杉山瓦窯跡
杉山古墳の前方部斜面を利用して窯が6基作られています 撮影日;2013.12.14 大安寺の瓦を焼くための瓦窯跡です 奈良時代末から平安時代にかけて用いられていました 古墳の南西には、そのうちの2号瓦窯が復原されています 窯では一度に500枚前後の瓦が焼かれたようです ★所在地;奈良市大安寺4 ★交通;奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩5分 ★駐車場;大安寺の駐車場を利用(無料)...
View Article坂尻塚古墳
小型の石室が一基開口しています 撮影日;2013.12.15 小さな山間の集落・崖面下に築かれています 3基の塚とされていますが、単独墳のようです 石室は花崗岩の石材を積上げたもので、長さ3.6m・幅約0.8m・高さ1.2m 入口部は高さ1m・幅66cm 無袖式の小型の横穴式石室です 4枚の天井石が用いられています 築造は7世紀中頃の終末期と思われます...
View Article久里垣内古墳
昭和8年に見つかった飛鳥時代の古墳です 撮影日;2013.12.15 径10m程の円墳「17C-115」です 竹薮開墾の際に横穴式石室が見つかり、末永雅雄博士が調査されています 発見のときすでに石室は破壊されていました 側壁石の右壁四枚と左壁2枚が残っていたようです 石室の大きさは玄室幅約2.5m・長さ約4.3m、羨道は失なっていました...
View Article音浄ヶ谷遺跡公園
音如ヶ谷遺跡公園として公園整備されています 撮影日;2013.11.24 昭和54年の発掘調査によって4基の瓦窯跡と数棟の堀立柱建物が発見されました 瓦の文様から「法華寺」の創建瓦を焼いた窯であることが判りました 2基の瓦窯跡レプリカ(原寸大)が設置されています...
View Article上人ヶ平遺跡
弥生時代から室町時代にかけての複合遺跡です 撮影日;2013.11.24 上人ヶ平古墳群と奈良時代の市坂瓦窯跡・瓦工房跡を中心に遺跡公園として整備されています 平成22年に公開されました 台地上に造られた奈良時代の瓦工房跡が有りました 台地上で13棟の掘立柱建物跡や井戸、土坑などが検出されています 上人ヶ平古墳群は1・5号墳のみ墳丘が残っていました...
View Article高麗寺跡
日本最古といわれる飛鳥寺と同じ瓦が出土しています 撮影日;2013.11.24 昭和15年に国の史跡に指定されています 金堂・塔等の土壇・礎石が残っています また字名に「高麗寺」という古代寺院名を残す珍しいケースです 伽藍配置は西に金堂・東に塔・周りを回廊に囲まれた法起寺式で、白鳳期から平安期まで存続したようです 高句麗から渡来した狛氏の氏寺だったと推測されています...
View Article山城郷土資料館
南山城の歴史資料・考古資料・民俗資料等の保存及び展示をしている資料館です 撮影日;2013.11.24 企画展や特別展、セミナー・各種講座などのイベントも開催されます 南山城地域の歴史ある文化に焦点を絞って、研究と広報を進めている京都府立の施設です ★所在地;木津川市山城町上狛千両岩 ★交通;JR上狛駅下車 徒歩20分 ★駐車場;有ります(無料) ★入場料; 大人 200円〜...
View Article上狛天竺堂1号墳
石室の基底部が移築保存されています 撮影日;2013.11.24 1999年に高齢者福祉施設「ぬくもりの里」建設現場で見つかった古墳です 上狛天竺堂1号墳は、全長27mの帆立貝式の前方後円墳です 墳丘はほとんど消滅していました 後円部の径24mで、二段構築されていたようです 主体部は、古い形態の右片袖式の横穴式石室です 舟形木棺と組合式小石棺が収められていたようです...
View Article大智寺の地蔵石仏
大永年代(1521〜26)の記銘がある地蔵石仏です 撮影日;2013.11.24 舟形光背を持つほぼ等身大の定型地蔵立像です 境内の覆堂にまつられ、足元に小石仏を従えています 地蔵堂の傍ら、小さな木立の脇には十三重の石塔が有ります 基壇には枠取りをした中に格狭間を造り出す 初層軸部の北面と西面には舟形光背の中、四方仏のを半肉彫り、東面と南面には金剛界四仏の種子を刻み込んでいます...
View Article木津総墓五輪塔
とても大きな五輪塔です 撮影日;2013.11.24 鎌倉時代後期の正応5年(1292)の造立です 昭和32年2月19日に重要文化財に指定されました 伝承では、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために建立されたとされます この五輪塔は、古い惣墓全体の総供養塔として造立されたそうです (惣墓とは、庶民個人の墓が普及する以前の共同墓地のこと)...
