粟原森貝2号墳
深い山の中に築かれている古墳です 撮影日;2013.11.30 直径10m・高さ2mの円墳 石室全長4m・幅1mほどの無袖式の横穴式石室が開口しています 土砂がかなり流入しており高さ不明(現状は高さ70cmほど) 遺跡地図では「15A-161」が2号墳になっていますが「15A-160」の場所に有ります 3号墳「15A-162」の東およそ100mほどの所です...
View Article和の鐘
王寺町のシンボルです 撮影日;2013.11.16 平成元年にふるさと創生事業として、現在の「和の鐘(やわらぎのかね)」が建設された 昭和40年には『わたくしたちは「和の鐘」がなる王寺の町民です。』と町民憲章に 昭和49年には『やわらぎの鐘われらの王寺』と町歌にも謳われるようになりました 王寺町は聖徳太子とゆかりの深い土地です...
View Article上牧庚申塚
昔は各集落に立てられていたそうです 撮影日;2013.11.16 五軒屋を少し離れた一本道沿い、こんもりとした大木に守られるように青面金剛を祀った庚申塚が立っています かつては、延命長寿を願い夜を徹して語り明かす、庚申講が行われていました 現在、村内では唯一この塚が残るだけです 300mほど北東の五軒屋集落から川沿いへ下りて来たところに 『雨乞い地蔵』が祀られています...
View Article朝日寺跡の石造群
室町後期から江戸時代にかけての石造群です 撮影日;2013.11.30 かつて、朝日山円通寺と言う有名な寺が在りました 上街道の曲がり角にあり、通称「朝日寺」と呼ばれ、旅人の憩いの場となっていたそうです 「ここは権現藤の棚、朝日にかがやくどじょう汁」と歌われ、どじょう汁を売る店も有ったそうです 明治8年に廃寺となりましたが、本尊の木造観音菩薩立像は、後に平屋の堂を建てて安置されています...
View Article石上神宮の柿本人麿の歌碑
石上神宮鳥居の左手に立っています 撮影日;2013.11.30 未通女等(おとめら)が 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久(ひさ)しき時(とき)ゆ思(おも)ひき吾(われ)は (万葉集 巻4-501) ≪碑文の意味≫ 少女が袖振るという布留の山野、神垣がずいぶん年を経ているように、あなたを長い間、恋慕っておりましたよ、わたしは...
View Article旧都跡村役場
最小規模の庁舎と議事堂が、ほぼ当初のままセットで残っている点で、貴重な存在」 撮影日;2013.11.17 生駒郡都跡村の役場として、昭和8年に建てられています 築、約80年です(文化財の登録は受けていません) 建物は2棟有ります 現在、庁舎が都跡公民館尼辻分館、議事堂が市都跡連絡所として使われています 庁舎・議事堂ともに木造平屋建てですが、意匠は少し異なります...
View Article二条辻地蔵堂
鎌倉時代後期のすぐれた地蔵石仏が安置されています 撮影日;2013.11.17 交差点の中に、島のように取り残された地蔵堂と弘法井戸が在ります 歓喜寺地蔵尊の名で呼ばれています 高さ190cmの舟形光背を背負う像高140cmの地蔵石仏 鎌倉期の特徴を良くあらわした蓮華座の上に立っています 西側の堂には弘法井戸が有り、三つ板碑が並んでいます...
View Articleのど地蔵
茶畑の脇に立つ弥勒菩薩石像です 撮影日;2013.11.23 この地方の小字「野堂」から「のど地蔵」と呼ばれています 像高107cmの如来像を高肉彫りして有ります 約160cmの二重光背の側面に「當来導師弥勒仏建長七年(1255)」の銘が有ります 優れた衣文の表現などから、伊派の石工の手に依るものだとされています 月ヶ瀬村指定の文化財です ★所在地;奈良市月ヶ瀬桃香野小字野堂...
View Articleマル塚古墳(馬取柿)
特に特徴ある古墳では有りませんが、山の中の古墳としては見つけやすい古墳です 撮影日;2013.12.07 径5mほどの円墳「15C-115」です 現状高さ1.5mほど 墳丘には径2m・深さ1mほどの盗掘坑があります 落ち葉が積もっていてよく分かりませんが、竪穴式石室だったでしょうか 昭和の初め頃に土器が出土しているそうです 築造年代も不明です...
View Article芝生古墳
石室の前後2ヶ所が開口しています 撮影日;2013.12.07 斜面を利用した典型的な古墳です 径10mほどの円墳「15C-124」です 石室はほぼ西に開口しています 横穴式石室は花崗岩の自然石を乱石積にしています 長さ3.3m・高さ2.13m・幅1.43m 羨道部は一部破壊されていますが、長さ3.9m 幅1mほどの細長い石室です かろうじて片袖式です...
