室は、玄室はほぼ埋まっています 羨道部長2mほど、開口部の高さは1m弱 遺跡地図の「6B-6」です 倒木が多く、開口部が見えづらいですが、ひたすら丘陵を登っていくと見つけられます まわりにもいくつか高まりが有り、石材も散乱しています ★所在地;奈良市大柳生町バクケ...
View Articleゴヨシ古墳
墳頂近くが陥没して石室が見えています 撮影日;2012.02.19 径18mのきれいな墳形の円墳です 開口部は埋まっていますが、一部石材が露出しています 天井石は無くなっているようです(落ち込んで埋まっているのかも?) 側壁と奥壁部分が残存しています 小ぶりな石材を丁寧に積み上げています 玄室の幅1m、玄室残存長2mほどです ★所在地;奈良市大柳生町ゴヨシ ★交通;近鉄奈良駅より...
View Article天井山1号墳
墳丘上に忠魂碑が建てられています 撮影日;2012.02.19 元は、径13mほどの円墳だったようです 遺跡地図の「6B-32」です 古墳時代中期の古墳で、鏡・勾玉・管玉・鉄刀・鉄剣などの遺物が報告されています 現状は一辺20m近い方墳のように整備されています 碑の廻りには古墳の石材と思われる石が多数有ります 少し南の田圃の中に森本古墳「6B-123」が有りました...
View Article天井山2号墳
「オクノガワ塚穴古墳」とも呼ばれます 撮影日;2012.02.19 天井山古墳群は、奈良市青少年野外活動センター周辺に分布する古墳時代後期の古墳群です 現状13基が確認され、2号墳は唯一石室が開口しています 天井山2号墳は径16.5mの円墳です 南側に右片袖式の横穴式石室が開口しています 玄室長約3m・高さ約2m・幅約2m 羨道は長さ2mほどです...
View Article石切峠の茶屋
江戸時代から営業している峠の茶屋です 撮影日;2012.02.19 創業は180年以上前だそうです かつて柳生街道を往来した人々が必ずここで一服したと言われます 鴨居には、武芸者が酒代がわりに置いていったという槍や鉄砲が立てかけてあります 神道無念流の極意書や鉄扇なども伝えられているそうです (昔の武芸者が飲み代のカタに置いて行った物?)...
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