View Article伊丹宮古墳(仮)
無名墳ですが、巨石を使った石室が有ります 撮影日;2013.12.22 近接して3基の古墳が築かれています こうぜ古墳の東約150m・小さな谷を2つ挟んだ尾根の先端部付近に在ります 遺跡地図の「14B-184」は、径11mの円墳です 墳丘は残っていますが、封土はかなり崩れています 南に開口する横穴式石室が有ります 巨石を使った見ごたえある石室です...
View Article高田袋谷古墳群
メスリ山古墳南方の丘陵に30基以上が群集しています 撮影日;2013.12.22 通称、墓山と呼ばれる丘陵と谷を挟んだ南側の丘陵に有ります 墓山の尾根上に前方後円墳一基と円墳が数基並んでいます その南斜面に石材が露出した所がいくつか有ります その内の一基「14D-169」、南に開口していて奥壁部分が残っています...
View Article神明神社裏山古墳
文字通り神明神社の裏山にある古墳です 撮影日;2013.12.29 全長45m、後円部径28mの中型の前方後円墳です 前方部をほぼ西に向けています 前方部はやや崩れていますが、後円部は比較的保たれているようです 後円部南側に横穴式石室が在ったようです 石材抜痕穴があるとのことですが、どこか分からず 築造は7世紀後半 南東側に墳丘を接して径10m程の円墳「13C-4」が有ります...
View Article弥宮池公園
弥宮池は防災用の溜池 撮影日;2013.12.29 古くから灌漑用の溜池として使われていましたが、老巧化が激しく決壊の危険があった為昭和61年に改修工事が始まりました 平成元年に改修工事が終わり、周囲は弥宮の丘公園として整備されました 提長は132m、提高13.5m、提幅5.5m 池提からは大和三山も見渡せます 池中には噴水も有り、周遊道も有ります ★所在地;葛城市太田...
View Article弥宮池西1号墳
以前から墳丘の半分が崩れ落ちて、斜面から石棺が露出していました 石棺は凝灰岩をくり抜いた構造で、長さ約1m・幅約50cm・高さ約40cmの小型の棺です 横穴式石室の一部も確認され、石棺を横穴式石室に納めた構造が明らかになりました 石棺は内側に朱が塗られていました 町教委は「地域の豪族に仕えた官僚の墓ではないか」と話しています...
View Article芦田池
聖徳太子の4つの溜池の一つと言われます 撮影日;2013.12.29 「日本書紀」に、聖徳太子の進言によって、推古天皇15年(607)の冬に大和の国に新しく4つのため池が造られたと有ります 「肩岡池、高市池、藤原池、菅原池」の一つで、肩岡池の伝承地せす 日本最古の官立の「ため池」です 本町の辺りは昔から葦田と呼ばれ、葦が茂っていたことから放光寺古今縁起には葦田池と書かれていました...
View Article乳たれ地蔵
母乳の出が良くなるとして信仰を集めているそうです 撮影日;2013.12.29 「ままかけ地蔵」「ままだれ地蔵」と呼ばれています 推古天皇の乳母の乳の出が悪いのが、祈願により出が良くなったと伝承されています 小さな祠の背後に石龕が置かれ、その中に三角形の自然石が祀られています 本来は大峰山上講のような修験道や山岳信仰の遺品であったと考えられます 宝歴14年(1764)の石灯篭も有ります...
View Article片岡氏の石碑
片岡城を築いた片岡国春の墓と伝承されます 撮影日;2013.12.29 花崗岩製の高さ1mの石標は、舟形の石材に五輪の塔を浮き彫りにしています 墓域には磨耗した板碑や五輪塔の残欠も有ります 片岡城は、戦国時代の永禄年間に築かれています (片岡城跡、参照;武家家伝-大和片岡氏) この場所には、片岡氏の菩提寺が前身とされる「雲分寺」が有りました...
View Article史跡高井田横穴公園
高井田横穴は6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られました 撮影日;2014.01.05 調査で約160基が確認されています 実際は200基以上あるものと推定されています 横穴は、凝灰岩をくりぬいて造られており、奥にある玄室には、3体ほどの遺体が納められたと考えられています 大正6年に発見され、大正11年に国の史跡に指定されました...
View Article高井田山古墳
平尾山古墳群の高井田支群第2支群56号墳です 撮影日;2014.01.05 盛土の大半が流失しており、前方後円墳の可能性も有りますが、径22mの円墳と推定されています 発掘された横穴式石室が覆屋を架けて保存展示されています 扁平な板石を積み上げて築かれた片袖式横穴式石室です 玄室の規模は、長さ3.73m、幅は奥壁部2.34m・玄門部2.26m 高さは奥壁の残存部で約1.3m...
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