View Article栖光寺跡の大五輪塔
完存していれば、奈良で最も大きな五輪塔だったでしょう 撮影日;2013.12.07 イチョウ谷と呼ばれる地にある六柱神社近くの栖光寺跡に転がっています 空輪、水輪、火輪が並んでいます 風輪と地輪は埋まっているのか?持ち出されているのか? 組み上げれば4.5m程になるそうです 南北朝時代の物と思われます 六孫王の墓との伝承があるようです...
View Article有井弘法井戸
屋形を設けて保存されています 撮影日;2013.12.08 屋形内に石造枡形の井筒が残されています 木製の蓋がしてあるので、中は見えません 清水井戸弘法大師御詠歌 「ありがたや清きわき出しかぢの水こうぼうだいしはあらたなりけり」 弘法大師の有り難い井戸があるということで、この地(むら)を有井と呼ぶようになったようです 井戸の西方に「道場」という小字が有るそうです...
View Article佐田1号墳
束明神古墳の南東200mの所にあった古墳です 撮影日;2013.12.08 1号墳「17A-298」の墳丘は、径12m・高さ2.5mの円墳だと考えられています 調査時点で基底部以外はほぼ消滅していました 埋葬施設は、長さ2.8m・幅1.7mの玄室を持ち、幅0.9mの短い羨道がつく右片袖式の横穴式石室だったようです...
View Article六反田池公園の浮御堂「鐘楼」
六反田池の中島に鐘楼が建っています 撮影日;2013.12.08 昭和5年1月に、当時の大日本紡績株式会社福島工場(現ユニチカ)に創建されました 昭和11年9月にユニチカ高田工場に移築された物です 昭和52年の工場閉鎖にともない寄贈され、本郷の馬齢池に移されました 平成6年8月に文化会館さざんかホールの建設にともない、現在の六反田池公園の浮御堂に移ってきました...
View Article椿尾下城古墳(仮)
昔から古墳の石室と言われている穴です 撮影日;2013.12.14 椿尾下城の本郭南側に長さ3m程の盗掘坑のような穴が有ります 径5m程の円墳でしょうか 遺跡地図の「9A-15」です 穴の北側に奥壁部分と思われる石材が残っています 幅1.2m・高さ0.8m程の楕円形の石材と天井石一枚 両側に数個の石が積まれています 南に開口する横穴式石室でしょうか?かなり小型の石室です...
View Article内馬場古墳群
内山永久寺跡の南東にある尾根上に並んでいます 撮影日;2013.12.14 60基以上の群集墳「11B-38〜102」で、ほとんどが横穴式石室を有する小円墳(径10m前後)です 尾根から少し南に降りた所の一基、石室の奥壁部分が残る古墳が有ります「11B-77」かな? 径10mほどで、比較的墳丘も残っています 南に開口する横穴式石室で、全長4m程...
View Article杉山古墳
大安寺旧境内の一角にある古墳です 撮影日;2005.11.20 5世紀後半の築造とされ、被葬者は不明 主体部は確認されていません 円筒埴輪・家型埴輪が出土しています 現在は公園として整備されています ★所在地;奈良市大安寺4丁目 ★交通;奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩5分 ★駐車場;大安寺の駐車場を利用(無料) ★入場料;無料 ★開園時間9:00〜17:00 (休日;月・水・金)...
View Article内山永久寺跡
現在はのどかな農地となっています 撮影日;2007.1.31 永久2年(1134)に鳥羽天皇の勅願により、興福寺大乗院第2世頼実が創建 中世には興福寺の末寺となり、南北朝の頃には後醍醐天皇が京都花山から吉野へ落ち延びる際に一時入寺して「萱の御所」とされました 江戸時代には971石の朱印地を与えられ、大和では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ待遇を受けていたようです...
View Article掖上鑵子塚古墳
周濠跡がとてもきれいな古墳です 撮影日;2009.9.7 全長150mの前方後円墳です 後円部の径に対して前方部の長さが約1/2と短く帆立貝式古墳と前方後円墳の中間的な要素を持つ古墳です 後円部径102m・高さ17.5m、前方部推定復元幅101m・高さ12m 埴輪列、葺石が確認されています 後円部3段、前方部2段築成で前方部を南西に向けます 埋葬施設は竪穴式石室のようです...
View Article掖上鑵子塚南古墳
掖上鑵子塚古墳の前方部に隣接した古墳です 撮影日;2013.12.15 直径30m・高さ5mの比較的大きな円墳「16B-398」です 発掘調査が行われていないため、詳細は判っていません 埋葬施設についても不明ですが、測量図を見ると墳頂部に盗掘孔らしき窪みが確認できます...
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